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12年たった今—退任にあたって—

論評

前水質土壌環境部長 村岡 浩爾

 研究を志す者は,先ず知識を習得し,その上に立って新しい知識の創造ができる能力を持つことが必要で,そうでないとその資格はない。国立公害研究所における研究者はそれだけでなく,その創造の方向が環境科学という割合はっきりしたたが(箍)がはめられている。たがという語が強すぎるなら,社会ニーズの高い環境問題の解決に貢献すべき科学を目指すような方向づけがあると言おう。

 数年前までは,良質な種が地味豊かな畑で発芽し成育して,一部はいい実りになった。しかし昨今ではこの方法は無理だという。その外的要因は,あまりにも加速のつきすぎた地球資源の利用と消費によって,地球自体の変貌が烈しいものになってきていることによる。これを地球規模の環境問題としてとらえ,可及的に早い対応を以って科学的な解決方法を先導的に研究する責務が国立公害研究所の研究者に求められてきている。もう一つ,内的要因は,かつてはよく実り,実るはずであったものも,先の先導的研究の志向ベクトルから外れているのではないかとみられるものが多くなったことである。これらの対応として,有能な人材が多くても,もともと人事回転の悪いのが日本の研究所であるから,慌しい対応が迫られている環境科学については特にみんなが合意することに重点をおいて,一般には贅肉を落として効率的な研究をするよう強いられてきている。

 確かに特定の課題の総合的な研究のプロジェクトを,一層強化して行く方向は持たねばならない。しかし研究のプロジェクトは,ステラテジー(strategy:生きるか死ぬかの戦略)を立てればよいというものではない。兵器なら予めその能力は判っているが,研究者はそうはいかない。かつて特別研究をまとめてきたときに,研究のプロジェクトに対し,どれだけ適質な,研究者がいて能力を発揮してくれるかで,成果が決まったように思う。つまり,そのような場合には,適質な研究者を集め,研究活動を推進するリーダーシップと,その活動結果を成果にする評価力が必要になる。このようなリーダーが何人かおればいいと思う。

 貧に甘んじて眼光紙背に徹すを目指すことになる研究者はどうなるのだろう。機械には適当な遊びが必要とされているように,研究者にも内部ポテンシャルの高いシーズを生むための余裕のようなものが必要と言って下さる先人は多いが,先の外的,内的要因に照らして,そんな余裕が認められる情勢なのだろうか。無理,となれば,研究者はそれぞれ自分がどんな研究者なのか,研究所の中で自分の価値は何なのか,考えておくのがよいと思う。

(むらおか こうじ)

写真:特別講演会