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電磁環境と健康

研究プロジェクトの紹介(平成9年度開始特別研究)

新田 裕史

 最近,あちらこちらで電磁波が健康に与える害についての記事やニュースを眼にする。物理学や電磁気学の教科書をひも解くと電磁波はその周波数によってガンマ線,エックス線,紫外線,可視光,赤外線,マイクロ波,ラジオ波から50Hzや60Hzの商用領域の超低周波まで,非常に広いスペクトルを持っている。さまざま取り上げられている「電磁波」の内容をみてみると,あるものは携帯電話から出るGHz(ギガヘルツ,109Hz)前後のいわゆる電波のことであったり,電子レンジから漏れるマイクロ波であったり,送電線下の電磁場であったりする。このような「電磁波」の健康影響をはじめて疫学研究によって示したのは,1979年のWertheimerとLeeperによる米国デンバーでの研究報告であった。それは送電線の近くに住む子供に白血病が多いのでないかというものであった。これは発表時点では大きな話題にはならなかったが,1992年にスウェーデンの研究者が大規模な疫学研究で同様の結果を報告したことから世界的な関心を持たれるようになった。これらの研究は50Hzや60Hzの商用領域の超低周波を取り上げたものであった。これらの領域の「電磁波」は,波長が数千kmにもなることからエネルギーとしては非常に小さく,報告された影響はその「波」としての性質ではなく,電流の周囲に生じる「磁場(磁界)」による可能性が考えられるようになった。

 我々は現在,多くの電気製品に囲まれ,電力を利用した生活をしている。言い換えれば,電磁環境の中で生活している。電力利用の増加した現代社会では日常的となっている低レベルの超低周波(50〜60Hz)電磁場への暴露によって,白血病の他にも,脳腫瘍,乳がんあるいはアルツハイマー病のリスクが上昇している可能性を示唆する疫学的データが報告されている。これらの報告で示されているレベルは,これまで生理的影響を考慮して安全とされてきたレベルよりはるかに低いレベルである。その妥当性について国際的には盛んに研究されているが,科学的な知見は現在のところ非常に不足している。このような超低周波電磁場への暴露をうけている人口は非常に多数にのぼり,示唆される健康影響が事実であれば,必要とされるであろう対策が社会・経済に与える影響は計り知れない。そこで,平成9年度から3年計画で「超低周波電磁界による健康リスクの評価に関する研究」と題する特別研究を開始し,科学的知見の集積を図ることとなった。この特別研究では大きく三つの研究課題を取り上げている。

 第1は「ヒトを対象とした低レベル電磁界暴露実験」である。この課題では,研究所内に低レベル電磁界暴露装置を作成する。この装置は約2m四方の大きさの部屋の内部に,50Hzの交流電磁界を三次元的にほぼ均等に発生させるもので,約2mの木製ベットを中に入れ,被験者に夜間睡眠をとらせた状態で,μTレベルの電磁界を暴露時間,パターンあるいはレベルを変化させて,生理的反応の有無あるいは大きさ等について検討するものである。一般に,人は様々な種類の外界からの刺激に反応する。例えば,暑いときに汗をかく,明るいところから暗いところに行くと眼の瞳孔が大きくなるなども環境の変化に対する生理的反応である。生理的反応は脳波,心電図,筋電図,内分泌系など種々の手法によって把握される。我々が最も注目しているのは脳内の松果体ホルモンであるメラトニン分泌抑制との関連性である。元々メラトニンは光刺激によって抑制されることが知られている。同様の現象が電磁場暴露によって生じるかどうかを精密な条件設定を行った暴露実験によって検討する。

 第2は「動物および細胞を対象とした低レベルから高レベル電磁界暴露実験」である。この実験では上記のヒトを対象とした暴露実験では実施できない高レベル及び周波数を変化させて同様な実験を行うほか,培養細胞系での電磁界暴露の影響を検討する。

 第3は「ヒト集団における暴露レベルの評価」である。電磁場の発生源は我々の生活のいたるところに存在している。我々が実際にどの程度のレベルの電磁場に,いつどこで暴露しているかを調べることは,電磁場のリスクを正しく評価するためには基本的な事柄である。それを類型化するためには,いろいろな地域で多様な人々の暴露レベルを生活行動に則した形で測定することが必要である。そのために小型の個人暴露モニターを用いた調査を実施する予定である。

 先に述べたように,「電磁波」の健康問題として取り上げられているものは,周波数の範囲はさまざまであり,疑われている健康影響についても種々のものがある。また,職業上での暴露の問題から一般環境での暴露の問題まで対象もさまざまである。国際的にも多くの機関がこの問題に携わっている。本研究では,一般環境での商用電力に係わる超低周波の電磁場の健康影響に焦点を当てて取り組んでいく計画である。

 * T(テスラ)は磁束密度を表す単位。たとえば,地磁気の大きさはおおよそ50μTである。磁束密度の単位としてはG(ガウス)が使われることもある。

 1μT=10mGである。

(にった ひろし,地域環境研究グループ都市環境影響評価研究チーム総合研究官)

執筆者プロフィール:

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了,保健学博士。
WertheimerとLeeperの論文は普段から読んでいる学術雑誌に掲載されたが,最初は気にもとめなかった。リスクを認識する難しさを痛感している。
趣味はテニス,音楽,料理。