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市川 惇信

いちかわ  あつのぶ の写真

 「見えない手」、アダム・スミスに始まる自由経済システムにおいて協調を保証する仮説である。この手は「見えない」けれども「存在」する。というより、存在するように制約を設けている。(1)財の流通の自由を保証する、(2)価格という市場の状況を表すマクロな指標が情報として流通する、(3)価格の上昇が生産量の拡大を、下降が縮小を生み出すようにする、(4)独占・寡占が起こらないよう新規参入を保証する、などがこれである。この意味で、自由経済システムは完全に自由ではない。制約のないところに自由は存在しない。

 見えない手は、経済システムに固有なものではない。協調を必要とする場ではどこでも機能するはずである。組織はそのような場の一つである。たとえば、我が国におけるTQC(総合品質管理)はよい例である。この意味では、我が国のボトムアップ型の組織の方が、トップダウン型の組織より、見えない手を巧みに用いているといえる。

 研究組織においてはどうであろうか。研究所において、研究者がそれぞれ最大限に努力したとき、それが研究所の発展に協調的に統合されて行くような「見えない手」をどのように埋め込んでいるか。3月初旬に、 UCSB, Stanford, Cal.Tech., NIH, NSF, IBM, GE, Brookheaven, MITにおけるセンター・オブ・イクセレンスといわれる研究組織及びそれを支えるグラント組織を調査したとき、私の最大の関心はここにあった。結論として、研究所という組織に関する限り、米国の方が「見えない手」の利用が巧みである、といえる。(1)研究組織として明確な目標を持つ、(2)その目標の下で研究者に自由な発想をさせる、(3)部分組織を柔軟にし、研究者に部分組織にわたる自由な流動及びチーム編成を保証する、(4)研究者に内部でのパイの奪い合いを行わせない、(5)研究者の評価基準を明確にし、評価のためのデータには外部のものを用いる、(6)研究所は研究者が効率よく働けるよう基盤整備に努める、がこれらの研究所の共通する運営原理であった。

 これらをそのまま本研究所に持ち込んでもうまく機能しないことはいうまでもない。本研究所固有の「見えない手」をどのように埋め込むか、これが私に課せられた最大の仕事である。本研究所が、研究し心地がよく、かつそこにいることが誇れるような所となるために皆様の協力をお願いする次第である。


(いちかわ あつのぶ)