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酵母アッセイで環境を測る −環境試料や化学物質からの受容体作用の検出−

【環境問題基礎知識】

鎌田 亮

 「コウボ?・・・酵母ってパンを焼いたり,お酒を造るときに入れる菌?」・・・まさにその酵母が化学物質による健康影響の研究や環境調査に役に立っているのです。

 人類は生活の向上のために,これまでたくさんの化学物質を人工的に作り出してきました。日本の産業界では,現在5万種類以上の化学物質が使われていて,毎年500~600種類ずつ増えていると言われています。そして,意図的,あるいは非意図的に環境に送り出された化学物質は,人間自身の健康を害したり,野生生物の減少を招いたりしてきました。

 では,個々の化学物質が人間や生物に対して害があるかどうかはどのようにして判断するのでしょうか? 私達研究者は,実験動物や植物,生物由来の様々な材料(培養細胞,細菌,抗体や酵素等のタンパク質など)を使った試験法=生物検定(bioassay,バイオアッセイ)によって有害性の評価を行います。しかしながら,実験動物や植物を用いる試験法は,生物への化学物質の作用を直接的に検出することができますが,一般に試験期間が長く,多大なコストがかかり,動物愛護の点からも,多くの化学物質に安易に適用することはできません。そのため,近年は動物試験の前段階に位置づけられる迅速で簡便な試験法の開発・実施に力が注がれるようになりました。それらの一つに各種の受容体遺伝子を導入した酵母を用いる検定法(酵母アッセイと略)があります。

酵母アッセイとは?

 人間や動植物の遺伝子を人工的に組み込んでその能力を持たせた酵母菌を使って,化学物質の生物への作用とその強さを測定する方法です。生物は,細胞間で情報を伝達するための微量物質(ホルモンや神経伝達物質など)を体内で合成し,必要に応じて放出して,標的となる細胞の受容体に結合させることで生理作用を発揮します。人工的な化学物質がこの受容体への結合能力を持っていると,何らかの理由でそのような化学物質が体内へ侵入した場合,本来の情報伝達が上手く行えなくなり,生物に有害な影響を引き起こすと考えられます。私達の研究室では,人間やメダカなどから得られた様々な受容体の遺伝子を組み込んだ酵母を使って,どのような化学物質がどのような受容体と結合して作用(活性)を示すのか,また,それらの活性物質がどのような環境(水や大気など)に存在するのか,を調べています。代表的な例として,内分泌かく乱物質(いわゆる環境ホルモン)を調査研究する手法の一つとして,動物の女性ホルモン(エストロジェン)受容体の遺伝子を導入したエストロジェン受容体導入酵母アッセイがあります。

 酵母アッセイのしくみを図1に簡単に説明しますと,酵母の細胞内には組み込まれた受容体の遺伝子から受容体が発現していて,(1)受容体に作用するような化学物質が酵母に入ってくると,(2)化学物質は受容体と結合し,(3)受容体と化学物質の複合体は共役活性化因子(図1の注釈参照)とともにDNA上にある受容体の結合領域に結合して,(4)転写装置によるDNAからRNAへの転写を開始させます。これにより,(5)受容体結合領域の下流に組み込まれた酵素の遺伝子がmRNAへと転写され,酵素のタンパク質へと翻訳されます。この翻訳された酵素の活性を測定することによって,化学物質の受容体への作用を検出することができ,測定される酵素活性の強弱は翻訳された酵素量を示しているので,受容体作用の強弱も判定することができます。この受容体導入酵母を用いたアッセイ法は,生物試験や培養細胞を用いた方法と違い,飼育管理や煩雑な操作がないため迅速で簡便な試験法と言えます。

図1 酵母アッセイの原理
図1 酵母アッセイの原理
 注)受容体と転写装置の橋渡しをして遺伝子の転写を開始させる物質

酵母アッセイと化学物質の作用

 表1に示す各種の受容体を導入した酵母アッセイで,さまざまな化学物質に受容体への作用(結合活性)があることが分かってきました。病気治療の目的で受容体作用を持つように作られた合成ホルモンなどの医薬品を除いて,ほとんどの化学物質の作用の強さは,高いものでも私達が本来体内に持っている受容体作用物質の数十分の1以下です(図2,レチノイン酸受容体の例)。しかしながら,人工的に作られた化学物質は,天然の物質よりも生物体内での分解や代謝が遅いことが多く,持続的に作用したり,本来の作用物質の効果を妨害したりすることで影響を及ぼすと考えられています。特に自然界では,野生生物は環境を汚染している化学物質を避ける術をもたず,近年では作用の強い医薬品などの化学物質が環境中に排出されていることもあり,汚染環境に生息する生物が影響を受けている可能性は否定できません。

表1 本研究所で使用している酵母アッセイの種類と作用のある化学物質の例
表1 本研究所で使用している酵母アッセイの種類と作用のある化学物質の例(拡大表示)
図2 レチノイン酸受容体に作用する化学物質の例(クリックすると拡大表示されます)
図2 レチノイン酸受容体に作用する化学物質の例(拡大表示)
 本来の作用物質である全トランスレチノイン酸は濃度とともに相対活性が増強する。
図中の4-n-ヘプチルフェノールのような化学物質の作用は全トランスレチノイン酸の数十分の1以下であるが,同様の挙動を示した。横軸は対数表示。nM : n (nano) =十億分の一を表す単位,M = mol/l。

環境試料への適用

 環境汚染の研究において広く行われている計測機器による分析では,河川水や大気などの環境試料中に含まれる既知の化学物質の量は測定できても,その作用を検出することはできません。酵母アッセイは,試料中の化学物質を各物質の存在量としてではなく,受容体への複合的な作用の強度として測定しているので,河川水などの環境試料や食品に応用すると,その試料の持つ受容体への作用という“定質的”な分析が可能となります。例えば,都市部を流れる川の水にはたくさんの化学物質が混入していますが,現在の技術では汚染化学物質のすべてを測定することはできませんし,すべての化学物質について生物への作用の情報があるわけではないので,そのような環境に生息する生物への影響は分かりません。一方,酵母アッセイによる分析は,個々の受容体への作用を検出できるので,生物が受容体作用から受ける生理機能への影響を推定することができます。現在では,数多くの知見の蓄積から,受容体への作用を検討することによって,河川水などの環境試料の汚染源あるいは汚染化学物質の大まかな推定も可能となってきました。

おわりに

 化学物質を安全に使用するためには,その化学物質の持つ性質を見極め,使用の用途と量を十分に管理していくことが大切です。そして,環境汚染の調査により,人間を含めた生物にどのような影響の可能性があるのかという情報を提供しなければなりません。酵母アッセイは,環境汚染の分析に受容体作用という新しいカテゴリーをもたらしました。受容体作用を迅速・簡便に推測できるこの試験法は,化学物質の有害性評価にも環境汚染の調査にも有用な手法であると期待されています。

(かまた りょう,環境リスク研究センター
環境曝露計測研究室)

執筆者プロフィール

 山歩きや野鳥観察が好きで環境研究を志すも,もっぱら室内での研究生活の毎日で十数年過ぎてしまいました。大学時代に覚えた野鳥の名前も出てこなくなったので,研究活動への英気を養うためにも,自然に親しむ時間を増やしたいなあと思っているこの頃です。