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2012年10月31日

生態影響評価におけるWET

●特集 生態リスク● 【環境問題基礎知識】

鑪迫 典久

 我が国の事業所の排水には水質汚濁防止法によって、COD(BOD)、SS、pH、大腸菌数、窒素、リンなどの生活環境項目(水の汚染状態を示す項目)と、カドミウム、クロム、ヒ素、水銀などの健康項目(人の健康に係る被害を生ずるおそれがある物質)の測定が義務づけられています。さらに自治体によっては上乗せ規制によるさらに厳しい基準が設けられています。一方、我が国に流通している化学物質は数万以上とされていますが、農薬取締法や化学物質審査規制法で製造・輸入時に生物試験を用いた生態系への影響が審査されており、生態影響を有する物質が環境中にみだりに流出しない様に配慮されています。ただし現行の排水規制の中には、水生生物に対する直接的な影響評価に関する記載は存在していません。年々新たに製造される化学物質に対して逐次監視を行っていくためには測定項目数を増やしていく必要がありますが、新たな測定項目の選定、改定、合意にかなりの時間を要しますし、自治体や事業所の負担が益々増加するという懸念があります。さらに現行法では少量で排出される物質、事業所内で非意図的/意図的に作られた副生成物、環境中での変化物および複数物質による複合効果を生じる物質などを必ずしも全て捉える仕組みにはなっていません。

 既存の規制を補完しつつも国民にもっと分かりやすく、しかも科学的に普遍性のある安全基準に従いながら総体的に排水を管理する手法はないでしょうか。

 環境省では、環境保全上の目標やリスク管理の在り方を含め、新たな施策の展開を求めて「今後の水環境保全に関する検討会」を立ち上げ、今後の水環境保全の在り方について検討を行い、平成21年12月に中間とりまとめを行いました。その中で、水環境への影響や生態毒性の有無を総体的に把握・評価し、必要な対策を講じるために「新たな排水管理手法の導入」として、「生物応答を利用した排水管理手法(Whole Effluent Toxicity:WET)などの有効性について検討すべき」としました。

 WET規制は米国で1995年より施行されており、事業所排水を一つ一つの化学物質の濃度ではなく、藻類、ミジンコ、魚類などの生物への毒性影響を通して総体として評価し、必要に応じて対策を要求します。つまりこの手法は、バイオアッセイの結果を数値化して評価を行う“影響規制”のシステムであり、物質を特定した上でその物質の濃度規制を行う現行の“物質規制”とは異なる概念です。バイオアッセイは適切な方法と技術を用いれば、試験の再現性や結果の妥当性及び普遍性が担保されます。排水等の複合物質(群)にもし生物影響がある場合には、有害な原因物質(群)の存在が推察されますが、たとえそれらが特定されなくても、その生物影響を除去または削減するための方策を立てることは可能です。それが米国WETで用いられているTRE(Toxicity Reduction Evaluation)/TIE(Toxicity Identification Evaluation)手法と呼ばれているものです。具体的には、TRE/TIE手法では、排水に対してまず何らかの処理を行い、その処理後に生物影響が削減されたなら、その処理によって削減(または変化)された物質の中に有害物質が含まれていたと考えます。この時に効果的だった影響の削減方法は、とりもなおさず排水改善のヒントになります。例えばキレート(金属除去)処理によって毒性が削減されたならば、原因物質(群)は金属の可能性が高いので、金属を除去するような排水処理を導入すれば毒性が低減される可能性が高い、となるわけです。同様に、例えば排水のpHを一度アルカリ側にして、もう一度中性に戻した時に毒性が削減されたなら、アルカリ側で分解または沈殿する物質群に原因物質の可能性があります。現実に原因物質を除去するためにどのような手法を選択するかはTIEの結果を参考にした上でBAT(Best Available Technology/Technique)によって事業者が判断します。

 WETシステムを日本に導入しようとする場合、試験法や科学的な根拠は米国WETと大きく変わらないと考えられますが、法的な措置や運用面では日本に適した変更が必要となるでしょう。制度のあり方については、現在、環境省の「生物応答を利用した水環境管理手法検討調査」委員会で検討中ですが、仮に社会で必要とされる役割分担の全体予想図を図1に示します。まず、試験に関する認証機関を何れかの公的機関が担う必要があり、実際にバイオアッセイを実施する上では地方環境研究機関、地方衛生研究所および民間の環境コンサルタント会社などがその公的な認可を受けることになります。バイオアッセイ技術の標準化および高度化の教育機関も重要です。また米国では州の法律によってWETが強制的に施行されており、罰則規定もありますが、日本では社会的なインフラ整備と国民の理解を得てからでないと性急に罰則を伴う規制を作るのは困難だと思われます。事業者がWETを導入するメリットとしては、生物影響の大きい排水を公共用水域に放出せずに生態系を保全するという社会的責任の遂行や、排水の環境汚染事故の未然防止または影響があった場合の原因追究などが考えられます。工場の新設や増改築の際の環境アセスメントや製造工程・排水処理の変更にともなう排水質の変化予測などにも応用可能です。またバイオアッセイを用いた排水管理手法は米国、カナダ、韓国など世界各国で既に行われており、世界標準になりつつあるという点からも国際競争力の一つとしてこのシステムを取り入れるのは事業所にとっては決して不利にはならないでしょう。当面は各種産業界の自主行動計画や自治体の推奨基準として使われる可能性が期待されます。

図1(クリックで拡大表示)
図1 生物応答を利用した排水の自主管理制度の枠組み

 生物応答を利用した水環境管理手法を導入し、仮に悪い結果を示した場合に、通常はTRE/TIE手法による調査が行われますが、その実行可否の判断は事業者に委ねられます。事業所は信頼のおける地方環境研究機関や民間環境コンサルタントにTRE/TIEを依頼することになると思われますが、依頼を受ける側は、生物、化学、物理および水処理技術等の高度な知識と経験を持ち合わせていることを要求されます。国民はより良い水環境を目指すため、事業所や行政の動きをチェックし、常に動機づけを行っていかなければなりません。

 バイオアッセイは必ずしも簡単に誰にでもできるとは限らず、決して安価ではありません。そして厳密にバイオアッセイを行えば再現性も高く、結果の信頼性もあります。バイオアッセイは機器分析の代替法ではなく、機器分析では得られない情報を得ることができる独立した手法であることを認識し、機器分析と両立させながらお互いを補完していく技術だと思われます。WETシステムを通じてバイオアッセイの理解と普及が進み、より良い水環境の保全が推進されることを望みます。

(たたらざこ のりひさ、環境リスク研究センター
環境リスク研究推進室主任研究員)

執筆者プロフィール:

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通常は内分泌かく乱化学物質、ナノ粒子、化粧品・医薬品、農薬などのメダカ、ミジンコへの影響を調べています。特技は、2分でひよこを解剖。メダカの肝臓を30秒で摘出。バドミントンの意図的?フレームショット。志賀高原スキー場の全リフト73基を一日半で制覇。

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