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流域の水環境管理モデルの開発にあたって

シリーズ重点特別研究プロジェクト:「流域圏環境管理研究プロジェクト」から

村上 正吾

 『東アジアの流域圏における生態系機能のモデル化と持続可能な環境管理プロジェクト』(参照:国立環境研究所ニュースVol.20 No.1)は,図1に示すように,長江(揚子江)・黄河の源流~流域全体~沿岸域~東シナ海~日本沿岸という『水』で結ばれる一つの広大な空間領域を対象として,中国の急激な社会経済発展とその環境への圧力の実態と,環境との調和の在り方についての研究を,衛星データ解析チーム,海域環境管理研究チーム,流域環境管理研究チームの3つのチームで進めています。研究の進め方の根底には,衛星モニタリングという『目』によって,この広大な領域を鳥瞰し,常に全体像を理解しようという意識があります。また,環境の保全・管理のためには,衛星で観測された現象が,何故,起ったのかの原因(機構)を明らかにすることが常に必要で,衛星・海域・流域の3チームとも,現地調査の結果と比較することで,物理・化学・生物学的な要因の把握に努めています。海域および流域チームは,この5月に,植物プランクトンの光合成に必要な光を制限する長江の河川水の濁りが河口から東シナ海に向かって沈降することで,生物生産がどのように変化していくのかを船舶調査しました。また,衛星および流域チームは,衛星による視覚化された画像が実際の状況をどの程度反映しているかの現場踏査を,中国の草原地帯と畑作地帯で行いました。全体像を意識しつつ,3チームとも常に個々の現象の理解に努めようとしています。

全体像の図
図1 プロジェクト全体像

 流域の環境を管理しようとする目的のためには,現象を定量化しておくことが必要です。そのため,衛星モニタリング,現地調査で定性・定量的に理解された現象の本質的な機構のみを抽出し,これを数学的に表現します(数理モデル化)。一つの生起現象であっても,実際は幾つかの現象が複雑に絡み合った結果ですから,個々の要素的なモデル(サブモデル)の相互関係を示した組織(構造)的なモデル(システムモデル)として構成することで,具体的な管理の道具となってきます。現在,衛星・海域・流域の3チームは個別にモデル開発を進めていますが,最終的には,これらのモデルは環境と調和した流域圏作りを支援する管理モデルという形で統合化されます。

 流域環境管理チームでは,土壌の表層や地中,河道内に存在し,水に溶け込んであるいは水の移動に伴って輸送される種々の物質の輸送過程を追跡することが可能なモデルの開発を目指し,まず,水と土砂の輸送のモデルを作成しました。モデルの適用対象は流域面積180万km2(日本の約5倍弱の面積)という長江では,これまでの日本の河川流域を対象とした水文モデル(流域内の降雨が河川に流入する過程と量,河川流量を推定する)を単純に適用する訳にはいきません。そのため,植生被覆,土壌構造,土地利用等の地理的地形的な不均一性を組み込み可能なように工夫するとともに,衛星から得られる広大な長江の地理環境情報をすぐに反映できるように設計されています。また,降雨が河川へ集水される過程は,流域内での雨の降り方(降雨の継続時間と空間的な分布)に大きく左右されるため,モデルに入力する精度良い降雨量データをどのように収集するかが問題となっています。

 図2,図3は,1988年を対象に,長江上流域に位置する嘉陵江流域(流域面積:16万km2)を対象に実施した水と土砂輸送の数値シミュレーションの一例です。数値シミュレーションにあたって用いた日降水量としては,地球全体を対象として作成されたデータセット(ISLSCP:国際衛星陸地表面気候計画)と,地上観測値を用いて流域内の雨量分布を推定したデータセットの2組を用いました。図2は水文モデルに基づいて計算された観測点(北培)での流量計算結果です。6月(Jun)下旬から8月(Aug)初旬の夏季の豪雨性降雨に対して,ISLSCPデータセットに基づく計算値(水色線)に比べて, 地上観測値に基づく計算結果(赤線)は観測値(●印)の鋭い変化を再現しているとともに,ピーク値の再現性も改善されていることが認められます。一方,図3に示されるように,土砂の輸送量は,降雨強度あるいは流量という作用外力の累乗に比例するため,降雨量や河川流量の再現性が低いと,観測値(●印)とISLSCPデータセットに基づく計算値(水色線)とのずれは河川流量の推定の場合よりずっと大きくなります。例えば,6月(Jun)初旬,7月(Jul)初旬,9月(Sep)の初旬と下旬では,計算結果は量的なずれのみならず時間的なずれも認められます。地上観測値に基づく計算結果(赤線)は,明らかにこうした点の改善が見られます。

月ごとのグラフ
図2 河川流量によるモデルの検証
(●印と赤線,赤線と青線の差に着目)
モデル結果のグラフ
図3 浮遊土砂濃度によるモデルの検証
(●印と赤線,赤線と青線の差に着目)

 こうして長江を対象に開発された大流域内での水と土砂の輸送の様子を表すモデルは,日本国内の小さな流域にも適用が可能であり,例えば釧路湿原保全のための土砂管理への応用が図られています(参照:国立環境研究所ニュースVol.19 No.2)。日本最大の湿原である釧路湿原の面積は,1970年代からこの30年間で約63%に減少し,現在,急速に変化しつある釧路湿原の環境保全のための管理手法が求められています。湿原とその周辺の農業開発とそれに伴う蛇行河道の直線化(勾配が急になり水と土砂の輸送能力が向上)に伴う大量の土砂の湿原への流入が,湿原環境の急変の原因の一つとして考えられています。ただし,これはあくまでも定性的な推測であり,それを裏付けるための定量的な検討を数理システムモデルを用いて検討中です。

 流域全体のシステム的な理解に基づくことで,長江・黄河という大流域から釧路川流域という小さな流域まで,スケールの大小にかかわらず,流域の環境と調和した発展を支援する水環境管理モデルの開発を流域環境管理チームは進めています。

(むらかみ しょうご,流域圏環境管理研究プロジェクト)

執筆者プロフィール

近頃の標語:早寝早起き,定時退社。好きなこと:日がな一日,茨城の田舎道をあてもなく歩き回ること。不思議に思うこと:職住近接の研究所で自家用車の多いこと。