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研究者に聞く!!

Interview

イボニシの悲鳴 - 海からのSOS

堀口敏宏の写真
堀口敏宏
内分泌かく乱化学物質及びダイオキシン類のリスク評価と管理研究プロジェクト 生態影響研究チーム 総合研究官

 ダイオキシンをはじめとする内分泌かく乱化学物質問題は関心が高く注目が集まっているものの、生体や環境に与える影響については、科学的に解明されていない点も数多く残されています。このため、国立環境研究所では、重点特別研究プロジェクト「内分泌かく乱化学物質及びダイオキシン類のリスク評価と管理研究プロジェクト」を立ち上げ、七つの専門チームから構成された総合的な研究として取り組んでいます。

 この中で、「有機スズ化合物による巻貝の生殖異常」研究に取り組む堀口敏宏さんに、研究の動機、そのねらい、新しく得られた内分泌かく乱現象のメカニズムなどをお聞きしました。

1: 研究までの道程

  • Q:まず、研究者になったきっかけをお願いします。
    堀口:私は子供の頃から魚釣りを続けたせいで、海が好きでした。将来海と関係する仕事がしたくて、大学も水産関係を選びました。入ったサークルで「公害原論」(宇井純 著)と出会い、水俣病の本格的な知識の獲得が大きなきっかけになり「水俣病のようなことを起こさないために何かできないか」というのが研究者になった最初の動機です。水俣病を含む日本の四大公害のうち三つまでが水質汚濁、それも人間活動に伴う排出物が水域を汚染し、ヒトや野生動物の健康を損なってきました。一方、今回の研究の元となった有機スズ汚染は、船底・漁網防汚剤に用いられた有機スズそのものの作用が、予期しなかった悪影響を水生生物に及ぼしたということになります。
  • Q: 水域問題という点では共通するわけですね。それでは、今回の研究についてお伺いします。きっかけはどのようなことだったのですか。
    堀口:大学院生の時、イギリスの文献で「巻貝の仲間に非常に低濃度のTBTでインポセックスを引き起こした例が見られた」という報告を読みました。インポセックスは、簡単にいうと雌の雄性化です。当時、日本でも「有機スズによる環境汚染はかなり進んでいる」という報告がいくつもありました。そのため、巻貝にもきっとインポセックスが出ているだろうと思ったのですが、それを裏づける調査研究は、日本にはほとんどありませんでした。

     そんなときに、ある県の水産試験場の方から「バイ貝がおかしい」という情報が入ったのです。バイ貝は人間の飼育下で受精・産卵させ稚貝まで育てた後、海に放流する種苗生産・増殖事業が行われています。そのバイ貝が「卵を産まない」というのです。実物をよく見ると雌にペニスがあり、イギリスの文献と同じような症状でした。しかもバイ貝は卵を産めず子孫を残せないほどひどい状態でした。1990年2月のことです。

     そのときから研究テーマとしてインポセックスにねらいを絞ったのですが、バイ貝はサンプルがほとんど手に入りません。自分で採るといっても生息しているのは水深数十mですから、漁業者の手を借りないと無理でした。そんなとき、神奈川県の三浦半島に東京大学の三崎臨海実験所があることを思い出しました。臨海実験所近くにはマリーナがあります。ここにはたくさんの船が集まりますから有機スズ汚染が予想され、またそこに生息する巻貝のイボニシが「影響を受けているかも知れない」という情報も伝わってきました。ここなら東京に近いので通うことができますし、イボニシなら自分で採集することも可能です。

