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ダイオキシンによる胎児への影響と胎盤の機能変化

研究ノート

石村 隆太

 ダイオキシンは,生殖機能の低下,腫瘍形成や免疫抑制等の様々な生体の異常を引き起こすが,なかでも胎児への影響はとりわけ重要な問題である。ベトナム戦争時の死産・流産や奇形の発症率の増加は大量に撒かれた枯葉剤に混入したダイオキシンによると考えられている。また,ダイオキシンに暴露されたセベソの住民において出生胎児の女児への偏りが生じてきていることが最近報告され,その原因として子宮内で流産がおきている可能性も考えられている。現在我々の生活空間では,このような高濃度暴露にさらされる危険性は低いが,日常生活において知らないうちに蓄積されたダイオキシンが問題にならないとは限らない。ダイオキシンによる胎児の流産・死産は,いわゆる「予防原則」をもって対処すべき問題であり,早急なメカニズムの解明が必要であろう。

 卵生の生物と異なり,ほ乳動物の胎児は,胎盤を介して外界と連絡をとっている。胎盤は,主に胎児由来の細胞から構成されており,広義の意味において「胎児の臓器」である。また,主に(1)栄養物の代謝,(2)母子間の免疫反応の回避,また(3)ホルモン分泌機能等,様々な機能を営んでおり,「胎仔の生命を維持する器官」ともいえる。胎盤には母子間の血液が混じり合うことのない血液関門が存在するため,物質によって透過性が異なる。例えばメチル水銀などは透過性が高く,胎児の神経組織に蓄積することで神経障害を起こす。一方,ダイオキシンは透過性が比較的低く胎盤というバリアでまず防御される。

 私たちは,比較的低用量のダイオキシンを用いて実験を行った。妊娠ラットに体重1kgあたり1μg前後のダイオキシンを投与すると胎仔の死亡率が増加することを観察した。このとき,生存している胎仔の胎盤の組織を観察したところ,胎盤を構成する細胞の一種であるグリコーゲン細胞数が,対象群に比べダイオキシン投与群で増加していることを観察した。これをうけて,胎盤グリコーゲン量の定量を行ったところ,投与群ではグリコーゲン量の増加傾向が見られた。これまで,高用量のダイオキシンを成熟動物に投与すると肝臓のエネルギー代謝機能が異常になることが知られていた。しかし,私たちは,より低用量のダイオキシン暴露によって胎盤のグリコーゲン代謝機能が変化することを明らかにした。

 ダイオキシンによる胎児の死亡は複雑な毒性反応の結果起きていると予想されるが,胎児への作用として以下のようなモデルを提唱することができよう(図参照)。一つは,ダイオキシンが直接胎児に影響を及ぼすメカニズムである。もう一つは,ダイオキシンが胎盤の機能を変化させ,二次的に胎児の死亡を引き起こすメカニズムである。今回私たちは,胎仔の死亡率が増加しはじめる低用量において胎盤にも変化がおきることを明らかにし,胎盤がダイオキシンの明らかな標的部位であることを示した。ダイオキシンによる胎盤の代謝機能の変化と,胎仔の死亡との関連性について調べていくことは今後の重要な課題である。私たちはダイオキシンをモデル化合物として,胎盤の機能変化が胎児の異常に先行するメカニズムについて,現在,集中的に取り組んでいる。

機構の図
図 ダイオキシンによる胎仔の死亡の機構
ダイオキシンが胎盤を透過して直接胎仔に作用するメカニズム(青矢印)と,ダイオキシンが胎盤に作用し(黒矢印),二次的に胎仔に影響を及ぼすメカニズム(赤矢印)があると考えられる。私たちはダイオキシンが胎盤のグリコーゲン代謝に影響を与えることを見いだした。

(いしむら りゅうた,環境健康部病態機構研究室)

執筆者プロフィール:

東大農学部獣医学科卒,平成11年1月に入所。三十路の峠を越えたばかりの先月,第一子が誕生しました。お茶の間スポーツ観戦もにぎやかになりそうで,楽しみです。