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バイオテクノロジーによる大気環境指標植物の開発に関する研究

プロジェクト研究の紹介

近藤 矩朗

 大気汚染の状況を視覚的に捕らえることを目的として、様々な指標植物が利用されてきた。オゾン(O3)に感受性の高いアサガオのムラサキ、パーオキシアセチルナイトレート(PAN)に感受性の高いペチュニアのホワイトエンサイン等の品種は簡単に使用できる指標植物として使われている。大気汚染ガスに曝されると葉面にガスの種類と濃度に応じた特徴的な傷害が現れるので、傷害を観察することによって汚染ガスの種類と濃度をある程度推定することができる。しかし、同じ品種でも個体によっては傷害が現れなかったり、ガス濃度と傷害の大きさとのあいだに明確な関係が見られないなどの欠点があり、これらの問題を解決するための栽培法や調査法の検討が今も続けられている。一方、大気汚染ガスは多様化し、都市化の進行などによりほかの環境条件も変化してきたため、植物の被害の原因を決めることが困難になってきた。例えば、ヨーロッパなどで深刻な問題になっている「森林の衰退」の原因についての論争があり、酸性雨原因説、オゾン原因説、そして、ほかにも数多くの説が提出されているが、結論は出そうにない。

 近年、進歩の著しい生化学的、遺伝子工学的技術や計測技術などを導入することによって、上記の問題を解決する手法を開発することを目的として1986年度から特別研究「バイオテクノロジーによる大気環境指標植物の開発に関する研究」がスタートした。今年度がその最終年度に当たる。曝露によるタンパク質の変化、遺伝子組換えによる指標植物の作製に関して、現在までに得られた成果について紹介する。

 植物がある種のストレスを受けると、ストレスの種類に応じたタンパク質が合成されると考えられる。高温ストレスによって低分子量のタンパク質が誘導されることが知られており、ヒートショックタンパク質と呼ばれている。また、O3に曝された植物にある種のタンパク質が誘導されることも報告されている。私たちは、種々の植物にO3、二酸化硫黄(SO2)等の大気汚染ガスを曝露してタンパク質組成の変化を調べた。植物の種類によって結果は一様ではないが、0.05ppm程度のO3によって数種の植物の葉に分子量の小さいある種のタンパク質が誘導されることが明らかとなった。また、SO2はO3とは異なるタンパク質を誘導することも示した。O3とSO2がそれぞれ別々の遺伝子を活性化して、異なるタンパク質を誘導したものと考えられる(図1参照)。従って、植物に含まれるタンパク質を調べることによって、その植物がどのようなストレスに曝されているかを推定することが可能と思われる。もし、O3あるいはSO2等により、植物種によらず、共通の性質を持ったタンパク質が誘導されるならば、ストレスの種類を同定する手法の一般化が可能になる。また、各種のストレスが作用する遺伝子(調節遺伝子*)が明らかになれば、遺伝子組換え技術を用いて優れた指標植物を作製することが可能になるが、その手順については省略する。しかし、大気汚染ガスによって活性化される調節遺伝子に関する知見はほとんどなく、今後の重要課題である。

  • 調節遺伝子
    タンパク質のアミノ酸配列を定めている遺伝子を構造遺伝子といい、構造遺伝子からタンパク質を生成する(形質発現)過程を調節している遺伝子を調節遺伝子と呼ぶ。ただし、調節遺伝子には、形質発現を調節するタンパク性物質の構造遺伝子も含まれる。
図1.異なる大気汚染ガスによりタンパク質が成される道筋の模式図

 本研究の中心課題の一つが遺伝子組換えによる指標植物の開発手法の検討である。私たちは、O3に対する植物の耐性には還元物質のアスコルビン酸が関与しており、アスコルビン酸の酸化還元に関与する酵素グルタチオンレダクターゼ(GR)がO3に対する耐性を制御していることを示唆してきた。また、数品種のタバコ植物のO3に対する耐性とGR活性との間に相関関係があることを明らかにした。そこで、O3に感受性が高く、GR活性の低いタバコにGR遺伝子を導入することによりO3に対する耐性の異なるタバコの作製を試みた。大腸菌のGR遺伝子が既に単離されているので、これを入手して、図2に示す手順に従って遺伝子組換えタバコを作製した。通常、緑色植物ではGRは核の遺伝子により細胞質内で生成され、大部分が葉緑体内に輸送される。本研究では、まず、細胞質内にGRを持つもの、次いで、葉緑体内にGRが輸送されるものを作製した。このように作製したタバコを栽培し、自家受粉により種子を得た。得られた種子から発芽、生育した植物個体は、導入した外来遺伝子を持つものと持たないものの比率が予想通り約3:1であった。外来遺伝子を持ったタバコの植物体がO3に対する耐性を持つようになったかどうかが重要であり、現在検討中である。

図2.組換えDNA技術により大気汚染指標植物を作製する手順の模式図

 GR遺伝子の導入のほかに、O3耐性に関与すると考えられるアスコルビン酸ペルオキシダーゼの遺伝子を単離し、これを改変して植物に導入する研究も現在進行中である(本誌9巻2号参照)。また、突然変異体の中からSO2耐性のタバコを作出したことは本誌(8巻3号)上で既に報告した。

 ここで紹介した研究成果を実際に利用するには更に研究を進めることが必要であるが、生化学的評価法及び遺伝子組換えによる指標植物の開発法の道筋を示すことはできたと考えている。しかし、森林の衰退のように、現に被害を受けている植物の被害の原因を突き止めるのは容易ではない。ここに示したような生化学的手法で植物が受けているストレスの種類は分かるかもしれないが、どれが被害の主要因であるかを明らかにするためには更に詳細な生理学的、生化学的及び形態学的な研究が必要である。

(こんどうのりあき,地域環境研究グループ 新生生物評価研究チーム総合研究官)