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オタマの祈り−原索動物と海の物質循環

研究ノート

中村 泰男

 海の中には変な生き物がいる。今回取り上げる原索動物の<i>Oikopleura dioica</i>(体長約1mm,和名ワカレオタマボヤ,以下オタマと略す)もそのひとつである。オタマはその名が示す通りオタマジャクシの格好をしており,水に漂いつつ世界の海に生活している。オタマを変な生き物たらしめているのは,その生活様式である。彼らは紙風船状の「ハウス」と呼ばれる多糖質のすみかを作り,その中に暮らしている。そして,尻尾を振動させると紙風船の穴から新鮮な海水がハウスの中に流れ込む。この時,オタマは口から投網状の「摂餌フィルター」を展開し,入ってきた海水に含まれる小さな生物を濾しとり,これを生活の糧としている。摂餌フィルターで捕まえられる餌の大きさは,1/50から1/2000mm程度であり,バクテリアや「ピコ植物プランクトン」<sup>*</sup>さえも餌として利用できる。

 さて,ここ15年来,海洋プランクトン生態学の大きな課題の一つは,バクテリアおよびピコ植物プランクトンは,一体どんな生物によってどのくらい食べられているか?を明らかにすることであった。この点をはっきりさせることは,海の中での食物連鎖を通じての物質循環の理解や,ひいては地球温暖化に果たす海の役割の評価につながるということもあり,膨大な論文が生産された。その結果,バクテリアとピコ植物プランクトンは,1/500mm程度の原生動物(HNF)によって主に捕食され,オタマが濾しとる量はたかが知れているというのが,現在では通説となっている。

 1995年夏,瀬戸内海の家島諸島で海の環境調査と実験を行った。この実験は,1/10mmメッシュのふるいでろ過した海水をガラス瓶に詰めて栓をし,海に一日漬けておくというもので,オタマとは本来なんの関係もない実験であった。ところが,ある日の実験で,卵から生まれたてのオタマがふるいを通過し,実験海水に多量に混入した。しかも海水中のオタマ以外の生き物はバクテリアとピコ植物プランクトンがほとんどであった。実験を開始した時点でのオタマの「頭」(正式には胴)の長さはほぼ1/10mm 前後であったが(図1A),23時間後にサイズを測ると,前日のほぼ2倍,体重にして,5倍の増加となっていた(図1B)。つまりオタマはバクテリアとピコ植物プランクトンを食べてあっという間に体が膨れたわけであり,これは,体重30kgの豆力士(生まれたてのオタマ)が米粒(バクテリア)と小麦粒(ピコ植物プランクトン)だけを水とともに飲み込んで,36間後には300kgの小錦八十吉関(現,佐ノ山親方)に変身することに相当している。一方,オタマの小錦化が起こった時点で,海の中にも大きな変化が起こり,バクテリアとピコ植物プランクトンが激減し,同時にオタマの量が爆発的に増加した(図2)。こうした一連の結果は,オタマがバクテリアやピコ植物プランクトンの捕食者として重要な働きをしていることを示すものであった。ただ,このデータだけではオタマの大爆発がひと夏の珍事だったのかもしれないとの想いが残る。そこで,1997年の夏はオタマのバイオマス(1m<sup>3</sup>に含まれる,対象とする生物の総重量)の変化をもう少し詳しく追跡した。その結果,1カ月の調査期間を平均すると,瀬戸内海のオタマのバイオマスは上述のHNFと同程度であり,バクテリアやピコ植物プランクトンの捕食者として,オタマはHNFに匹敵する働きをしていることが示された。つまり,オタマは1995年夏だけの一発屋ではなかった。この調査でわかったもう一つの重要な点は,オタマの「メゾ動物プランクトン」(1mmくらいの動物プランクトン)としての重要性である。メゾ動物プランクトンは小魚の餌となることで魚類の生産を左右している。教科書的にはメゾ動物プランクトンの主要部分は「カラヌス目かいあし類」(カラノイダ;ミジンコのような生物)で占められるといわれているが,夏の瀬戸内海でのオタマは,バイオマスでカラノイダに匹敵し,生産量(バイオマスを単位時間当たり増加させる能力)では上回る。従って,バクテリア-オタマ-かたくち鰯のシラス-夏アジとつながる食物連鎖が瀬戸内の魚を支えているのかも知れない。

 家島での調査・実験により,海の中の変わり者とだけ思われていたオタマが実は生態系の中で重要な役どころを演じていることが明らかとなった。しかし,へんてこで重要なのはオタマだけではない。食物連鎖の観点からは無視されがちであった生物の生態的役割をきちんと明らかにし,物質循環のモデルに組み入れてゆくことが,将来的には海の保全に役立つことを,筆者は本気で信じている。そして,「これからも海を肌で感じさせて下さい」とエビス様に祈っている。皮膚感覚こそ海を知る出発点だと思うから…。

*ピコ植物プランクトン:バクテリアと同じくらいの大きさ(1/1000mm)の植物プランクトン。「通常の」植物プランクトンは1/100~1/20mm。ピコ植物が全植物プランクトン重量に占める割合がかなり大きいことから,海の中の重要な生物群と位置づけられている。

サイズと頻度の図
図1 オタマの「頭」のサイズ(TL)の頻度(fi)分布
(A)実験開始時,(B)23時間後。1000μm=1mm。
日ごとの変化のグラフ
図2 オタマとピコプランクトンの個体数変化
海のオタマの個体数(●;1l あたり)の激増が,バクテリア個体数(○;1m lあたり何百万個入っているか)やピコ植物プランクトン個体数(□;1m lあたり何十万個入っているか)の激減と同時に起こっていること。8月3日(Aug.3)以降のデータに注目。

(なかむら やすお,地域環境研究グループ 海域保全研究チーム)

執筆者プロフィール

 1952年生まれ。海なし埼玉で育つ。
<趣味>軟式野球,夜行寝台列車で飲むウイスキー。