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越境大気汚染の実態を探る

【シリーズ重点研究プログラム: 「アジア自然共生研究プログラム」 から】

高見 昭憲

はじめに

 近年,アジア地域では経済的な発展がすすみ,エネルギー消費が増え,大気中への物質の排出が増加しています。「アジア自然共生研究プログラム」における「アジアの大気環境評価手法の開発」プロジェクト(国環研ニュース25巻6号参照)では,サブテーマとして「アジアの広域越境大気汚染の実態解明(観測研究)」という課題をもうけ,地上観測や航空機観測などを行い大気汚染物質の濃度変動,輸送される物質の化学変化,空間的分布や立体的構造の解明を行っています。これまでの観測的研究でわかってきたことを紹介します。

越境輸送のパターン

 沖縄県にある国立環境研究所辺戸岬大気・エアロゾル観測ステーション(以下辺戸ステーション)での観測をもとに春季の越境輸送のパターンについてわかったことを紹介します。なお,地上観測の拠点である辺戸ステーションや,以下の文章で出てくるエアロゾル(微粒子)の測定法については国環研ニュース24巻4号と6号を参照してください。

 越境大気汚染を考える上で,その輸送過程を基本的に支配しているのはアジア地域に典型的な気圧配置です。日本は,夏は太平洋高気圧に覆われ,冬は大陸性の高気圧に支配されます。春は移動性の高気圧が中国大陸から日本へ移動し,前線を伴う低気圧と高気圧が交互に日本を通過します。春季,前線通過後に二酸化硫黄(SO2)や一酸化炭素(CO)などのガス状大気汚染物質や粒子状物質濃度が上昇するケースが見られます。多くの場合,前線が東シナ海を通過した後,中国大陸沿岸部に高気圧が進入し,山東半島から九州沖縄地区にかけて,すなわち,東シナ海を北西から南東方向にむけて風の場が形成されます。この風の場によって物質が輸送されると考えられます。

 越境大気汚染の典型的な例を以下に示します。図1は2005年辺戸ステーションで観測した,SO2,オゾン,粒子に含まれるサルフェート(SO42-)の濃度変動を示したものです。2005年3月18日の深夜から朝方にかけてSO2,SO42-とも急激に濃度が上昇しました。天気図では,3月18日午前中に前線が沖縄付近を通過して太平洋に移動し,高気圧が北京の南方に移動してきました。流跡線解析によると上海から山東半島にかけての中国の沿岸地域から空気塊が輸送されてきていました。空気塊が大陸方面から移流しやすい状況になっており,辺戸ステーションで観測された濃度上昇は中国起源の空気塊の輸送によってもたらされたと推測できました。

図1 2005年辺戸ステーションで観測した物質の濃度変動(左)と3月18日の後方流跡線図(右上)および天気図(右下)
 左図の横軸のTime/JSTとは日本時間であらわした時刻を表す。縦軸の各物質はO3:オゾン,CO:一酸化炭素,SO2:二酸化硫黄,SO42-:サルフェートをあらわす。なおCOは10分の1にしている。縦軸のppbvとは体積基準での大気中の各成分の割合を表し,ppbとはparts per billion すなわち10億分の1(1×10-9)のことである。重量濃度のμgm-3は1立方メートルあたりの重量をグラム単位で表したもので,μ(マイクロ)は100万分の1(1×10-6)のことである。右上の後方流跡線解析図は,日本時間の2005年3月18日午前0時(緑),3時(青),6時(赤)に辺戸ステーションに到達した空気の塊がそれ以前にどこを経由して来たのかを計算で求め,結果を表した図である。

輸送中の物質の変化の解明

 排出源近くではSO2,一酸化窒素(NO),揮発性有機化合物などとして放出される物質も,大気中では光化学反応などを経てさまざまな物質に変化します。SO2は大気中や雲粒などの液滴中で酸化されSO42-に変換されます。SO2は輸送中の天候により物質の反応速度が変わり,輸送後の物質の組成が変化します。窒素化合物はもう少し複雑であり,発生源ではNO,二酸化窒素(NO2)としてオゾンの反応サイクルに寄与します。一方で,NO2は反応によりガス状硝酸(HNO3)となり,乾性あるいは湿性沈着で消失します。ただし,アンモニア(NH3)があると硝酸アンモニウム(NH4NO3)となり微粒子を生成します。さらに粒子状のNH4NO3は輸送中に黄砂など粗大粒子に取り込まれ輸送されることもあります。このように窒素酸化物は化学反応を起こすと共にガス,粒子とその形態(相)変化を起こしつつ輸送されるため,気相と凝縮相(粒子)の両方に含まれる窒素酸化物を測定する必要があります。