2:イボニシの研究

  • Q: イボニシの様子はいかがでした。
    堀口:1990年当時の調査では、100%インポセックスの雌しかいませんでした。ただ、症状の程度に差はあります。軽いうちは、ペニスや輸精管を持っていても一応産卵し、重症のものだけが産卵不能となります。しかし、いずれにしても共に異常な状態です。
  • Q: 症状の程度と地域との関連はあるのですか。
    堀口:インポセックスはTBTやTPTが原因で起きるという因果関係が分かっています。高濃度汚染地域のイボニシほど重症です。1990年5月の臨海実験所周辺の調査では輸精管の発達で産卵口が塞がり腐った卵の塊を持つ個体、また輸卵管が破れたり、その手前のパンパンに張った個体も多数観察されました。
  • Q: TBTやTPTとインポセックスとの間の因果関係は、どのように見出されたのでしょうか。
    堀口:因果関係を探るには普通、全国的なエリアで疫学調査を行います。イボニシの場合でいえば、インポセックスの出現率、症状の程度(ペニスの長さや輸精管の発達度合い)と、さまざまな環境要因のどれが相関するか調べる必要があります。当時この研究はイギリスが先行し、船底塗料などに使われていたTBTが原因であろうと指摘されていました。日本での調査ではTBTだけでなく船底塗料などとしていっしょに使われているTPTも考慮しました。実際、環境中からは両方検出され、分析結果(図1)は共に右肩上がりで、相関も見られています。

     実は、イギリスの論文ではTPTはインポセックスと無関係といっています。つまり、私たちの研究は、イギリスの報告とは異なる結果になったのです。もちろん相関があることと因果関係があることは、完全にイコールではありません。その検証のために、イボニシの足(筋肉)にTBT、TPTを直接注射する実験を行いました。結果は共に雌にペニスが出現し、成長しました。

     筋肉注射は、短時間で因果関係を調べるには便利な方法ですが、自然に体内に取り込まれる状態とは異なります。そこで、佐渡産の正常な雌のイボニシをTBT含有海水中で3カ月間飼育し、インポセックスの症状がどのように進行するかを観察する実験も行いました。具体的には、TBT濃度1、10、100ppt(ppt:1兆分の1)の水槽での飼育です。その結果、1pptという最小濃度でさえ約3週間で症状が出始め、最終的には9割がインポセックスとなりました。イボニシの場合「ペニスはそれほど劇的に伸びなかったものの、TBT1ppt程度のごく低濃度でもインポセックスを引き起こす」という結論に至りました。さらに、これまで入手したイボニシを含めた69種類の巻貝のうち39種類の貝でインポセックスが起きていました。

TBTのイボニシ体内濃度とインポセックス症状との相関図
図1 TBT(上)とTPT(下)のイボニシ体内濃度とインポセックス症状との相関図
TPTのイボニシ体内濃度とインポセックス症状との相関図

3:アワビの研究

  • Q:アワビの研究もされていましたね。
    堀口:はい、1994年から研究を始めました。アワビの漁獲量は1970年がピークで、1980年半ばからはほぼ一貫して減少傾向にあります。海域によってばらつきはありますが、減少の激しい海域ほど種苗生産されたアワビの割合が高く天然アワビが少ない傾向にありました。これらの状況は有機スズ汚染が始まった時期、あるいは進行していた海域とおおむね一致するということが分かりました。

     アワビやサザエは原始的な巻貝で卵と精子を水中に放出して受精します。外見上雌雄が判別できないため影響の有無が分かりづらく、調査当初は苦労しました。その後、ようやく異変の端緒をつかみました。それはバイ貝の時と同じような知見で「雄は成熟するが雌の成熟程度が低い」または「卵巣の一部で精子を作っている雌がいる」というものでした。
  • Q: アワビもインポセックスになったのですね。
    堀口:インポセックスの定義には当てはまりませんが、雌の雄性化は見られました。1997年当時です。そのときはまだ「可能性が高い」というレベルでした。その後、基礎的な研究を続ける一方で、有機スズにあまり汚染されていない海域(A海域)と、漁獲量の激減している海域(B海域)で獲れたアワビの比較も行いました。するとA海域のアワビでは、雄と雌が晩秋から初冬にかけてほぼ同時期に性成熟するのに対し、B海域のアワビでは雌の性成熟が全体としてよくないのです。しかも、成熟のピークが雄と雌でずれていました。これは、体外受精から誕生するアワビにとって致命的なことです。しかも、卵巣の一部で精子を作っています。体内に蓄積されている有機スズの含有量を調べると、B海域の方が有意に高いことも分かりました。

