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研究者であろうとすること

【巻頭言】

桑名 貴

 意図したかどうかは別として、幸いにも私の選んだ道は誰も選んだことのない研究テーマであり、成果が出るかどうかも全く保証がないものでした。周囲の状況を真面目に考えたうえで、順調に成果を出しそれなりの評価を得るためには先輩や指導者から頂いた研究テーマをこなすことが良い場合があります。また、ある程度の研究成果が蓄積されている分野では、次に何か成果が出そうな戦略を練るのが最良かもしれません。それでも、結果的には私の選んだ道は最もリスクが大きい脇道でした。山のような失敗の実験記録を眺めて効率の悪さに落ち込むことがあっても、数少ない良い成果を得られた時の喜びはいまだに最高のものです。もしも幾つかの岐路に立ったときに自分自身で悩んで決めた方向を押し通すことができなかったら、現時点までに開発してきた鳥類での生殖巣キメラ個体作製法にも、始原生殖細胞の研究分野にも足跡を残すことはできなかっただろうと確信しています。

 会社経営をしていた父が反対したにもかかわらず、生き物を研究してみたいと考えていた私は熊本大学に進学し、その地が曽祖父の親友であった寺田寅彦のゆかりの地であることに驚いてもいました。大学院時代から助手時代にかけて決して順風満帆の研究者として滑り出したわけでもなく、当時は黎明期であった分子遺伝学分野での研究テーマを指導教官から勧められても、「生き物を研究したいと思ってきたからには、せめて生命の最小単位である細胞レベルの研究がしたい」という、生意気な意見を通してもらってイモリ胚初期卵割における細胞分裂の同期性の研究をさせていただいたのです。間欠撮影の機器もなく、15分おきに卵割のスケッチを描きながら1人で2日間を過ごして各細胞がいつ、どのように分裂していくのかを記録していく作業は、初めて「生命」の不思議に触れた気がして強烈な印象が残っています。その後研究室がかわった際にも、「助手で就職しないか」、というところを断り、まずは大学院に進学させていただくことにしました。また、「始原生殖細胞の細胞形態学をやってみないか」と言われ、「研究室の全員が始原生殖細胞の形態学をやっているのですから、私は形態学ではなく細胞生理学的な視点からの仕事か、細胞培養をしてみたい」とわがままを許していただきました。結局、このことが現在までの研究者としての顔である研究テーマになっています。特に反発があったわけでもなく、自分で何がやりたいのか悩んだ末の選択であった記憶があります。今になって、あの時に頂いたテーマを選んでいたら、と考えて見ると全くイメージが湧きません。誰もまだやっていないことにあの時は執着したせいなのでしょう。そして今は、研究を行って研究を生業とすることと、研究者であろうとして研究者であることとは本質的に違うと思っています。

 本研究所に着任して8年と短い期間であるために少なからず的はずれとは思いながら、本研究所の生命科学分野が周囲の状況や空気に添いすぎ、研究者としての活力が失われたり、世界を切り開いていく研究の芽を摘み取ることのないように切望しています。一流の研究者は新しい価値観や倫理観をも創り出していくことができると信じているからです。

 最後に、2010年のノーベル医学生理学賞が、体外受精の生み親として知られているロバート(ボブ)・エドワーズ教授に贈呈されました。それに対するマーティン・ジョンソン教授(ケンブリッジ大学教授:生殖科学)のコメントを添えさせていただきます。

 「ボブの研究は常に物議をかもしてきましたが、彼はいつもひるまずにその論争に立ち向かってきました。彼は先見の明を持った人で、体外受精だけでなく、60年代の不妊治療、70年代の幹細胞など、数多くの問題について、時代に先んじた倫理的な検討をおこなってきました。1971年にはヒト胚の研究の進展を見越し、ネイチャー誌に論文を書いています。彼は、人間としても、温かく寛大なとても素晴らしい人です。英国医学研究審議会(MRC)が彼の研究は非倫理的だと非難したときには、心を痛めていました。彼の研究はすべて、非常に明快な、倫理的で人間中心的な原則に基づいていたからです。世界が彼に追いつくのに、20年、30年かかったのです」

 

(くわな たかし、環境研究基盤技術ラボラトリー長)

執筆者プロフィール

桑名 貴

 熊本大学大学院を修了後、同医学部、国立水俣病総合研究センターを経て2002年に入所。あと数ヵ月の研究所にはやり残しが山積で、呆然とするばかり。それでも卒業してしまえばサバサバしてしまうかも知れないと考えたり、次の研究を考えたり。