 2006年から2007年にかけて辺戸ステーションにおいて窒素化合物の長期観測を行いました。中国での観測は中国環境科学研究院の王博士のグループと,また反応性窒素化合物(NOy)やHNO3の観測は大阪府立大の坂東教授のグループと共同で観測しました。図2に粒子とガスに含まれる窒素酸化物の割合,および,微小粒子と粗大粒子に含まれる窒素酸化物の割合を時間に対して示します。時間ゼロの点は中国での観測結果を用いたものです。この結果から,輸送される間に粒子中の窒素酸化物が増加し,粒子の中では粗大粒子に含まれる窒素酸化物の割合が増加していることがわかります。中国でNOとして放出された窒素酸化物も輸送される間に,HNO3や微小粒子のNH4NO3を経て,辺戸ステーションに到達する時には粗大粒子に多く含まれていることを観測から明らかにしました。

図2 2006年4月5日から4月24日の観測データを解析して得られた,輸送中の窒素酸化物の動態
 左)ガス成分(緑)と粒子成分中(赤)の窒素酸化物の割合。赤い点で示した粒子成分中の窒素酸化物が輸送時間とともに増加した。右)微小粒子中(紫)と粗大粒子中(橙)に含まれる窒素酸化物の割合。橙色の点で示した粗大粒子中の窒素酸化物が輸送時間とともに増加した。両図とも輸送時間ゼロの点は中国での観測結果である。また輸送時間は辺戸ステーションを基点とした後方流跡線解析から求めた。

 モデルでは取り扱いの難しい粒子中の窒素化合物や有機化合物については,地道で丁寧な観測を行うことによって輸送中の物質の変化を明らかにすることができます。有機物の変化についても検討しており,その例として,健康影響が指摘されている多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbon:PAH)の輸送と変質について本号の「環境問題基礎知識」で取り上げていますので参照してください。

長期観測からわかること

 1992年から国環研の村野らにより沖縄辺戸岬でフィルターサンプリングによる粒子状成分の組成が観測されています。当時,粒子中に含まれるSO42-濃度は大体3μgm-3でした。我々は2003年10月から連続してエアロゾル質量分析計(Q-AMS)を用いて微粒子中の組成分析を行っています。ここ数年のSO42-の値は5~6μgm-3程度で推移しており,当時と比較すると濃度が増加している傾向にあります。このように長期観測をすることによって,硫黄酸化物だけでなく,窒素酸化物や有機物についても大気中の濃度が増加傾向にあるかどうかがわかってきます。その結果を考慮してモデル計算を行うことにより,排出量推計の精度向上につながります。

汚染物質の空間分布や立体構造の解明

 辺戸ステーションでの地上観測だけでは大気汚染物質の空間分布はわかりません。空間分布については,長崎県福江島や中国国内で集中観測を行い,観測地点や観測データを増やすようにしています。また,鉛直分布についてはライダーを用いて微粒子の鉛直分布観測を行っています(ライダーについては国環研ニュース25巻6号参照)。さらに,越境大気汚染の典型的なパターンを示す時期を狙って航空機観測を行うことにより,大気汚染の立体的な構造を理解することができます。

 2008年春には国環研主導のもと,東シナ海域で航空機観測を行いました。春季の越境大気汚染が観測される気象パターンの時期を予測し観測を行った結果,上空では大気汚染物質の分布は一様ではなく,福江島と辺戸岬の中間点付近で高濃度のオゾンやSO2が観測され,また,辺戸ステーション上空2000m付近には地上より高濃度のオゾンが観測されるなど新たな知見が獲得されました。

 このようにいろいろな手法を用いた観測を通して,今後も広域大気汚染の実態解明を進めていきます。

 

(たかみ あきのり,アジア自然共生研究グループ 
アジア広域大気研究室長)

執筆者プロフィール

 沖縄で観測を開始して約6年です。ポスドクの研究者や学生さんが就職や卒業のため交代していく中で,装置の維持管理とともに,データの質を維持することが大変だと感じています。