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元禄の津波と平成の津波,そして環境の研究

【巻頭言】

理事長 大垣 眞一郎

 2010年2月27日チリ中部で大きな地震がありました。日本沿岸に大津波警報が出され,テレビの報道に釘付けになられた方も多いと思います。かつて1960年にもチリでの地震に伴う津波が押し寄せ,日本にも大きな被害が出ました。2004年12月に大きな津波被害を周辺国にもたらしたインド洋での地震も記憶に新しいところです。

 実は310年前にも日本への大津波がありました。1700年1月に起きた「みなしご元禄津波」と呼ばれている津波です。津波が日本の太平洋岸に押し寄せたのですが,当時は今のように国際的な情報ネットワークはありませんから,遠い地震の情報など知るよしもありません。日本の各村では,地震がないのに津波が来たということで,親(地震)がない津波という意味で「みなしご津波」,元禄に起きたので「みなしご元禄津波」という名称を付けたわけです。逆に言えば,当時の知識として,津波と地震が連動しているということは,すでに日本社会の常識になっていたわけです。

 その親である地震は,実は日本から東に8000kmも離れた現在の米国ワシントン州のシアトル沖で起きていたのです。米国の地質調査所から出版された報告(Atwater, Brian F. 六角聡子ほか, The Orphan Tsunami of 1700; Japanese Clues to a Parent Earthquake in North America, U.S. Geological Survey (Professional Paper1707), 2005. http://pubs.usgs.gov/pp/pp1707/)で明らかにされました。もちろん報告書は英文ですが,多くの引用資料は江戸時代の古文書です。ローマ字
で日本語読みのルビがありその横に英訳がついています。日本に敬意を表して表紙や見出しには日本語表示もあります。

 その報告書によると,米国地質調査所がワシントン州の地層を調べたところ,約300年前に大洪水があって地震が起きていたことがわかりました。しかし,地質学的な調査では地震発生の日時までは同定できません。これが同定できたのは,実は日本の鍬ヶ崎や津軽石,大槌といった村の武士(役人)や農民,商人が津波を文書に正確に記録していたおかげでした。その記録にある時間と場所が科学的な解析に応えられるほど正確だったことによります。日本への津波到達から逆算して,1700年1月26日だと計算できたのです。日本では当時かなり正確な地図があり,上記報告書にも,津波浸水被害の地域が記載された地図や絵が載っています。

 この報告書の第一著者であるアトウォーター博士は,当時の日本社会の文書作成能力の高さに非常に驚いています。一方,当時の北アメリカのワシントン州あたりは,欧州で発行されていた世界地図の中に海岸線も書き込まれていないような状況で,地震の記録文書などももちろん残っていないわけです。この報告書には,「文字を使える人たち」という見出しの記述があります。1700年のこの時代,日本の社会では,武士,農民,商人といった社会のあらゆる階層の人々が文字を書き,正確に記録し,かつ文書を保存している。そして政府である徳川幕府に報告を出している。こういうことに,アトウォーター博士は感嘆しているわけです。

 実況中継のように報道された2010年2月27日のチリ中部地震津波と,1700年のみなしご元禄津波は,大きな地球規模(太平洋)のスケールの現象が,日本列島の沿岸の港町の家屋の被害に直接繋がっている事象です。この元禄と平成の津波は,われわれに,過去に学び,自然を理解し,社会の未来を見通すことが必要であることを改めて感じさせます。環境の研究と対策の本質に通じるところがあるように思えます。正確なデータの蓄積,異なる科学分野を超えた統合的な事例分析,動的な構造の解明,予測と評価,社会への周知と対話,さらに,知識を言語で取り扱い活用できる能力を社会が持っていることなどの重要性です。

 今回の2010年2月の津波への日本の対応は,十分な情報と警鐘によって,人々に災害への準備時間と安心を与えました。地球規模から家屋の中まで,国立環境研究所は,その憲章にある「・・・・健やかに暮らせる環境をまもりはぐくむための研究」をより進め,環境研究への信頼をより高め,世界の安心へ貢献しなければなりません。

 

(おおがき しんいちろう)

執筆者プロフィール

大垣 眞一郎

 国立環境研究所の庭に,コブシから桜へと春が訪れています。つくばの四季を一巡り楽しみました。2年目の新しい発見を心待ちにしています。