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2015年8月31日

妊娠期ヒ素曝露の後発影響に関連するDNAメチル化変化

特集 ヒ素の健康影響研究
【シリーズ先導研究プログラムの紹介:「小児・次世代環境保健研究プログラム」から】

鈴木 武博

はじめに

 妊娠期や乳幼児期にあたる発達期の環境が、成人後の疾患リスクに影響を与えるという概念であるDOHaD(Developmental Origins of Health and Disease)説が注目されています。これまでに、発達期での低栄養による発育遅延が、心疾患、糖尿病をはじめとする生活習慣病、発がん等のリスクを増加させることが報告されています。このような後発的な影響を引き起こすメカニズムのひとつとして、DNAメチル化をはじめとするエピジェネティクスという分子機構が関与していると考えられています。小児・次世代環境保健研究プログラムのサブテーマ1では、妊娠期ヒ素曝露による成長後の肝臓腫瘍の増加に関連するDNAメチル化変化およびそのメカニズムを解明することを目的に研究を行っています。本稿では、多くの方が聞きなれない言葉と思われる「エピジェネティクス」の用語の簡単な説明とともに、現在までに行っている研究をご紹介します。

エピジェネティクス

 「エピジェネティクス」という言葉は、個体発生に関する説の1つである「エピジェネシス(後成説)」と、「ジェネティクス(遺伝学)」を起源としています。「エピ」はギリシャ語で「後で」や「上に」という意味の接頭語であるため、「エピジェネティクス」は「遺伝子の上にさらに修飾が付加されたものについての学問」「従来の遺伝学の上にあるもの」などという概念から、DNAの塩基配列の変化をともなわずに、遺伝子のはたらきをオンやオフにする現象の総称として使われており、多くの環境因子の影響を受けやすいことが報告されています。エピジェネティクスを制御する分子メカニズムの1つに「DNAメチル化」があります。

DNAメチル化とDNAメチル化マーカー

 DNAは、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4つの塩基で構成されています。この4つの塩基の組み合わせの中で、シトシンの次にグアニンが続くCG配列のシトシンにメチル基(-CH3)が付加され、5メチルシトシンになることをDNAメチル化といいます(図1)。DNA配列のなかには、CG配列が集まって密に存在する領域があり、この領域のことをCpG islandとよびます。CpG islandのDNAメチル化は、遺伝子が働きはじめる過程に深く関与することがわかっています。

図1
図1 DNAメチル化反応
DNAメチル化とは、シトシンの5位の炭素に-CH<sub>3</sub>という分子(メチル基)がつく反応のことを指します。

 DNAのメチル化は、個体発生や細胞分化の過程をはじめとし、生物にとって必須なメカニズムのため、DNAがメチル化されることが悪影響を及ぼすということではありませんが、何かが原因で、正常なDNAメチル化状態が維持できなくなると、さまざまな疾患につながることがわかってきています。さらに、DNAメチル化変化は、突然変異よりも頻度が高く、誘発要因や生体内組織により特異的で蓄積性があります。したがって、それぞれの疾患においてDNAメチル化状態が変化する領域を明らかにできれば、その領域のDNAメチル化変化を疾患のマーカーとして使用できる可能性が高いと考えられます。

 マーカーとしてのDNAメチル化変化は、DNAがメチル化しているか否かだけではなく、DNAメチル化の程度(DNAメチル化の割合;DNAメチル化レベル)も重要であることがわかってきています。これは、メチル化の程度が、疾患のリスクと対応することが明らかになってきているからです。さらに、DNAメチル化変化は、前述したように環境要因の影響を受けやすいことも報告されているため、化学物質の曝露影響評価などに応用するための研究も盛んに行われており、CpG island以外でも喫煙などとの相関が高いDNAメチル化変化が報告されています(図2)。

図2
図2 DNAメチル化マーカーのイメージ図
疾患と対応するDNAメチル化変化領域は、その疾患のDNAメチル化マーカーとして使用できる可能性があります。

妊娠期ヒ素曝露により増加した肝臓腫瘍におけるDNAメチル化変化

 ヒ素は発がん物質であり、妊娠期から小児期にヒ素を摂取すると、成人後に皮膚、膀胱、肝臓などで発がんを増加させることが疫学研究により明らかにされています。ヒ素による発がんメカニズムの詳細は明らかにされていませんが、近年、ヒ素による発がんにはエピジェネティックなメカニズムの関与が示唆されています。

