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Behavioral Teratologyから 小児の環境保健疫学調査 (エコチル調査)へ

【巻頭言】

参与 佐藤 洋

 2010年度から環境省の事業として開始されている「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」は、我が国でははじめての大規模出生コホート調査*です。胎児期・出生直後の化学物質へのばく露を中心として、環境が子どもの発達・発育におよぼす影響を明らかにしようとするものです。環境と健康に関心のある分野の人々からだけでなく、産業界も含めて各界から注目され、成果への期待も大きいと考えられます。そのためか、昨秋の事業仕分けも、予算を減額されることも無く通りました。

 この調査の背景にある大きなフレームワークは、胎児期ばく露の影響が、出生後の発達・発育段階に応じて出現すると言うBehavioral teratology(「行動奇形学」と和訳される)の考え方です。

 近年「胎児期に低栄養状態であることが成人期における心血管障害のリスク因子である」という「バーカー(Barker)仮説」が、「Developmental Origins of Health and Disease(DOHaD)学説(人の健康および疾患の素因の多くは、受精卵環境、胎内環境、乳児期環境にある)」として拡大・発展しています。これらに先立つこと20年以上も前に、動物実験の結果から提唱されていたのが、Behavioral teratologyという概念です。妊娠した母ラットに投与した向精神薬が、発達中の胎内の子ラットの脳に作用し、出生後に行動上の異常として出現することが示されました。行動上の異常は、薬が代謝され直接的な影響が無くなった後観察されました。形態学上の奇形も化学物質や放射線等原因となる因子が無くなっていても、目に見えて残っています。同様に原因の消失後も行動の異常が残存するので、行動奇形と呼んだと考えられます。

 この行動奇形は、1970年代初頭にメチル水銀に妊娠中にばく露した動物実験でも明らかにされました。スパイカー(Spyker)らは、一見異常なく出生した個体が、成長後強制的に泳がせたりオープンフィールドと呼ばれる四角な箱の中に入れたり、通常とは異なる環境のもと(負荷をかけた状態)で行動の異常をもたらすことを示しました。メチル水銀は、水俣病の原因物質でもあり、生態系で生成され、生物濃縮されるので、現代でも代表的な環境汚染物質と考えられている物質です。

 胎児は子宮内で羊水や胎盤に守られて環境の影響をあまり受けないだろうと考えられていました。しかし、実際にはメチル水銀のように胎盤を簡単に通過してしまい、形成されている途中の胎児の臓器等に作用してしまう物質があるのです。完全に体の組織が出来上がっていないので、そのような物質の作用を受けてしまうと、流産や死産、奇形等がおこります。しかし、ばく露される濃度や量が比較的低かったり少ないと、出生した後に何らかの負荷をかけた時にその影響があらわれることがあるのです。

 出生した後も子どものリスクは続きます。出生直後の子どもが摂取する食物は母乳やミルクに限られるので、これらに化学物質の混入・汚染があると重大な事態になります。新生児期から乳児期までは、移動の範囲が限られているので、室内や寝具・ベッドが汚染されていれば、ばく露は大きくなります。また、ハイハイや指しゃぶりよって、ハウスダストや土壌の摂取量が成人より多くなります。背が低いために床や地面に近く、ダストや重い気体を吸入しやすく、熱せられた地面に近いことは、熱中症の発生とも関連します。

 このように胎児期を含めて子どもは成人と大きく異なり、環境の影響を受けやすい高感受性や脆弱性が存在します。そう言う意味で、環境と子どもの健康に関する調査は、注目されているのでしょう。しかし、手間ひまのかかる調査研究であり、大規模であることは、さらにそれらに拍車をかけることになります。国の事業として、しっかりやらなければいけない所以です。

 

(さとう ひろし)


 *出生コホート調査 : コホート調査とは、観察する対象集団(コホート)を定めて、長期的に健康状態を観察すること。生まれて来る子どもを妊娠中にコホートに登録し、出生時から発育・発達や健康を追跡調査することを特に出生コホート調査と呼ぶ。

執筆者プロフィール

参与 佐藤 洋

 2010年4月に参与に就任すると同時に、エコチル調査のコアセンター長に指名されました。東北大学教授(医学系研究科)として、専門の環境中毒学の中でも、胎児期ばく露の出生後の影響に興味を持ち続けてきました。コアセンター長の仕事の外にも環境省や厚労省の審議会や委員会、食品安全委員会でのリスク評価の仕事で、忙しい毎日を送っています。