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環境中の化学物質−特殊な事例と一般的な現象−

研究ノート

白石 寛明

 我が国で使用される化学物質の種類は,化学物質の生産量の増加率を数倍上回る勢いで増加している傾向にある。これは,近年,化学物質の他製品との差別化,高機能化,高付加価値化が追求された結果,製造量は少ないものの多種類の化学物質が製造され,使用されるようになった結果によると思われる。化学物質の中でも塩素原子を含む,いわゆる有機塩素化合物は,化学物質の機能を高める上に欠くことのできない物質群であり,化学工業製品に占める割合は大きなものがある。工業製品の国内統計によると,有機化学製品の製造及び輸入量の13%以上,プラスチックの18%,農薬では,生産量の46%が塩素を含んだ有機化合物である。ところが,このように便利な化学物質群ではあるが,塩素で置換した有機化合物は元の親化合物と比較して,脂溶性が増し,化学的に安定なものとなり,また生物による分解性が減少する場合が多いことが知られている。このことは,環境中での残留性や生物濃縮性が増すことを意味し,環境サイドからは,環境汚染につながる可能性を考慮しておく必要がある。

 このような状況を踏まえ,現在,環境中の有機塩素化合物の暴露量評価と複合健康影響に関する特別研究を行っている。化学物質のリスク評価の第一段階である「リスクの同定」の暴露研究側からのアプローチとして,環境中に存在する塩素化合物の種類についての調査をいくつかのモデル地域において行ってきた。有機物質を試料から抽出してガスクロマトグラフ質量分析法を用いて同定するという,現在では定番となった方法での調査であるが,ある河川から今までに報告のない化合物を含むいくつかの有機塩素化合物の存在が確認された。これらは,ベンゼン環の2,4及び6の位置が塩素で置換した一連の化合物群で,2,4,6-トリクロロニトロベンゼン,2,4,6-トリクロロチオアニソール,2,4,6-トリクロロフェニルヒドラジンとホルムアルデヒド,アセトンから生成するヒドラゾンなどである。

 これらの物質は他の河川で同様の調査を行っても観測されない,いわゆる「特殊な事例」の一つである。手間はかかるが上流をさかのぼっていけば,いずれはどこかの放流水にたどりつけるはずであるし,化学物質の製造や使用に関する情報が整備されていれば,化学反応からの類推で割と簡単に汚染源が特定できるだろう。同じような「特殊な事例」はかなりの頻度でみられ,例えば,最近では臭素や塩素を含むアニリン類などの物質が測定されているし,過去にも同様の報告が国内外を問わずいくつもある。これらの事例は,汚染範囲が地域的に限られており,また,化学物質の種類も異なるため,その都度,個々に対策を立てれば当面の汚染問題は解決するかもしれない。しかし,少量であるが多品目の化学物質が製造される傾向にあることを考えると,新規な化学物質による局在的な汚染という問題は,化学物質汚染の現代の汚染形態として「一般的な現象」であると捉えたほうが適切であると思われる。「特殊な事例」として個々に対策を立て当面の汚染問題を解決するのではなく,地域における流通,発生源やそれに伴う情報の管理システムのありかたを含めた,包括的な化学物質対策の仕組みによって,この「一般的な現象」を防止する必要性が感じられる。

(しらいし ひろあき,地域環境研究グループ, 化学物質健康リスク評価研究チーム)

執筆者プロフィール:

東京大学大学院博士課程 中退。理学博士。