ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

環境ホルモンの計測および評価手法の開発

シリーズ重点特別研究プロジェクト:「内分泌かく乱物質の総合的対策に関する研究」から

白石 寛明

 化学物質のリスク評価は,物質固有の性質である有害性(ハザード)の用量依存性と対象とする個人・個体や集団の曝露量との比較によりなされる。内分泌撹乱作用による有害性は,生物個体の内分泌系に変化を起こさせ,その個体又はその子孫に健康障害を誘発することとされるが,想定されている有害性のメカニズムについては不明の点が多く残っている。また,個人への健康影響を防止するためのエンドポイント(悪影響を評価する際の着眼点あるいはその項目)と多くの生物群の集団からなる生態系を保全するためのエンドポイントとは,別の考え方を必要とするとされるが,両者ともいまだに社会的な合意を形成するにいたっていない。一方,特定の化学物質の野生生物や人に対する曝露量や濃度は,実際の環境試料や食物などの分析・モニタリング結果から予測することができる。特に,水質分析の結果は,水生生物への曝露濃度の予測に直接的に適用が可能である。環境ホルモンの分析には,ガスクロマトグラフ質量分析法(GC/MS)がよく用いられ,水試料に対する検出下限値は,おおむね0.01μg/lという極めて低い濃度まで測定できる。

 しかし,化学分析にも,採取したサンプルの代表性の問題に加えて,解決しなければならないいくつかの問題点がある。1)内分泌撹乱化学物質として分析対象となる物質の多くが,多量に生産・使用されている物質であるため,分析に使用する器具,機器,試薬および実験室の空気に環境試料以上の濃度で存在することがある。例えば,フタル酸ジ-2-エチルヘキシルなどの分析において,操作ブランクの影響で検出下限を下げることができないなどの問題や,2)内分泌撹乱化学物質には,有機スズ化合物のように,微量で有害性の影響が出る物質があり,極めて高感度の分析が要求されるが,高い感度と高い定量精度を同時に達成することが困難な場合があることなどである。正確な測定値を得る技術の開発は,曝露評価の精度に直結し,リスク評価そのものを左右するもっとも重要な部分であるため,本プロジェクトにおいては,環境媒体中に含まれる環境ホルモンとされる物質を定量するための高感度計測技術の開発,簡単に実施できる簡易計測手法の開発および高速液体クロマトグラフ質量分析計(HPLC/MS/MS)などの新たな手法の導入を積極的に行っている。

 不十分な分析法を用いると,誤ったリスク評価をしてしまう場合がある。例えば,17β-エストラジオール(E2)は,水中濃度10ng/lで魚の雌化を引き起こす。この濃度を目標(有害性)として監視するための分析感度は0.1ng/l程度が必要となるが,一般的なGC/MS法での測定は,極めて困難である。過去に報告された霞ヶ浦湖水中のELISA法(免疫化学的な測定法)によるE2濃度は,数~数十ng/lであり,この曝露濃度は,生息する魚の雌化を引き起こすレベルに達している(リスクがある)ように思われた。しかしながら,本研究で新たに開発された負イオン化学イオン化(NCI)質量分析法による測定で,霞ヶ浦湖水中のE2濃度は年間を通じて1ng/l以下であることが示され,湖水には,魚を雌化するほどのエストロゲン作用はないことがわかった。一方,E2などのステロイドホルモンは抱合体として動物から排泄されるため,ホルモンとしては不活性な形態をとる。しかし,下水放流水では,抱合体はステロイドホルモンとして再活性化することが報告されているように,その環境中での挙動を把握するためには,抱合体を含めた高感度測定法が必要である。そこで,HPLC/MS/MS法を用いたE2とその抱合体を含む代謝産物の定量法を開発し,都市河川や霞ヶ浦で測定を行った。その結果,都市河川では,代謝産物の一つであるエストロンがE2の10倍程度(10~数10ng/l)存在したが,エストロン硫酸エステル(数ng/l)を除き抱合体はほとんど検出されなかった。霞ヶ浦においても濃度が低い以外は同様であり,環境中でのエストロゲン作用に占める抱合体の寄与は大きくないことがわかりつつある。また,特別な装置を必要としない簡単な分析法も重要である。環境測定用として開発されたE2およびエストロゲンの免疫化学的な測定法(ELISA法)と上に挙げた機器分析法の比較検討を行い,注意深く設計されたELISA法を用いれば,環境水中のエストロゲンが簡便に感度よく測定できることを示すなど一定の成果を収めつつある。

 内分泌撹乱作用をホルモン活性として科学的に評価するためには,化学物質の分析と内分泌撹乱作用のバイオアッセイ(生物検定法または生物学的検出法)との連携が不可欠である。本プロジェクトでは,環境試料にも適用可能な環境ホルモンの新たな生物学的検出法の開発に関する研究として,酵母Two-Hybrid Systemによる試験法(図1)を中心に,アッセイの簡便化,高感度化のための改良・開発を行っている。酵母Two-Hybrid Systemによる試験法で,エストロゲン,アンドロゲン,甲状腺ホルモンのアッセイ系がすでに確立している。本法は培地や測定法を工夫することで,多試料を4時間の培養時間で迅速かつ高感度に測定でき,またS9(体内での薬物代謝を考慮する試験法)によって代謝活性化した試料にも適用可能であり,環境中で見いだされるホルモン活性のスペクトルを把握する有力な手法となっている。現在,他のホルモン受容体を組み込んだ酵母の開発,レセプターへの競合反応によるアンタゴニスト試験法を構築中である。酵母Two-Hybrid Systemを用いたアッセイはその有用性が認められ,いくつかの地方自治体の研究機関との間で共同研究が実施されている。そのほか,魚類の試験法に必要なメダカのビテロゲニン(卵黄タンパク質の前駆体)のELISA法による全自動分析法およびマイクロプレート法の測定系を確立しており,試験法の国際協調の観点から韓国との共同研究を開始している。

試験の模式図
図1 酵母Two-Hybrid system によるエストロゲンのスクリーニング試験の模式図
(左:エストロゲンがない場合,右:エストロゲンがある場合)
エストロゲン受容体(ER)にエストロゲンが結合すると,コアクティベータとERが相互作用し,特別に設計されたDNA結合領域(DBD)と活性化領域(AD)が近づくことで,遺伝子のスイッチが入る。

 環境中に内分泌撹乱化学物質は存在するのか?という問いに化学物質の分析は十分には答えてくれない。大規模な全国調査がなされ,「環境ホルモン」と呼ばれる物質の濃度がわかったとしても,数多くある化学物質の中から内分泌撹乱化学物質の疑いのある物質の一部を測定したに過ぎないと批判されるであろう。環境媒体中に含まれる「環境ホルモン」を定量的に評価するためには,越えなければならないハードルが数多く存在するが,高感度でしかも正確な計測技術の開発,環境試料に適応できるバイオアッセイの開発,およびこれらを活用した環境調査から,この現象の実像に,すこしでも迫るよう研究を加速できたらと感じている。

(しらいし ひろあき,環境ホルモン・ダイオキシン研究プロジェクト
計測・生物検定・動態研究チーム総合研究官)

執筆者プロフィール

自分では名前の通り寛・明と思っているので,人から細かいと言われるところが心外。でも,これは研究者として訓練されてきたせいと妙に納得している。機器の修理,器具洗い,コンピュータ,草取りは得意。最近は細かい字を嫌う。