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研究者に聞く

Interview

研究者の写真
野尻 幸宏
地球温暖化研究プロジェクト
炭素循環研究チーム総合研究官

 「北太平洋海洋表層の二酸化炭素吸収に関する研究」に取り組んでいる野尻幸宏さんに,海の呼吸のメカニズム,海洋CO2測定の現状などをお聞きしました。

研究の目的

  • Q:今回の研究を始めたきっかけをお聞かせ下さい。
    野尻:国立公害研究所が国立環境研究所に変わった1990年,地球環境研究センター(CGER:Center for Global Environmental Research)が発足し,温室効果ガスのモニタリングを行うことになり,沖縄県・波照間島と北海道・落石岬で観測を始めました。海洋の温室効果ガスのモニタリングも行うことになり,研究所には数少ない外洋域での研究経験者として私が・・・ということになりました。

    それまでの海洋研究経験は,微量金属やメタンなどの測定手法を用いた海水と海底熱水の研究でしたから、CO2のモニタリングというと,関係があるようなないようなものだったのですが。
  • Q:具体的にどのようなことを始めたんですか?
    野尻:初めてのことで,最初はまったく模索でした。広い海洋でのCO2測定方法をいくつかの方法論で考えましたが,観測船を傭船するいわば従来型の方法で長期モニタリングを行うことは,費用の面で論外という結論になりました。

    1994年にこの分野で世界をリードしているカナダ海洋研究所C.S.Wong博士から太平洋のCO2観測の共同研究を持ちかけられ,協力してくれるという貨物船を紹介していただきました。貨物船を使ったCO2観測は,1984年から1989年にかけての観測をまとめたコロンビア大学 Takahashi教授による1993年の論文が有名で,私も貨物船を使っての海洋のCO2分布測定は意義ある研究だと理解していましたが,本当にこんな分野に手を出せるものかどうか,正直困りました。

    紹介された貨物船Skaugranは日本とアメリカ・カナダ西岸を約6週周期で往復する材木と自動車の運搬船です。1994年5月に川崎港に入航したSkaugranを見に行きました。実はおっかなびっくりで見に行ったんですが、ノルウェー人船長,機関長と意気投合しまして,その後船会社とも詳細を詰め,観測を行う決心をしました。

測定開始までの次の一歩

  • Q:貨物船の一隅を借りてのCO2測定はなかなかたいへんそうですが,実際にはどうでしたか?
    野尻:環境研ではフェリーによる沿岸域の観測実績があったのでそれを参考にしましたが,今度は外国船社の船です。国内では短期の寄港しかしませんし,持ち込み機器の税関申告も必要ですし,貨物船ですからこちらのお願いでスケジュールや入港地を調整してくれるわけではありません。実施を決めた夏からシステム設計を始め,11月から国内に入港するたびに工事を行いましたが,毎回の寄港地が次々変わります。材木は需要のある場所に降ろすので寄港地がたくさんあります。苫小牧,八戸,仙台,・・・千葉,東京,川崎・・・名古屋,四日市,大阪・・・広島,福岡と20カ所ほどもあり,そのうちの2〜3港に入ります。Skaugranが日本に来るたびに東に西に,北に南にと,工事の人たちといっしょに船を追いかけました(笑)。

    船に測定機器を取り付けるまでのさまざまな雑務もかなり負担でした。まあしかたないですが。海外での工事もお願いしたので,いろいろな手続きもありました。実際観測が始まってからは,日本各地の港で税関・入管・船舶代理店とのやり取りが毎回必要で,本当にいろいろな人のお世話になりました。開始から当分は,船が来るたび毎回港に出かけて維持作業を行いました。そのうちサポートスタッフも育ち,だんだんと預けられるようになりましたが。
  • Q:そのときのシステム設計はどのようなものだったのですか?
    野尻:海水のCO2分圧測定には新しいタイプであるバブル型平衡器を用いたCO2測定器を使いました。しかし,一般的に普及しているシャワー型測定器と比較しないとデータの確からしさが確保されない可能性があり,シャワー型との2台で測定するというちょっと大げさなシステムになってしまいました。
  • Q:測定法による違いはなかったんですか?
     野尻:さまざまな海洋CO2分圧の測定法がありますが,間違った測定はしたくないので,測定方法にこだわり,より新しくていいものをと考えています。それで1998年には異なる10種類の平衡器を並べ,その間の差を調べました。大きなプールでいっせいに水を配ったので同じ値が出るはずなのに,少しだけですが違う結果が出てしまいました。

    小さな差ですが,バブル型の数値がわずかに低めであることがわかりました。幸い一定方向の誤差なので,濃度に補正をかけるとそれまでに船上で測定していたバブルとシャワーの値はよく一致することがわかりました。この時,より正確な平衡器を,ということで考案されたのが,バブル型の上にミキサー型を置いたタンデム平衡器(p10 Summaryに詳述)で,通気式で応答が速い特徴があります。1998年のこの実験の後すぐに平衡器をバブルからタンデムに取り替え,測定の正確さが高まりました。最新のものでは10秒ごとに結果を記録します。

海洋のCO2吸収量は?

