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飛行機から見たメタンの発生源としての西シベリア低地

研究ノート

遠嶋 康徳

 シベリアの西方,ウラル山脈とエニセイ川に挟まれたところに世界最大の低地,西シベリア低地がある。詳しい世界地図を見てみると,西シベリア低地を流れるオビ川に沿って広大な湿原が一面に広がっていることがわかる。もちろんこの湿原も世界最大規模のもので,全世界の湿原のおよそ20%を占め,面積にすると日本の約2倍の広さに相当する。湿原では有機物が微生物によってメタンに分解され大気中に放出されており,西シベリアの湿原はメタンの重要な発生源と考えられている。さらに,西シベリア低地には世界最大級の油田・ガス田が存在しており,石油や天然ガスの採掘・精製施設や輸送のためのパイプラインなどからの天然ガス(メタンが主成分)の漏出の可能性が指摘されている。

 メタンは二酸化炭素と同様に温暖化気体であり年々その大気中の濃度が増加しているため地球環境への影響が懸念されている。西シベリア低地はメタンの発生源として特に重要な地域であると考えられているにもかかわらず,これまでにシベリアでの観測はほとんど例がなかった。国立環境研究所はロシア中央大気観測局と共同で航空機を用いた温暖化気体の濃度分布の観測を1992年からシベリアにおいて毎年夏に行ってきた。私は1993年からこのプロジェクトに参加し,メタンの連続測定装置を用いてシベリア上空のメタンを観測してきた。その結果,シベリア上空のメタン濃度が様々な要因で変動すること,西シベリア低地の上空できわめて高濃度のメタンが存在することなどを明らかにした。

メタンと高度のグラフ
図 1993年の夏にシベリアの上空で観測されたメタン濃度の鉛直プロファイル
 白マークは西シベリアの湿原上空での観測結果で黒マークはシベリアの北極圏のツンドラ地帯での観測結果を示している。西シベリアの湿原でメタンの放出が盛んであることが分かる。

 特に,湿原上空の観測では午前中の(7〜10時)に高度数百メートル以内で非常に高濃度のメタンを観測した(図)。これは夜間に地表面から放出されるメタンなどの物質が地表面付近に蓄積するために起こる。夜間に蓄積が起こるのは,日没後放射冷却によって地表面の温度が下がると大気が下層から冷やされ下が冷たく上が暖かい状態(これを逆転層と呼ぶ)になり大気が上下に混合しにくくなるからである。翌朝,地表面が再び暖められると対流が活発に行われ地表面に蓄積したメタンは上空に運ばれて行く。このようなメタンの蓄積は油田上空でも観測され,パイプラインや採掘施設の直上で局所的に非常に高濃度のメタンを観測した。これは,実際にメタンの漏出を確認した数少ない観測例である。

 西シベリアのメタンの発生源としての重要性はこれまでの航空機観測で確認された。それでは,いったいどのくらいの量のメタンが放出されているのだろうか。ここでは,湿原の場合に限って考える。通常,フラックスの測定には湿地の上に箱のようなおおいをかぶせその中の濃度増加率からフラックスを計算する,いわゆるチャンバー法が用いられる。このようにして得られたフラックスを使って湿地全体からの放出量を推定するのであるが,実はこれは非常に難しい仕事である。というのは,湿原からのメタンのフラックスは空間的に非常に変動が大きいからである。チャンバー法で測定できる面積は高々1m四方であるため,測定されたフラックスがその湿原の代表的な値である保証はどこにもない。

 そこで,航空機観測で得られる空間的な濃度分布を用いて広い範囲からのメタンの平均的な放出量の推定を試みている。これは,夜間に地表面付近に形成される大気の逆転層に蓄積されるメタンの量(=夜間の放出量)を翌日の午前中に観測されるメタンの濃度分布から推定するもので,逆転層を大きな箱に見立てた大規模なチャンバー法のようなものである。1994年に西シベリア低地のプロトニコヴォで行った3日間の予備的な実験では約50kmにわたる湿原からの平均放出率として約80mg/m2/dayという値が得られた。この値は,例えばアラスカのツンドラ地帯で観測された広い範囲からの平均的放出量約50mg/m2/dayと比べても大きな値であるといえる。1995年の夏にはさらに頻度を上げた観測を行い,現在その結果の解析を進めている。今後,地上でのチャンバー法で得られたフラックスとの比較を行うことで,より確からしい放出量の推定が期待される。

(とおじま やすのり,大気圏環境部大気動態研究室)

執筆者プロフィール:

東京大学理学部化学科卒業,理学博士(化学)。専門は地球化学・分析化学。現在は体力が無いにもかかわらずシベリアや離れ小島でのフィールドワークが多い。趣味はケーキ作り。