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2017年6月30日

ヒト組織由来の細胞、ES/iPS細胞を用いた化学物質の健康影響の予測法

研究をめぐって

 化学物質の健康影響の評価や予測手法に関する研究は、ES/iPS細胞実験や網羅的遺伝子解析実験、さらには数理統計学や情報科学を取り込んだ融合的な研究分野に発展しています。現在では、「システムズトキシコロジー」や「コンピューテーショナルトキシコロジー」として、重要な研究領域になりつつあります。

世界では

 幹細胞、特にヒトES細胞を用いたインビトロ試験について、世界で初めて専門誌に発表したのは、2002年の米国のオハイオ医科大学です。ヘキサクロロベンゼンが臍帯血中の濃度と同じレベルで、細胞毒性を示したものです。しかし、マウスの胎児皮膚から分離されたNIH3T3という培養細胞を用いた実験では、その影響は認められませんでした。その後、2006年に米国で開始した大型プロジェクトでは、幹細胞に限らずさまざまなインビトロ細胞試験を用いたハイスループットスクリーニングが数千の化学物質について実施され、2008年からこれらのデータが公開されています。また、2008年ごろ、米国やスウェーデン、オランダ、ドイツの欧州動物代替法機関において、ヒトES細胞を用いた試験が行われ、これらの細胞がヒトの神経の発達に対する毒性を試験するためのモデル細胞として有用であることが数多く報告されました。ドイツでは世界に先駆けて、メチル水銀やベンツピレンが神経発達に影響することが示されました。

 このように、欧米では化学物質の胎児への影響を明らかにするために、ヒト細胞を用いてどの濃度で化学物質の影響が現れるのかを調べています。

 将来的には、動物実験に依存した毒性評価試験から脱却し、細胞を用いた試験を化学物質管理規制へ活用するための戦略が練られています。欧州では、毒性発現メカニズムに基づくインビトロ試験やインシリコ解析(計算機を利用した化学物質の毒性等の活性の予測)を組み合わせた方法を、動物による反復投与毒性試験の代替法にすることを目指して、2011年より5カ年計画で70以上の大学、公的研究機関、産業界研究機関が参加したプロジェクトが実施されました。さらに、2017年よりヒト細胞培養実験、インシリコ、遺伝子解析、数理統計学的手法も含まれた総合的なプロジェクトEU-TOXRISKが新たにスタートし、動物実験代替化への移行が進んでいます(図7)。

図7 米国、欧州における新たな規制毒性学への概念図とそれに必要な科学技術
化学物質の規制に関する評価方法に関して、欧米では、これまでよりも更に、ステップアップした、ヒト組織由来の細胞を活用した戦略を提示しています。左側の階段の概念図では、標準化から世界的な受諾まで、8段階の事項を示しており、それに必要な科学技術として、右に示す3項目が上げられています。これを目指して、大型研究が精力的に進められています。(Busquet & Hartung 2017の文献を参考に改変)

日本では

 ヒトに対する化学物質の毒性を評価するためには正常なヒト細胞の利用が欠かせないことから、化学薬品企業を中心にヒトES/iPS細胞が毒性評価の強力なツールになると考えられています。住友化学と理化学研究所のグループは、簡便で汎用性の高い発生毒性の代替法試験開発を目指して、ヒトES/iPS細胞を用いた試験法を開発しており、毒性予測の指標になりうる遺伝子の有効性や、ヒトES細胞から網膜色素上皮細胞の形成による毒性試験への応用を報告しています。

 また、東京大学のグループでは、ヒトiPS細胞を用いてヒト臍帯血で検出される有害化学物質20物質による、ゲノム修飾や細胞毒性の変化を調べています。

 ヒトES細胞の利用は生命倫理の問題があることから、経済産業省や厚生労働省などの研究機関では、iPS細胞を用いた動物代替法試験が進められ、心毒性や肝毒性の代替法試験が行われています。

 また、日本化粧品工業連合会の動物実験代替専門委員会感作性代替法ワーキンググループと東北大学らは、ヒト血液細胞を用いてアレルギー性接触皮膚炎のモデルになる皮膚感作性試験を開発し、有用性を検討しています。

国立環境研究所では

 2006年から2011年にかけて行われた環境リスク研究プログラムにおいて、「インフォマティクス手法を活用した化学物質の影響評価と類型化手法」を開発し、化学物質の健康影響を評価するための研究を支援する「健康影響予測システム」を構築しました(図8)。遺伝子発現、細胞や組織に対する影響、影響のメカニズムに関するデータベースと、それぞれの相互関係を包括的なネットワークとして可視化するための機能を公開しています。

 2005年から2015年にかけて実施された「ナノ粒子及びナノマテリアルの健康・毒性評価に関するプロジェクト」では、細胞を用いた研究が動物実験の代替法として行われてきました。以前より黄砂やPM2.5などの複合的な媒体の毒性評価にインビトロの細胞試験が活用されています。また、資源循環・廃棄物研究分野では、ヒト組織由来のがん細胞に各種の核内受容体を遺伝子導入したレポーター遺伝子アッセイが、簡便で迅速な有害化学物質の検出法として使われています。近年では、PM2.5による健康影響についての関心が高まっています。そこで、原因物質を同定したり、影響の個人差を調べたりするために、ヒトiPS細胞から呼吸器系細胞への分化培養法を開発し、毒性評価に活用する研究が行われています。

 これまで、化学物質の毒性と遺伝的素因(親から子へと受け継がれる遺伝的体質)の関係が明らかになっていないばかりか、探索するためのツールすらも存在していませんでした。ヒト組織由来細胞を用いることで、化学物質に対する宿主側の感受性要因(一般には、特定の遺伝子配列を指す、遺伝子多型)の候補を探索するための実験系が開発されることが期待できます。

図8 化学物質の健康影響を予測するための支援ツール「健康影響予測システム」
HEALS Health Effects Alerts System (http://project.nies.go.jp/heals/)(下記参照)は、化学物質の健康影響を評価するための研究を支援する4つのサブシステム(ChemToxGen、ChemArrayDB、PCECとMulCEH)からなっています。最初のChemToxGenは、米国EPAのDSSTOXをはじめとする9種類の毒性データベースに最も多く情報が掲載されていた物質の各データベースの毒性情報数を掲載しています。人への健康リスク情報であるIRISデータベースの500物質について、毒性の種類ごとに整理表を掲示しています。ChemArrayDBは、有害化学物質について、遺伝子発現を指標した用量反応関係の解析が可能なツールとなっています。PCECは、細胞や組織に対する影響、影響のメカニズムに関するデータベース機能と、それぞれの相互関係を包括的なネットワークとして可視化するための機能を提供しています。MulCEHは、マウスES細胞を用いた神経分化への影響を調べた成果を搭載しています。MulCEHに搭載しているRX-TAOGEN(http://extaogen.nies.go.jp/rxtaogen/cgi-bin/top.cgi)(下記参照)は、独自に高速化したベイジアンネットワーク解析ツールです。化学物質曝露による遺伝子発現の相互作用ネットワークの解析に有用です。