  • Q:かくて,測定開始ですね。1995年から4年半,延べ38往復も測定されたのは世界でも初めてとお聞きしました。本題の研究内容に入りたいのですが,その前に,海洋のCO2吸収量がどのくらいなのかを事前知識としてお教え下さい。
    野尻:二つの計算方法による数字が示されています。一つは海洋表層のCO2測定を積み上げて積算したTakahashi博士の手法です。最新の2002年論文では2.2Gt(ギガトン=109トン)の炭素がCO2として世界の海洋に吸収されていると推定されました。これは,ある海域で1回でも測定があればそのデータを使い,測定のない海域・季節はどんどん値を内挿していくという手法です。

    一方モデルによる推定という手法もあります。普通海洋表層水は温度が高くて軽く,また深層水は温度が低くて重いため,対流は起きません。しかし,表層海水が強く冷却されるところでは沈み,別のところで湧き上がる現象があります。海洋大循環といわれていて,大西洋の海水がグリーンランド近辺で強く冷やされて深海まで沈み,インド洋,太平洋の深層にまで到達する流れを作ります。沈み込む海水と湧き上がる海水のCO2濃度差と沈降・湧昇量から計算する方法です。こちらの推定でも毎年2Gtの炭素がCO2として海に吸収されている計算になりました。

    両方の推定法でおよそ合うのでそれでいいということになるかもしれませんが,それぞれが大きな誤差を含む数字としかいえません。誤差の評価は難しいのですが,温暖化の科学を国際間で扱うIPCC(気候変動に関する政府間パネル)では,この2Gtに±0.8の誤差をつけて発表しています。

    参考として1980〜1989年における炭素循環の推定を示します(図1)。
  • Q:±0.8はかなり大きな数字ですね。今後,この推定精度はさらに高まるのでしょうか?
    野尻:海洋吸収の2Gtという数字を全世界の海洋に割り当てるとCO2の測定にして平均約8ppmになります。たとえば0.2Gtの正確さを求めようとすると0.8ppmの正確さで測定することが要求されます。海洋表層のCO2測定では,平衡器を流れる水温を実際の海水温と同じに保つことが難しく,どうしても0.1から0.3度ぐらいの温度差が出ます。0.1度上がるとCO2の測定値は1.5ppm,0.3度上がると4.4ppm上昇してしまいますから0.8という数値の厳しさがおわかりいただけると思います。ですからどんなに世界中の海を正確に測っても,誤差を大幅に小さくするのはほとんど不可能だと思います。それでも,測定を正確にすればするほど正確な吸収量が得られるようになることは確かですし、単に吸収量だけでなく、吸収・放出の分布とその季節変化を正確に求めることは、温暖化予測モデルの正確さの向上にたいへんに役立ちます。ですので,そのための努力を惜しんではならないと思います。
  • Q:もう一つ気になることがあります。海洋のCO2吸収・放出量を積み上げ積算で行ったとおっしゃいましたが,1回測定したものと今回のように数年間毎月に近い頻度で測定したものをいっしょにしてしまっても問題ないんですか?
    野尻:もちろん問題があります。というのは,海洋吸収は年々変動すると考えられているからです。われわれの測定のような一定の海域を繰り返す観測を行うと,その長期平均値,この分野では気候値と呼びますが,それが得られます。気候値がわかると,それと比較して年々変動が評価できます。

    まずは世界の海洋でこの気候値を明らかにする観測を行うことで,海洋吸収の推定を正確にするという研究のアプローチがあり,私たちは日本からこれに加わっていることになります。貨物船と係留・漂流型の測定器で世界の海洋のデータ密度を上げ,積み上げ推定の精度を上げる計画です。現場測定のデータが十分揃うと,衛星画像からCO2吸収を推定するという手法が発展するでしょう。私たちが行った測定データはWeb上で公開していますので,衛星観測からの推定手法の発展にも役立つと思います。
図1 現代(1980年~1989年)の炭素循環の推定

北太平洋のCO2吸収

  • Q:それでは本題です。今回の観測と研究の結果をわかりやすくお願いします。
    野尻:北太平洋の北の方は一般的な海洋大循環では湧昇域でCO2を多く含む深層水が湧き上がってくるところです。そこで海洋表層CO2が高い値を示すことはすでに知られていましたが,それがきわめて大きな季節振幅で変動していることが初めて正確に確かめられました。冬は放出源として,また夏は吸収源としてCO2分圧が年間150μatm(100万分の1気圧,大気CO2濃度を表わすppmと大体対応する単位)も上下します。深層水が表層にもたらされるときには,栄養塩がいっしょにもたらされ,夏はそれが植物プランクトンを増やすことに使われ,結果として大きな表層CO2の振幅になります。