     そこで、今度は移植実験を行いました。これは、A海域のアワビをB海域に移植して飼育する方法です。その結果、実験した7カ月の間にアワビの筋肉中の有機スズ濃度が有意に上昇し、雌の約9割が精子をつくったのです。正直、驚きました。次は室内実験で有機スズとの因果関係を調べました。水槽に有機スズを含む人工海水を満たし2カ月間飼育実験を行った結果、卵巣の中で精子を形成する雌が観察されました。アワビに関しても有機スズが雄性化させることが分かりました。これはイボニシに続いて2番目の因果関係を断定した例となりました。

     なお、B海域でもアワビに含まれる有機スズの含有量は、厚生省(当時)が出した一日摂取許容量よりはるかに低い量です。このアワビを毎日40個ずつ食べても影響が心配される数値ではありません。

4:インポセックスの発現メカニズムについて

  • Q: 有機スズは、体内でどのように作用してインポセックスとなるのでしょうか。
    堀口:インポセックス発現メカニズムに関してはこれまで4つの仮説(欄外)があります。その中で、有名なのは男性ホルモンから女性ホルモンを作るアロマターゼという酵素が、有機スズによって阻害されインポセックスとなる、というものです。

     この仮説を考えるときに「果たして巻貝は人間と同じような性ホルモンを持っているのだろうか」と疑問を感じました。しかし、誰に聞いても「論文に書いてあるから」という答えばかりです。そこで論文と同じように貝をすりつぶして調べると、確かに5つのほ乳類関連の性ホルモンが検出されました。でも、そのうちの一つがエチニルエストラジオール(EE2)だったのです。これは経口避妊薬のピルの成分で人工のホルモンです。「何で巻貝がピルの成分を持っているの?」の疑問がわきます。「巻貝は特別な酵素を持っていて体内でEE2を合成できる」、「何らかの形で環境中に存在しているEE2を体内に取り込んで、汚染物質として持っていた」という二つの理由が考えられます。後者の場合、他の4つの性ホルモンにも同様な疑問が生じます。いずれにしても、化学分析ではその違いが分かりません。つまり、化学分析結果をまとめた論文の結論は全部疑問符が付くことになります。

     さらに「巻貝が性ホルモンを持つとしても、その受容体はあるのか」という疑問もあります。ホルモンがあっても受容体がなければ機能しません。巻貝から性ホルモンの受容体の存在を証明した論文はほとんどありません。男性ホルモンの受容体の存在はだれもみつけられず、女性ホルモンの受容体に関しては科学雑誌「サイエンス」に載った一例のみです。イボニシから同じような女性ホルモン受容体様のタンパクを取り出して試験してみましたが、代表的な女性ホルモンであるエストラジオールが結合しませんでした。となると、女性ホルモンの受容体といってよいのかどうか。また、残りの仮説に関しても追試を行ったのですが、どれも満足な結果が得られませんでした。
インポセックス誘導メカニズム仮説関連図
注)赤の色の部分が、現在までに提出されている仮説(5つ)である。
非汚染地区のアワビをかごに入れて汚染地区(造船所近辺)へ移植してのTBT、TPT曝露試験(1998.6~1999.1)の図
図2 非汚染地区のアワビをかごに入れて汚染地区(造船所近辺)へ移植してのTBT、TPT曝露試験(1998.6~1999.1)
**:危険率1%で有意差がある。
  • Q: 堀口さんはどうお考えになったのですか。
    堀口:インポセックスは、最初にペニスと輸精管ができます。次に症状が重くなると輸卵管が塞がったり卵巣で精子を作り始めます。つまり、時間的なずれがあるのです。そこで、こうした症状の変化は一つのメカニズムだけではなく、複数のメカニズムが関係し合って一連の反応が起きる方が自然だと考えました。

