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2020年8月28日

北極のブラックカーボンはどこからくるのか?

特集 マルチスケールGHG変動評価システム構築と緩和策評価
【研究ノート】

池田 恒平

はじめに

 近年、北極圏における急激な気候や環境の変化に世界的な関心が集まっています。北極圏の気温は全球平均と比べておよそ2倍の速度で上昇しています。温暖化による海氷の減少、生態系への影響など環境への変化が懸念される一方、北極海航路の利用や海底資源の開発といった利便性も指摘されています。地球温暖化を引き起こす物質としてはCO2をはじめとする「長寿命温室効果ガス」がよく知られていますが、大気汚染物質であり気候にも影響する「短寿命気候汚染物質(SLCP: Short-Lived Climate Pollutants)」についても、気候影響を評価し、排出量を削減していくことが重要となっています。ブラックカーボン(BC)粒子は、大気中を浮遊する微小粒子(エアロゾル)の成分の一つで、すす粒子や元素状炭素とも呼ばれています。BCの発生源には、ディーゼルエンジンの排気ガス、石炭の燃焼、森林火災、薪などバイオマス燃料の燃焼などがあります。

 BCは太陽光を吸収する性質があり、大気を加熱したり、積雪や海氷面に沈着して太陽光の反射率を下げ、雪氷の融解を促進することで、気候変動を加速する可能性が指摘されています。BCは代表的なSCLPとして、その削減が近未来の地球温暖化を抑制する可能性があることからも注目されています。北極圏は地球上で最も速く温暖化が進行している地域であり、北極圏におけるBCの発生源や気候への影響を理解することは重要な課題となっています。

北極のブラックカーボンはどこからくるのか?

様々な発生源から排出されたブラックカーボン粒子が北極圏へ輸送され、沈着する様子の模式図
図1 様々な発生源から排出されたブラックカーボン粒子が北極圏へ輸送され、沈着する様子の模式図。

 北極のBC濃度は冬季から早春にかけて増加し、夏季に減少する季節変化を示します。BCの気候影響を正確に評価する上では、大気化学輸送モデルを用いて観測値を再現することが欠かせません。しかし、大気化学輸送モデルの国際相互比較実験では、北極圏におけるBC濃度の季節変化がうまく再現できていないモデルが多く、モデル間のばらつきも非常に大きいことが報告されました。大気中に放出されたBC粒子は主に降水によって大気中から除去され(湿性除去)、大気中の平均滞在時間は数日~1週間と推測されています。モデルによるBCの再現が困難な理由として、BC排出量の推計値の不確かさが大きいことや、微粒子として大気中を輸送される際に降水に除去されにくい粒子(疎水性粒子)から除去されやすい粒子(親水性粒子)へ変質する過程、降水による湿性除去過程がよくわかっていないことが挙げられます。

 北極圏で観測されるBC濃度は、アジアや、ヨーロッパ、ロシア、北米など北半球中・高緯度の主要な人為起源の発生源に加え、シベリアや、アラスカ、カナダなどの北方森林火災から排出されたBCが北極へ輸送されてきた寄与の合計として決まります(図1)。したがって、北極BCの季節変動を理解するためには、各発生源からの輸送過程や、輸送中の湿性除去過程を理解し、北極BCに対する寄与を評価することが重要になります。モデル内で発生源毎のBCを区別して計算し、観測されたBC濃度を再現することができれば、北極BCの季節変動がどのように決まっているかを調べることができます。我々は世界各地の発生源から排出されたBC粒子の排出、輸送、変質、沈着を計算できるモデルを用いて、北極圏のBCがどこからどのくらい運ばれてきて、どこへいくのか、といった発生源別の寄与や収支の評価を行いました。具体的には、発生源の種別と様々な地域ごとに排出されるBCの濃度をそれぞれ区別して計算する「タグ付きトレーサー法」を全球化学輸送モデル(GEOS-Chem)に導入しました(図2)。発生源の種別は、人為起源BC(工場や自動車など人間活動から排出されるBC)と、バイオマス燃焼起源BC(森林火災など野外火災から排出されるBC)の2種類に分けました。

(a) 人為起源及び、(b) バイオマス燃焼によるBCの年間排出量と、タグ付きトレーサーシミュレーションのための領域の設定を示す図
図2 (a) 人為起源及び、(b) バイオマス燃焼によるBCの年間排出量と、タグ付きトレーサーシミュレーションのための領域の設定を示す。東アジアは日本、韓国、中国北部、中国南部の4領域に分けた。

