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前所長 小泉 明

 激動に明け暮れた二十世紀も残り少なくなってきた。この世紀について特記されることに、自然科学の驚異的な進展がある。

 普遍妥当性を持つ真理を追及することに極めて熱心な自然科学は、それ以上分けることのできない微小単位に本体の所在を求めようとした。それはいわゆるミクロのアプローチであって、当然ながら分析主義、要素主義、そして atomism になる。

 ある時期、大宇宙のすべての存在物は、物質の最小単位である原子を構成要素としているとの説明が、科学者はもとよりあまねく知識人を魅了した。やがて物質の最小単位はさらに細かく、素粒子であると断定された。今世紀の前半は原子物理学が自然科学の花形であった。そして後半は生命科学である。

 生命科学は分子生物学によって幕開けを迎えた。分子生物学はそれまで抽象概念にとどまっていた「遺伝子」に高分子化合物としての名称DNA・RNAを付与した。このとき生命の神秘はヴェールをとったといえよう。分子生物学の知識は遺伝子工学の技術へと進展を示した。

 原子物理学の知識が核エネルギーの利用に結びつき、人類の生存にかかる深刻な事態を招いたことに多言は不要である。生命科学についても、広義の生命操作に結びついたことから生命倫理の課題にいま論議が集中している。いずれも、とどまることを知らない自然科学についての軌道修正が求められた場面といえよう。

 物質の最小単位が原子であり、あるいは素粒子であるということと、生命の物質的基盤がDNA・RNAであるということは、必ずしも同列の議論に結びつくものではない。それは、DNA・RNAのみが生物の最小単位ではないからである。遺伝子は生命現象を演出する主要な役割を演じても、その最小の構成要素とは意味が異なる。

 遺伝子が生命にかかわる情報の担い手であるとの理解は、表現は同一でなくても、分子生物学以前と以後で本質的に変わってはいない。それは、その担い手が抽象概念にとどまっていたか、化学的に化合物名で示されたかの相違である。

 ひと口に生物と言っても、千差万別、多種多様である。しかし、おしなべて言えることは、単細胞生物でも多細胞生物でも、何らかの全一性を具えていることである。これを私は「場」の概念でとらえてみたい。「場」は要素ではなく、要素の集まりであり、“まとまり”である。

 たとえば人体のような個体については、器官、臓器、組織、細胞、細胞小器官、分子と大小さまざまなレベルの「場」が考えられる。さらに、個体より高次のレベルで、個体群、生物群集、生態系がある。地球生態系もやはり「場」である。

 環境は正に「場」であって、環境科学の特質は「場の科学」にあるといえよう。「場」の研究は atomism のみでは達成されない。自然科学に社会・人文科学を加えた総合的な「場」の科学であれば、上述の「軌道修正」を必要としないかも知れない。

(こいずみ あきら、現在:産業医科大学学長)

退官記念講演会にて(平成4年4月17日)