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地球の変化に敏感に反応する日本海の姿

【研究ノート】

荒巻 能史

 日本海は最大水深3700m超の太平洋の縁辺海ですが,海水の出入口あたる4つの海峡(対馬,津軽,宗谷,間宮)が水深200mにも満たないため,ちょうど底の深いお椀のような形をしています。日本海の表層,水深およそ200~300mには東シナ海から対馬海峡を通って入ってきた対馬海流が日本列島沿いを北上し,津軽,宗谷海峡から流れ出ています。そのため,この対馬海流によって蓋をされた形で,水深およそ300mから海底直上には「日本海固有水」と呼ばれる水温0.1 ℃,塩分34.07psu(PracticalSalinity Unit(実用塩分単位):試料と塩分既知の海水の電気伝導度の比から計算される塩分の単位)前後のほぼ均質な水塊が存在しています。その名の示すとおり,この海水は周辺海域には見られない日本海固有の水塊で,日本海全体の80%以上を占めています。最近の詳細な観測から日本海固有水は単一の水塊ではなく,水深1000m付近までの「上部固有水」,水深2000m付近までの「深層水」,さらには2000m以深の「底層水」に分類できることが分かってきました(図1)。最も深いところに存在する底層水は,日本海北西部が冬季の冷たい季節風によって冷やされること,あるいは結氷・融解することによって,密度が増加した表層水が海底付近まで沈み込むことで作られているものと推測されています。この形成過程は,ちょうど北部大西洋で見られる深層水形成と同じです。外洋における深層水の循環にはおよそ2000年を要するのに対して日本海の場合はおよそ100年と推測されていますから,日本海をモニタリングすることは海洋環境の変化を20分の1に時間を短縮して編集して見ていることになります。一方,表層では北緯40度付近に南から流入する暖流(対馬海流)と北部日本海を循環する寒流(リマン海流)が接する亜寒帯前線が存在し,北西太平洋でいうところの黒潮と親潮の関係にあたります(図2)。このように,日本海は小さいながらも外洋で見られる様々な地球規模での海洋現象が存在していることから「ミニチュア大洋」とも呼ばれ,海洋研究のための格好の“実験場”を提供しています。

図1 日本海の構造
図2 日本海の表層海流
 代表的なもののみを模式的に表しています。
赤線が暖流,青線は寒流を示しており,
暖流と寒流が接するあたりが北緯40度付近となります。

 日本海では,過去数十年の間,底層水中の溶存酸素量が徐々に減少していることが報告され,私たちに大きな衝撃を与えました。なぜならば,地球の温暖化によって底層水形成が停滞し,表層の豊富な酸素が深層に運ばれにくくなったことが原因ではないかと考えられるからです。これを裏付けるように,1960年代から大和海盆南部定点における深層水中の水温はわずかに上昇傾向にあることも分かってきました。つまり,日本海は,温暖化によって,すでに変化し始めていたわけです。ミニチュア大洋・日本海で確認されているこれらの「変化」は,近い将来の海洋環境における変化を暗示していることは間違いないでしょう。近年,温暖化に伴う様々な環境変動,あるいは環境影響が報告され始めていますが,海洋環境への影響を評価し,対策を講じるには,まずは私たちにとって身近な日本海の変化を正確に把握してそのメカニズムを解明することが近道と言えます。しかしながら,政治的背景から日本海における総合的な観測研究は皆無に等しく,底層水の形成機構や循環像など,十分な理解には至っていません。日本原子力研究所(現在:日本原子力研究開発機構)では,ロシアによる放射性廃棄物の海洋投棄を機に,1990年代後半より日本海全域における人工放射性核種の分布調査,並びに日本海深層の物質循環について観測研究を実施してきました(図3)。今回は,これらの観測によって得られた海水流動のトレーサー(追跡子)として有効な放射性炭素(14C*)の広範な分布をもとに,最近明らかになってきた底層水の特性やその循環について紹介します。

図3 日本原子力研究所(現在日本原子力研開発機構)による海洋観測点
 丸印で示した地点において,海面から海底直上まで,25~100m間隔で海水をくみ上げ,様々な化学成分の分析を行いました。