     そんなときに、ヒトの核内受容体の一つであるレチノイドX受容体(RXR)が有機スズと非常によく結合することが共同研究者である大阪大学の西川淳一助教授のグループによって観察されました。ヒトの細胞核内には、女性ホルモン受容体をはじめたくさんの受容体があり、その中でRXRだけが有機スズとすごく反応するのです。つまり、有機スズは本来の結合相手のニセモノである可能性が高い。RXRは脊椎動物だけではなく無脊椎動物にも見つかっているので、軟体動物の巻貝も持っているかも知れない。少なくとも性ホルモンの受容体よりは信頼性が高そうだと思いました。

     そこで、RXRのリガンドとして知られる9-cisレチノイン酸をイボニシに注射してみました。すると、なんとインポセックスが起きてしまいました(サマリーに詳説)。私の15年の経験で、有機スズ以外でこんなにはっきり出たのは初めてでした。「これはすごい」と思いました。検証実験でも、結果は9-cisレチノイン酸を投与したイボニシに関して濃度依存的にインポセックスが観察されました。最初の実験と同じ結果が、みごとに再現されたのです。

     また、イボニシRXRはヒトRXRとアミノ酸配列が似ており、ヒトRXRと同様に、イボニシRXRに対して、TBT、TPTともに9-cisレチノイン酸と同程度の強い結合性(アゴニスト活性:結合すると細胞が活性化するように指令を出すこと)を持っていることが観察されました。つまり、RXRに9-cisレチノイン酸のニセモノであるアゴニストのTBTやTPTがくっつくことで誤って転写反応が起き、最終的に雌にペニスや輸精管ができるのだと考えられます。
  • Q: つまり、性ホルモンでペニスが伸びるわけではないのですね。
    堀口:そうです。雌が雄になるので、みんなテストステロンなどの性ホルモンだと思ったのですね。
  • Q: こうした現象はヒトにも起きるかもしれない、ということでしょうか。
    堀口:似たことが起きる可能性はあると考えられます。RXRはヒトも持っていますから。ですから、私はヒトに対する有機スズの毒性の再評価をするべきだと思っています。有機スズは巻貝にインポセックスを起こします。それは巻貝特有の話と考えられていますが「ヒトはまったく関係がない」と本当にいえるのでしょうか。この点の検証が必要でしょう。
イボニシの卵の写真
イボニシの卵

4:今後の研究について

  • Q: さて、今後の研究に期待がかかります。方向性などをお聞かせください。
    堀口:フィールド分野では、モニタリング調査を中心とする研究を続けていきたいと思います。日本では1990年以降、化審法と行政指導により有機スズの製造や使用が厳しく制限されています。しかし、汚染レベルの高いホットスポットはいまだに各地に存在し、モニタリングによる規制効果の確認が必要です。アワビに関しては、親貝だけではなく稚貝の生残や成長などへの影響も監視していきたいと思います。そうした蓄積が、重要水産資源の復活につながると思います。

     一方、メカニズムですが、TBTやTPTがRXRと結合してスイッチが入り、何段階かの反応を経てペニスや輸精管の元となる細胞の分化を誘導し、成長させていくのであろうと推察されますが、今のところ詳細は分かっていません。その解明に向けて、一つひとつ実験結果を積み重ねていきたいと考えています。

メモ

  • TBT・TPT
    TBTは有機スズ化合物。そのうち、一般によく知られているのは酸化トリブチルスズTBTO。船底、漁網などにイガイ類、フジツボ類、海藻などが付着するのを防ぐ船底・漁網防汚剤。TBTOは1990年1月に化審法による第一種特定化学物質に指定され、製造、輸入、使用が禁止されています。研究では13種類(第二種特定化学物質)あるTBTO以外のトリブチルスズ化合物のうち塩化トリブチルスズを使いました。化学式は(C4H9)3SnCl(構造式は図a)。

    TPTは同じく有機スズ化合物で、7種類あり、すべて1990年1月に第二種特定化学物質に指定され、現在は防汚剤としては使用されていません。研究では塩化トリフェニルスズ(C6H5)3SnClを使いました(構造式は図b)。
塩化トリブチルスズの構造式(左)、塩化トリフェニルスズの構造式(右)
 図a 塩化トリブチルスズ    図b 塩化トリフェニルスズ