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“酸性雨”に関する最近の研究

プロジェクト研究の紹介

佐竹 研一

 酸性雨問題の原因は人類による化石燃料の大量使用にある。化石燃料の使用に伴って発生した硫黄酸化物,窒素酸化物,各種大気汚染物質等がその発生源の近くで,あるいは長距離輸送されて遠く離れた森林や湖沼,文化財等に影響を与えている。このため酸性雨問題が深刻化した欧米はもとより,わが国でも酸性雨問題への関心の高まりと共に酸性雨とその影響に関する研究が推進されている。

 地球環境研究総合推進費による国立環境研究所での酸性雨研究では,平成2〜4年度の成果を踏まえ,平成5年度から新たに出発した「東アジアにおける酸性・酸化性物質の動態解明に関する研究」並びに「酸性物質の生態系に与える影響」等が主要な課題となっている。これらの課題のもとで目下精力的に研究が行われ,重要な基礎データの蓄積が行われる一方,様々な新しい事実が明らかになりつつある。

 東アジア地域における酸性・酸化性大気汚染質の生成・変質・沈着の全体像を明らかにするため計画された研究では,発生源インベントリーの作成,大気中の汚染物質の動態解明,沈着量マップの作成,およびこれらを総合するモデルの作成が目標であり,この目的にそって,航空機観測や集中的な地上観測が行われている。これらの観測の成果の一つは,日本海,東シナ海上空の航空機観測で明らかとなった大陸から日本に向かう亜硫酸ガスの移流である。この航空機観測では,済州島沖の東シナ海上空(平成4年11月8,10日)および隠岐島西方の日本海上空(11月11,12日)等を調査空域とし,それぞれ約 10000,7000,4500,1500フィートの4高度でSO2,オゾン,NOx,無機エアロゾル,PAN ,硝酸,エアロゾルの形態,エアロゾル個数濃度等が測定された。その結果,日本海上空におけるSO2の分布に興味ある観測結果が得られた。11月11日の観測では出雲沖上空付近でSO2の濃度が最も高い値を示していた。風向が南よりであったことも考え合わせると,本州のかなりローカルな汚染の影響を受けたものではないかと考えられる。一方,11月12日には隠岐島西方の日本海上空で非常に高濃度のSO2が観測され,日本に向かって徐々に濃度が低下する幅広い分布を示した。この観測地点での風向は西ないし北西であったので,このデータは大陸からの強い影響を示しているものと解釈される。なおこの時,島根県隠岐と長野県八方尾根において集中的な地上観測も同時に行われた。東アジア特に中国における化石燃料の使用量が著しく増加している現在,このような観測結果は重要な意味を持ち,わが国と大陸との間の洋上大気に含まれる汚染物質の動態について今後さらに詳細に観測を行う必要を示している。

 一方,「酸性物質の生態系に与える影響」に関する研究では,例えば,わが国で最も多量に酸性雨が降下し,大陸起源の酸性物質の影響が懸念され始めている屋久島をその調査フィールドに取り上げた研究が始まっている。中国大陸から東に約800km,東シナ海と太平洋に挟まれた屋久島は,直径約25kmの島である。樹齢数千年の縄文杉,大王杉に象徴される島の自然は奥深く,亜熱帯−温帯−亜高山帯に至る森林生態系の中で,数々の貴重な動植物が生命の営みを繰り返している。しかし,このかけがえのない島に多量の酸性雨が降っていることはあまり知られていない。

 屋久島の基盤岩石は島の周辺部を除いて大部分が花崗岩であり,急峻な山岳地帯の表層土壌は多量の降雨による侵食を受けて薄い。屋久島の渓流水を分析してみると,含まれる各種イオンの量は大変少なく,雨水に近いことが多い。花崗岩の山岳地帯を流れる渓流水の場合,総イオン量の一つの目安である導電率がわずか15μS/cm前後のものが少なくない(日本の渓流水の多くは通常50を超え,河川下流部では200前後の値を示すことが多い)。また,pH4.3 を基準にしたアルカリ度(水に酸を加えた時pH4.3までの低下に対する緩衝作用を示す)も0.05mg当量/l以下と大変小さく,すでに微酸性を呈しているものが少なくない。これは渓流水が酸性雨で容易に酸性化されうる状態にあることを示している。島内の河川(渓流)を大別すると,微酸性の河川,雨量の多い時期に酸性側に,少ない時期に中性側に変化する河川,ほぼ中性の河川の3つに分けられる。このように屋久島では酸性雨による河川の酸性化が起きているようである。

 これまでの予備調査の結果では,多量の半死半生の白骨樹(杉)が分布する標高1500m以上の地域の土壌中の交換性カリウムの量が著しく少ないことが明らかとなっきている。このため,多量に降る酸性雨が花崗岩地帯から,杉の生長に必要な元素,例えばカリウムを溶脱させ,その溶脱が生長の阻害要因となっている可能性は否定できない(必須金属欠乏説)。このような可能性を含め,屋久島酸性雨に含まれる酸性物質の起源や森林生態系や河川生態系等への影響について,今後さらに調査を進めるための準備が行われている。屋久島降水および河川水の継続的な観測,硫黄やストロンチウム等の安定同位体比を用いた酸性物質の起源を探る研究,土壌・岩石の化学組成に関する研究,樹木の植物栄養学的研究,森林や河川に分布する生物の種類とその耐酸性に関する研究,杉を対象とした環境汚染の経年変化に関する研究等がその主なものである。

 このような研究計画に加えて,本年度は中国大陸から屋久島に向かう大気質の成分についても調査を行うため,東シナ海上空での航空機観測も予定されている。

(さたけ けんいち,地球環境研究グループ酸性雨研究チーム総合研究官)