 アメリカのWaalkesらグループは、オスが肝臓腫瘍を発症しやすい系統であるC3Hマウスを使用したヒ素発がんの実験系を報告しました。これは、C3Hマウスの妊娠8日から18日の10日間のみ85 ppmの亜ヒ酸ナトリウム(NaAsO2)を含む水を自由に摂取させると、生まれたオスの仔が74週令において、対照群と比較して肝臓腫瘍の発症率が増加するという実験系です(図3)。肝臓腫瘍の発症率が増加する、という現象について注意していただきたいことは、妊娠期にヒ素を摂取したマウスから生まれた仔がすべて肝臓腫瘍を発症するのではなく、肝臓腫瘍を発症しない仔もいること、また、前述したように、もともと肝臓腫瘍を発症しやすいマウスですので、ヒ素を摂取していないマウスから生まれた仔も肝臓腫瘍を発症するということです。私たちはこの実験系を用いて、妊娠期にヒ素を摂取したマウスの仔(ヒ素群)およびにヒ素を摂取していないマウスの仔(対象群)から、腫瘍がない肝臓、腫瘍がある肝臓の腫瘍部と非腫瘍部を分けて採取し、対照群腫瘍部と比べてヒ素群腫瘍部でDNAメチル化が大きく変化するCpG islandの領域を、さまざまな手法を用いて探索しました。その結果、がん遺伝子として知られているFosb遺伝子領域を同定することができました(図4)。以上の結果から、Fosb遺伝子領域のDNAメチル化は、ヒ素が原因で発症した腫瘍とその他の要因で発症した腫瘍を区別可能なDNAメチル化マーカーとして使用できる可能性が示唆されました。

図3 ヒ素による肝臓腫瘍増加の実験系
オスが肝臓腫瘍を発症しやすい系統であるC3Hマウスの妊娠8日から18日の10日間のみ85 ppmの亜ヒ酸ナトリウム(NaAsO2)を含む水を自由に摂取させると、生まれたオスの仔が74週令において、対照群と比較して肝臓腫瘍の発症率が増加しました。
図4 Fosb遺伝子領域のDNAメチル化レベルの変化
○は測定したサンプル、太い横線はメチル化レベルの平均値、*は統計的有意差あり、n.s.は統計的有意差なし、を示します。縦軸のメチル化レベルは、値が大きいほどメチル化されている割合が高いことを示すので、Fosb遺伝子領域は、対照群の腫瘍部と比較して、ヒ素群の腫瘍部でメチル化レベルが高いことがわかりました。

おわりに

 エピジェネティックなメカニズムの重要な特徴の一つに、化学物質の曝露や生活環境など、環境要因の変化が反映されやすいことが挙げられます。DNAメチル化変化は、すでに疾患のマーカーとして診断や治療への応用が開始されていますが、環境要因変化のマーカーとしての応用可能性も期待されています。現在、私たちは、バングラデシュの研究者との共同研究において、ヒトを対象にしたヒ素曝露のDNAメチル化マーカーを探索する目的で、ヒ素汚染地域と非汚染地域の住民の血液DNAを用いて、特定領域のメチル化変化と、飲水中のヒ素濃度、生体中のヒ素濃度、その他の因子とに関連があるかどうかの検討を開始しています。予備的な検討においては、血液DNAの特定領域のDNAメチル化と、飲水中や生体中のヒ素濃度に有意な関連があることを明らかにしており、今後さらに検体数を増やし、疾患との関連も含めて詳細な解析を行う予定です。

 現在、国立環境研究所では、環境要因が子どもの成長・発達に与える影響を明らかにするための大規模な疫学調査「子どもの健康と環境に関する全国調査」(エコチル調査)が行われています。私たちは、環境要因の変化が誘導した疾患の治療や予防につながるような新たなDNAメチル化変化領域を探索し、将来的にエコチル調査に資する実験的データの蓄積に貢献していきたいと考えています。

(すずき たけひろ、環境健康研究センター 分子毒性機構研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

鈴木武博

数年前の国環研ニュースのプロフィール写真をみて、現在とあまりに変化が大きくがっかりしました。小さいころから続けているバイオリンの音色にはあまり変化がなく残念なのですが、たまに弾いて気分をリフレッシュしています。

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