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2017年6月30日

事故・災害時における化学物質調査の現状と課題

特集  国立環境研究所 福島支部を拠点とした災害環境研究の新たな展開
【研究プログラムの研究実施状況4:「災害マネジメント研究プログラム」から】

小山 陽介

 「災害環境マネジメント研究プログラム」では、今後の災害に備えるための研究に取り組んでいます。東日本大震災では、放射性物質の環境中への放出が最も大きな問題となりました。化学物質についても同様に、事故や災害の発生時には事業所などで製造・保管されている有害な物質が環境中に放出される事態が起こります。本プログラムでは、このような緊急時に特有の化学物質曝露状況に関するリスク管理を行うための研究を進めています。

 従来、化学物質の製造や貯蔵など取扱のある施設や事業所では、環境への放出量や作業者の曝露量を制御するための取り組みが行われており、リスクが十分低くなるよう管理されています。多くの化学物質は排出側の管理により一般公衆への曝露を抑制することが可能です。そのため、一般環境において濃度基準等が定められている物質はそれほど多くありません。しかし事故や災害が発生すると、貯蔵施設からの漏洩などにより、一般環境においても平常時に想定されている状況とは異なる曝露状況となり得ます。近年、NATECH(natural-hazard triggered technological accident)と呼ばれる自然災害起因の産業事故など、平常時と異なる状況に想定されるリスクを評価・管理するための研究が進められています。しかしながら、このような事故・災害時のリスク管理手法はまだ十分に体系化されておらず、また、必ずしも事前に想定された状況になるとは限りません。そのため、実際の事故や災害の現場では、リスク要因として「何を調査し、どのレベルで管理すればいいのかわからない」という問題を抱えています。リスクの判定を行うための基準値を作成しておくことで、事前に想定できなかったシナリオに対しても対策が取りやすくなると考えられます。ここでは、いくつかの緊急時における化学物質の基準値や、緊急時の化学物質調査において参考となる情報源の紹介を行うとともに、緊急時調査において有用となる情報の整理の必要性について述べたいと思います。

1. 災害発生から復興にむけた段階別の基準値の概念

 米国環境保護庁(EPA)と米国科学アカデミー(NAS)は緊急時の基準として、Acute Exposure Guideline Levels(AEGLs)を定めています。1つの化学物質について、5つの曝露時間(10分、30分、1時間、4時間、8時間)のそれぞれに対し、健康被害が想定される空気中濃度を3段階のレベル(低濃度からAEGL-1、AEGL-2、AEGL-3)で表しています。EUでは、米国や欧州各国における基準値を参照しつつ、緊急時における急性曝露のための基準値であるAcute Exposure Threshold Level(AETL)の開発が進められています。これらの欧米で検討されている基準値は、いずれも非常に短時間(最大8時間)での曝露を想定したものになります。一方、災害直後を想定したこれらの基準値とは異なる、より長期間の曝露を考慮した基準値の考え方が日本環境化学会の「緊急時モニタリング実施指針」(鈴木ら(2011))で提言されています。この指針では、緊急時の概念として、災害や事故後の対応フェーズ(災害初動、応急処置、復旧、移行時期など)を考慮し、平常時に至るまでのフェーズに応じて基準値が提案されました。図1はこれらの緊急時における基準値と求められる対応の概念を示したものになります。一般に、急性の影響を想定した基準値(AEGLsなど)と生涯曝露による影響を想定した基準値(環境基準など)の両極端のみが設定されていますが、事故・災害時には、最初に高濃度の曝露が起こり、時間の経過に伴い曝露量が減衰していくことが予想されます。このような曝露に関するリスク評価方法は現時点では体系化されていませんが、図1に示したような考え方でのリスク評価・管理が有用と考えられます。フェーズに応じた基準値を設定しておくことで、例えば、簡易な測定法によるリスクの判定などが実施可能となります。現時点でのこれらの基準値の設定においては、根拠情報が不十分な物質も多いため、毒性情報の整理や許容可能性についての検討を重ねつつ、適宜改良していくことが重要となります。

図1 緊急時におけるフェーズと基準値の概念

2. 緊急時化学物質調査のための情報整理の必要性

 緊急時の迅速な調査実施のためには、災害の質や規模などに応じて、様々な情報が必要となります。本研究では緊急時調査を実施する状況として、以下の3パターンを想定し、参考となる情報源の整理を行っています。ここでは「緊急時」の考え方として、被害の場所が明確な状況を「事故」、被害が広域でサンプリング地点やサンプリング対象(大気、河川水、地下水、土壌等)の検討が必要となる状況を「災害」と称することとします。

(1)原因物質が把握可能な事故(事業所や輸送車両からの漏洩、火災・爆発事故など)
(2)原因物質不明の事故(特定地域での健康被害の増加、魚類の斃死など)
(3)災害(地震、津波、洪水など)

 (1)については、少なくとも当該事業者は原因物質が分かっているため、緊急時調査としては適切な手法で迅速にモニタリングを実施することが求められます。そのため、緊急時基準のリスクレベルに応じた測定法を整理しておくことが重要となります。緊急時を想定したものではありませんが、測定法に関する有用な情報源として「環境測定法データベースEnvMethod」等が挙げられます。(2)では原因物質が不明なため、事故の内容を毒性情報や過去の事例と照らし合わせて、物質の絞込を行い、網羅分析等の手法により原因物質を特定することとなります。各種の毒性情報やガイドライン濃度については「緊急時環境調査に関する情報源」にまとめられており、事故事例としては「リレーショナル化学災害データベースRISCAD」等が参考となる情報源として挙げられます。(3)は上記の2ケースに比べ不確実な要素が多く、物質も場所も特定できないため、入手可能な限られた情報から、サンプリング地点やサンプリング対象の選定が必要となります。過去に実施してきた災害時調査では、化学物質排出移動量届出制度(PRTR)の届出事業所や下水道の処理区域等の情報を参照しつつ、調査地点を選定しました。PRTRの届出は、保有量ではなく排出量の届出制度であるため、事故や災害時の漏洩量を予測するのは容易ではなく、排出源となり得る事業所を網羅的に把握できているわけでもありません。しかしながらPRTR届出情報は公開されている情報としては、化学物質を取り扱う事業所がポイントソースとして示された唯一の情報源であり、緊急時調査においても有用と考えられます。

 ここまで緊急の化学物質調査において参考となる情報源を示してきましたが、一言で化学物質といっても、機関や分野によりその分類方法は様々であり、それぞれのデータベース間の対応関係は整理されていません。迅速な緊急時調査の実施のためには、利用可能なデータを緊急時に使用しやすい状態に整備しておくことが重要となります。他にも、迅速かつ適切な緊急時調査の実施のためには、平常時から簡易な測定技術を共有しておくことや自治体間の協力体制を構築しておくことも重要な課題となります。また、既存の緊急時基準については、優先順位の高いヒトへの健康影響のみが想定されていますが、広くは被災地域の生態系への影響なども想定した管理方策へと拡大検討していく必要があると考えられます。

(こやま ようすけ、環境リスク・健康研究センター リスク管理戦略研究室 研究員)

執筆者プロフィール:

執筆者写真 小山 陽介

2015年につくばに来るまで京都を離れたことがなかったのですが、関東出身の両親のおかげで言葉に違和感を持つことがほとんどありません。無意識のうちに関西弁、標準語を使い分ける自分に驚きました。