 我々は上記のモデルを用いて、世界各地のBC発生源が北極圏のBC濃度や沈着量に及ぼす寄与を評価しました。図3に北極圏(北緯66-90度)で平均した地表面付近及び中部対流圏にあたる高度5kmでのBC濃度に対する発生源別の寄与の季節変化を示します。まず、地表面のBC濃度に対しては、ロシア及びヨーロッパの人為起源BCによる寄与が重要であり、特に冬季と春季(12-3月)にかけて増加します。冬季のユーラシア大陸北部では降水量が少なく、BCが大気中から除去されにくいこと、また大気が安定で上下方向に混ざりにくく大気下層での輸送が起こりやすくなっていることがこれらの地域からの寄与が大きい原因です。夏季(6-8月)になると、降水量が増加するため人為起源BCの寄与は減少する一方、シベリアやアラスカ・カナダにおける北方森林火災が活発になるため、これらの地域からのバイオマス燃焼起源BCの寄与が増加します。年平均濃度では、ロシアの人為起源BCの寄与が62%と最大の寄与を占め、ヨーロッパが13%で続きます。次に、北極圏の高度5kmについて見ていきます。高度5kmでは、東アジア(日本と朝鮮半島、中国の合計)の人為起源BCの寄与が最大であり、年平均では41%を占めました。季節では、春季に最大となりました(図3)。東アジアから排出されたBCは北極への輸送中に上昇しながら到達するため、北極圏への流入は主に高度3-8kmの中部対流圏で起こります。このため、東アジア起源BCの寄与は地表面付近では大きくありませんが、高度5kmでは重要となっています。

北極圏(北緯66-90度)で平均した、(a) 地表面付近及び、(b) 高度5kmにおける月平均BC濃度に対する各発生源からの寄与の季節変化および、年平均濃度に対する寄与率のグラフ
図3 北極圏(北緯66-90度)で平均した、(a) 地表面付近及び、(b) 高度5kmにおける月平均BC濃度に対する各発生源からの寄与の季節変化および、年平均濃度に対する寄与率。

 北極圏で地表から大気上端まで鉛直積算した量(カラム量)について見ると、東アジアの人為起源BCの寄与が最も大きく(27%)、ロシアの人為起源の寄与(21%)が続きます(図4)。東アジア起源のBCは、他の重要な発生源地域(ヨーロッパやロシア)からのBCと比べて、北極圏に到達するまでに降水によって除去される割合が大きいにもかかわらず、北極圏の大気中のBCに対して重要な寄与を持っています。これは、東アジアのBC排出量が非常に大きいことが原因です。北極圏で大気中から地表面に沈着した量(沈着量)に対しては、ロシアの人為起源BCが最も大きな寄与を占め(35%)、ヨーロッパ起源の寄与(19%)が続きます。沈着量については、人為起源BCだけでなく、シベリアやアラスカ・カナダのバイオマス燃焼起源BCも重要な寄与(12-15%)を持つことがわかりました(図4)。

主要な発生源毎のBCの収支のグラフ
図4 主要な発生源毎のBCの収支、数値の単位はGg/年、四角形の大きさは相対的な量的関係を表す。

 BCによる気候への影響は、その高度分布に強く依存することが報告されています。具体的には、下部対流圏に存在するBCや雪氷面に沈着したBCは地表面の気温上昇に影響する一方、中部対流圏のBCはその場の大気の加熱や大気上端の放射強制力には影響しますが、地上の温暖化にはあまり寄与しないと考えられています。東アジア起源BCの寄与は北極圏の地表面付近では大きくありませんが、中部・上部対流圏で重要となりました。一方、地表面付近で主要なロシアからの寄与は高度5kmでは大きくありません。これらの結果は、同じ北極圏でも高度によって、主要な発生源が異なっており、したがって発生源毎のBCによって北極圏の気候に及ぼす影響も異なることを示唆しています。北極圏の雪氷の融解や地表面温度の上昇に対しては、ロシアの寄与が大きいことが示唆されます。一方、東アジアから運ばれるBCは大気の加熱や放射強制力に対する影響は大きくなりますが、雪氷に沈着して融解を促進することにはあまり影響しないことが示唆されました。

今後の展望

 東アジアは世界のBC排出量のおよそ30%を占める主要な発生源であり、北極圏のBCに対しても大きな寄与を持つことが示唆されました。一方で、BCの排出量推計には大きな不確実性があり、温暖化が顕著に進む北極圏への気候影響を評価する上でも、排出インベントリを検証し不確かさを減らすことが重要な課題になっています。人為起源の気候変動によって、豪雨や強力な台風、干ばつ、大規模森林火災など、極端な気象現象が顕在化しつつあります。SLCPの削減は今後数十年の温暖化のペースを遅らせる可能性があるため、SLCPの排出量や気候変動への影響を定量化し、削減していくことが重要となっています。今後、観測やモデルを用いた排出量の高精度化や、科学的理解の向上に基づくモデルの改良、SLCPによる気候影響の定量的評価に取り組むことが重要と考えています。

(いけだ こうへい、地球環境研究センター 地球大気化学研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の池田 恒平の写真

昼休みは野球部の練習に励んでいます。日々の練習の中で、猛暑日の増加や、暖冬の多さといった近年の気候の変化を肌で感じています。

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