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微小試料中の元素の存在量および同位体比の精密測定法の開発と応用

省際基礎研究の紹介

柴田 康行

1.はじめに

 魚の耳の石をご存じだろうか。魚が好きで頭の部分を骨までしゃぶって食べる人は,ご覧になったことがあるかも知れない。縁がぎざぎざで厚みがあり,左右一対で頭骨中に隠れている白い花びらか葉っぱのような形をしたもの。サンゴと同じ炭酸カルシウムの塊である魚の耳石は,魚の成長と共に層を重ねて大きくなっていき,輪切りにするときれいな年輪構造が見える(図1)。縁の方では厚さ数十ミクロンにも満たないこの年輪状の層の中には,その時々の周囲の環境情報が,魚というフィルターを通して反映され,蓄積されている。こうした環境試料の微小領域から環境情報を読み取るために,元素濃度や同位体比を精度良く測定するための技術開発が,平成2〜4年度の3年間にわたって,森田昌敏化学環境部長をリーダーとする科学技術振興調整費省際基礎研究課題として行われた。その中で筆者が関連したミクロレーザーアブレーションシステムの開発を中心に,研究の概要を紹介する。

図1  耳石切片の顕微鏡写真

2.ICP−MS:元素/同位体の超高感度分析手法

 様々な高感度元素分析法の中で,質量分析法をベースとする方法は,個々の元素の同位体に関する情報を得ることができる点で際立った特徴を持っている。単に試料中の元素濃度ばかりでなく,同じ元素の異なった同位体同士の比率を測定することにより,同位体希釈法という精度の高い分析手法の適用が可能となるほか,その物質/元素の発生源を探ったり安定同位体を目印として代謝経路や環境中の挙動を解明するなど,環境中の物質の動態に関する新しい研究の局面が開けてくる。同位体比の測定は,環境分析において極めて重要な意義を持つものといえる。本研究では,超高感度元素・同位体分析法である誘導結合プラズマ質量分析法(ICP−MS)を分析法の柱としながら,3つの技術開発を行った。すなわち,(1)ICP−MSに微小試料/微小領域を気化導入するための,ミクロレーザーアブレーションシステムの開発,(2)妨害を除去し,より高精度の測定を行うための,二重収束型質量分析計をベースとするICPー高分解能質量分析装置(ICP−HRMS)の開発,(3)装置の性能評価並びに実試料の定量のための一連の標準試料の開発,である。

3.ミクロレーザーアブレーションシステム

 レーザーで固体試料を蒸発/飛散させ,高温プラズマ等に導入して元素組成を調べるレーザーアブレーション(又はレーザーサンプリング)法は,高感度な元素分析法であるICP−MSと組み合わされて次第に広がりつつある。従来は主に固体の直接分析法として用いられてきたレーザーアブレーション法を小型・精密化して,ミクロンレベルの微小試料/微小領域の局所分析法として用いるための技術開発を,本研究の1テーマとして行った。詳細は省くが,レーザー照射条件と蒸発/飛散した物質の輸送条件を再検討し最適化しながら装置開発を進めた結果,既存のシステムに比較して実に3〜4桁もの高感度化を図ることができた。分解能も,面積的に従来システムと比較して数十〜数百分の1に縮小され,最小で直径約5ミクロン,最大では約25ミクロンのすり鉢状の穴を試料表面にあけ,最大時には10ppbレベルの元素を1回の照射で検出できる。図2に,耳石のストロンチウム(Sr)/カルシウム(Ca)濃度比(縦軸)を測定した結果を示す。図1の濃淡の縞模様(約100ミクロン間隔)の部分を交互に分析してみた結果で,縞に対応してSr/Caの比率が周期的に変化している様子が明らかである。炭酸カルシウムの結晶が試験管内でできる時に,その中にまぎれこむSr/Caの比率が温度に比例することはすでに明らかにされているが,魚体内でできた耳石の中のSr/Ca比から周囲の海水温度を推測することもできるのだろうか。魚の生育を通じて経験された周囲の環境情報を小さな耳石からどれだけ引き出すことができるか,研究者にとって夢はつきない。

図2  耳石中のSr/Ca比

4.おわりに

 より微小の試料から,より高感度に,より精度良く,必要な情報を引き出すことは,環境分析における永遠の課題といえる。ICP−HRMSの開発も進み,血液中微量元素の正確な測定等に威力を発揮しつつある。本研究での成果をもとに,今後さらに実試料を対象とした研究の進展が期待される。

(しばた やすゆき,化学環境部動態化学研究室長)