    北太平洋の測定データを緯度と経度方向に細かく区切って,4年間34往復の測定データを使い,たくさんの季節関数(海水−大気のCO2分圧差の季節変化を関数化したもの)を作りました。同じ北太平洋の中に大きな違いがあることが図2からはわかりす。これはCO2分圧,いわば海水中のガス状CO2濃度の分布ですが,さらに風速と温度のデータを入れ,海洋へのCO2出入りを推定をしたのが図3です。とにかく風がないとCO2の出入りは起きませんから,海洋と大気の分圧差に風が加わって初めてCO2交換の推定ができます。それでみますと,日本の東北沖がCO2を一番強く吸収することがわかりました。1マスで年間−30,つまり0.03Gtですから海洋全体の年間吸収量の1.5%,さらに今回観測した中高緯度北太平洋全体では0.24Gtでその13%にも及びます。面積は4%程度のところですが。

    北太平洋は生物生産が大きくてCO2吸収に非常に重要な役割を果たしているといわれてきましたが,それを測定に基づく確かな数値で明らかにしたことが大きな成果です。
  • Q:4%の面積で海洋全体のCO2吸収の13%を担っているのはすごいですね。栄養塩,温度,生物量,風の微妙な関係がメカニズムを決定するんですね。
    野尻:私たちの行っている海洋表層のCO2測定でわかるのは今の海洋の正味吸収量あるいは場所によっては放出量です。もう一つ,海の断面観測が重要です。海の断面に沿って海水に含まれているCO2を測るんです。大洋を横断する測線を設定し,細かな間隔で鉛直方向に海底まで海水を採取します。その結果,太平洋では表面から700mぐらいまで人間活動のためにCO2が増えていることがわかりました。このデータは長期のCO2吸収量を推定するために必要なものです。日本では旧通産省・科学技術庁のいくつかのプロジェクトで,各省庁機関が協力して国際分担しました。海洋科学技術センターでは,南半球の断面を一周にわたって描く大観測を来年行います。

    この海洋表層と海洋断面という2つのタイプのCO2観測はそれぞれ非常に重要です。世界中で両方の観測を並行して続け,なおかつその観測結果のデータベース化を行うことで研究が進みます。
図2 貨物船Skaugranを利用した観測データから得られた結果
図3 北太平洋のCO2吸収・放出フラックス分布

タンデム型測定器を世界標準に

  • Q:今回の研究では,1年中走る貨物船で測定していますね。研究者がずっと乗り込むんですか。
    野尻:もちろんそれはできないので,学生さんに協力してもらうことを考えました。従来型の観測研究ではCO2測定を観測船で行っていましたから,専門の技術者が乗り込み装置を動かします。少々できの悪い装置でも何とか担当者の技術で動きます。ところが私たちの測定は学生さんが一時的に乗船して動かすので,専門家の知識が必要なものはダメだと考えたんです。幸いなことにバブル式とその発展のタンデム式を採用した私たちの観測システムは,運転中に細かな調整を必要とする個所がなく,学生さんの運転でもよいデータが出ました。そういう意味でタンデム型平衡器によるCO2測定システムを大いにアピールしたいですね。その後,協力貨物船を変えてシステムを更新した後には,特定の船員さんにお願いし,簡単な操作で済むよう装置のより一層の自動化を行いました。

    現在,各国でも貨物船で継続的に行う海洋表層CO2観測が新たに計画され,開始されていますが,そこで私たちの測定システムを使ってもらうことを考え,ドイツのグループとの共同研究では1式を提供して今年の2月から観測が始まりました。

観測とモデリング

  • Q:最後に今回の研究のもう一つの側面,得られたデータを使って将来予測を行うモデルの研究についてお話し下さい。
    野尻:私たちの海洋CO2観測で得られる海洋表層CO2分圧の分布と季節変動は,海洋の物質循環モデルが正確かどうかを評価するたいへんよい材料になります。私たちは得られたデータの解析を観測者の立場から行いますし,それで興味深い研究ができます。しかし,観測研究者はモデル研究へのデータ提供者であることもきわめて重要で,とくに正確な測定結果を提供することを担っています。海洋全体を表現して将来予測を行うことをめざしたモデルの中で観測データが使われることになるので,データの公開が重要です。
  • Q:観測者とモデラーはどちらも大切ですが,研究者同士ではどのような感覚なのでしょう?
    野尻:アメリカでは,観測,モデル,その間の解析研究とも人材豊富で,いっしょにディスカッションしながら行えるのがうらやましいですね。やってることはどれも大事に決まってますが,いっしょに進んでいく方がもちろんいい。

    日本では観測・解析・モデルともに人が少なすぎます。私たちを含むいくつかの研究機関が実績を上げていることで,海洋CO2の世界では日本はよくやってるといわれるようになったかな?と思いますし,そのことを契機にしてこの分野の研究者が増えることを期待しています。
  • Q:ありがとうございました。海洋CO2吸収のメカニズムがおぼろげながら見えてきました。それにしても,測定はたいへんそうですが,面白そうにも思えてきました。