 図4には,各観測点(図3中の丸印,合計約70観測点)で海表面から海底直上で得られた約1300個のΔ14Cデータを鉛直的に示しています。Δ14Cとは,14C濃度の表現方法の ひとつで,標準となる物質の14C/12Cに対する目的とする試料の14C/12Cの大きさを千分率(‰:1‰=0.1%)で表したものです。図中では,図3に示した日本海盆の北側にあたる北部日本海,日本海盆西部,日本海盆東部,及び対馬,大和海盆を含む南部日本海の4つに海域分けして表示してあります。各海域とも表層の+70‰から深度とともに指数関数的に濃度を減少させる傾向にありますが,水深2000m以深では,-50‰から-65‰の範囲でほぼ一定の値となります。この水塊が先に説明した底層水で,各海域における平均値は,日本海盆西部,南部日本海,日本海盆東部の順に小さくなります。Δ14Cが小さいということは,その海水が大気と接している海面から海中へ と沈み込んでからの見かけ上の経過時間が長い,つまり“古い”海水であることを示します。すなわち,もし底層水の起源が一つであると仮定するならば,その起源は日本海盆西部付近の表層水であり,これが日本海中央部にそびえ立つ水深1000mにも満たない大和堆(図2参照)を囲むように反時計回りの循環をしていることになります。ここで興味深いことは,日本海盆西部と南部日本海の底層水のΔ14Cが同程度のであるのに対して,日本海盆東部が約10‰も低い結果となった点です。この差を単純に海水の“年代差(年齢差)”で表すと約80年に相当するのです。日本海盆西部付近の表層で沈み込んだ底層水が,日本海盆西部と南部日本海では比較的はやく混合するにもかかわらず,距離にして数百キロしか離れていない日本海盆東部に到達するのに数十年を要するとはちょっと考えにくい結果です。図4の底層水のΔ14Cをよく見ると,日本海盆東部に比べて日本海盆西部や南部日本海のばらつきが大きいことが分かります。私たちの最近の解析から,このばらつきが大きい海域ほど過去数年から十年ほどの間に深層へ沈み込んだ表層水の影響を受けていることが分かってきました。さらに,海水中の他の化学成分の精密分析の結果と照らし合わせていくと,日本海盆東部に見られる底層水は北部日本海の水塊に見られる特徴と大変似ていました。私たちはこれまで底層水がひとつの大きな循環をしていると考えてきましたが,これらの結果から,どうやら日本海盆の東部と西部,言い換えれば,亜寒帯(日本海盆東部や北部日本海)と温帯(日本海盆西部や南部日本海)の底層水の起源は各々異なっていて,それぞれ異なった循環をしているかもしれないという疑問が生じてきました。

図4 日本海全域における放射性炭素(Δ14C)の鉛直分布
図3に示した,北部日本海,日本海盆東部,日本海盆西部,及び南部日本海の4つに海域分けして表示しています。グラフ中の数字は,水深2000m以深での平均値と標準偏差,かっこ内は水深2500m以深での平均値と標準偏差になります。(拡大表示)

 先に紹介した底層水中の溶存酸素量の減少傾向,及び深層水温の上昇傾向は,それぞれ日本海盆東部,及び南部日本海の定点観測から得られた結果です。これまで私たちは,これらの「変化」を日本海における温暖化影響として一括りで評価してきましたが,今回の私たちの研究によって,全く異なった温暖化プロセスを経た結果であった可能性が出てきたわけです。日本海は海洋研究のための実験場だと表現しましたが,ひょっとするともっと複雑な海域なのかもしれません。しかしながら温暖化に対して敏感に反応する海域であることには間違いないので,これからも日本海の「変化」を地道に追いかけていきたいと思っています。

(用語)
 *14C…炭素には12C,13C,14Cの3つの同位体があります。14Cは空気中の中性子と呼ばれる微粒子と窒素(14N)が衝突することで作られ,絶えず電子(β線)を放出し14Nに変わることから,大気中にはほぼ一定の14C原子が存在しています。14Cが14Nに変わる現象は放射性崩壊と呼ばれ,極めて規則的に起こっており,最初にあった原子の数が半分になるのに約5730年を要します。つまり,大気と接することのなくなった物質中の14Cと12Cの比(14C/12C)は,その経過時間が長いほど小さくなります。この現象を利用した代表例として,遺跡の発掘物の年代測定が挙げられます。

(あらまき たかふみ,化学環境研究領域
動態化学研究室)

執筆者プロフィール

 日本原子力研究所(当時)から環境研に移ってきてもうすぐ丸5年になります。学生の頃からずーっと海の環境に関わる研究をしているので,40年近い我が人生のうち,少なくとも1年以上は海の上で過ごしている計算になります。ちなみに“船酔い”の経験はありませんから,天職かもしれませんね。今年もこれから冬の日本海の荒波へ出港します。