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水環境における化学物質の長期暴露による相乗的生態系影響に関する研究

プロジェクト研究の紹介

畠山 成久

 本特別研究は平成元年度より5年間の計画で推進しているものである。水環境とあるのは川や湖沼であり、化学物質としては農薬類を対象としている。長期暴露による相乗的生態系影響とあるのは、川や湖沼に流入する農薬類により水中の生き物の世界がどのような影響を受けるかを評価することである。ただしこの研究の特色の一つである「実験生態系」に対する農薬類の影響評価は生物間の相互関係に介在する薬物の影響解析であり、農薬以外の化学物質にも適応できるものである。農薬を選んだのは、1)農薬類は生物を制御するため開発された薬剤で低濃度でも雑草や害虫以外の生物に影響が強く、多くの種類が大量に使用されその一部は水界に流入すること、2)農薬類の影響により様々な生物がいなくなったとか少なくなったと言われ、最近は比較的低毒性の農薬に変わったとされるが現在または将来の生態影響について充分評価がなされていないことによる。研究課題を簡略にいうと、1)河川における農薬汚染と生物影響の関係、2)各種水生生物の農薬類に対する感受性差とその機構、3)生物間相互関係に介在する農薬類の影響評価、4)生態系レベルでの化学物質影響評価に関する研究である。

 現時点で研究も3年を終えたがこれまでの調査・研究の成果の一端について概要を記す。現在の農薬汚染はあまり目立たなくなっているが、汚染に感受性の高い生物を用い、農薬類の潜在的生態影響を評価することができる。魚・鳥など食物連鎖系の頂点を底辺で支えるのは藻類であるが、緑藻の1種セレナストルムを用いた生物試験により河川の藻類生産は各種除草剤により大きな影響を受けていることを示唆する調査結果が得られた。河川中でのセレナストルムの増殖阻害は5月中旬から下旬が最も顕著であり、6月末にかけ徐々に回復した。5月の藻類増殖阻害は2種類(ブタクロール・プレチラクロール)の除草剤の相加的影響であり、5月末から6月末までの影響はほとんど他の1種(シメトリン)の薬剤によるものであった。春は魚類など多くの水生生物の新たな世代が発生する時期であり、除草剤による藻類のかく乱が藻類→動物プランクトンや底生生物と続く食物連鎖系を通し上位の生物群集にも2次的影響を及ぼす可能性が考えられ今後検討を要する。一方、殺虫剤の水生生物に対する潜在的影響は淡水産のエビを用いた生物試験から評価できた。河川水中の農薬濃度の分析と各薬剤の毒性試験結果からセレナストルムの増殖阻害もエビの死亡率増大も、いかなる薬剤がどの程度の割合で影響を及ぼしたのかをある程度推定できることが分かった。

 水生生物の種類は非常に多く、各種農薬に対する感受性にも違いがあるであろうことは予想できる。藻類のシメトリン(除草剤)に対する感受性は数百倍の種間差があり、その耐性差の機構を検討している。上流が低農薬水田地帯、下流で殺虫剤の空中散布が年4回行われる河川では上流の生物の種類は年間を通して豊富であった。しかし下流では農薬散布が行われる7〜8月に生物の種類が極端に減少し特定の水生昆虫だけが増殖した。その中の代表種であるトビケラの1種は殺虫剤に著しい耐性を有しており、他の水生生物が影響を受ける殺虫剤濃度でもほとんど影響を受けないと思われる。他の河川でもユスリカの1種だけが異常増殖しているがこの種も殺虫剤に著しい抵抗性を有していた。しかし両者の殺虫剤耐性機構はそれぞれ異なる生理的機構に基づくものであることが明らかにされた。農作物の害虫のみならず環境生物でも農薬暴露により薬剤耐性を獲得し、それらの種が優占していたということは農薬類の生態影響が高いレベルであったことを示唆している。

 一方、殺虫剤に強くないコカゲロウの1種も殺虫剤散布期間の優占種であった。この種の特性としては、生長段階が少しずつずれた仲間が連なっていること(卵から成虫の段階まで)、流れ下る習性が強いことなどである。卵は短時間の農薬暴露に耐性があり、成虫は水中での薬剤接触を免れ、流下は他所からの回復力を高めるなどこの種は殺虫剤耐性が低いにもかかわらず調査河川に優占できたものと推測された。食物連鎖で上位にあるタガメはレッドデータブックでは危急種とされているが、各種農薬に対する影響を検討した結果、この種が魚体内に蓄積された殺虫剤の2次的影響により致死的影響を受けた。このことは食物連鎖系を介した化学物質の生態影響の研究が重要であることを示唆している。

 霞ケ浦に類似したプランクトン群集からなる実験生態系を屋外水槽に作製し、殺虫剤(2種)と除草剤(1種)を単独、またはその中の2種を投入して化学物質の生態影響を検討した。生物間の相互関係に基づく生態影響評価は本来この研究が目標としている重要テーマである。動物プランクトンは湖沼では、藻類から魚類にいたる食物連鎖に介在する重要な生物群集である。動物プランクトンのミジンコ類が概して薬剤に対する感受性が高く、その数が減るとそれまでミジンコに増殖が抑圧されていた動物プランクトンのワムシ類が増殖し、そこにミジンコの捕食者が介在すると生態系はまた違った反応を示す。除草剤が藻類の発生を抑制すると動物プランクトンも貧栄養湖に出現するワムシが多くなるなど現在さまざな情報を集積しつつある。実験は季節を替えて行えば化学物質に対する生態系の反応も異なり、生物間のそれぞれの相互関係の解析には室内実験による証明を要する場合が多いなど今後の検討課題は多い。

 これまで、低濃度ではあるが河川に流入する各種農薬により農薬高感受性水生生物、河川の生物相が影響を受け得ることを様々なレベルで明らかにしてきた。農薬類が水界生態系に対し実際にどの程度の影響を及ぼしているのか、当然一般化は困難であろうが明らかにしていきたいと思う。

(はたけやま しげひさ、地域環境研究グループ化学物質生態影響評価研究チーム総合研究官)