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和紙にみる環境変動の記録

経常研究の紹介

田中 敦

 過去の環境の状態をとどめる試料として、湖沼堆積物を研究の対象としてきた。堆積物には環境に放出された種々の物質が蓄積されており、年代測定と化学分析とを合わせることで、人間活動に伴う環境変化の記録などの多くのことが読み取れる。それでは、過去の大気の状態を記録している媒体はないだろうかと考えた結果、和紙を試料として取り上げた。

 和紙に使われる原料は古くからコウゾ、ミツマタ、ガンピの3種類にほぼ限定される。これらの原料を穏やかなアルカリ処理によってセルロース化し、漉き上げたものが和紙である。長い繊維が物理的に絡み合うことだけで紙を形づくっており、紙質を改良するための特別な添加物を含むことは少ない。そのため、漉き上がった初期の強度は洋紙に比べて小さいが、長期にわたる保存性があり、1、000年以上経過した紙も現存している。従来の手作業から、近年は機械化に移行しつつあるが、古くから受け継がれた伝統的な製法を守る和紙産地はまだ日本各地に残っている。

 それでは、和紙からどんな情報が引き出せるだろうか。一般に植物が光合成によって二酸化炭素を固定する際、大気中の二酸化炭素の持つ炭素同位体比よりも2%ほど軽い、すなわち炭素-13の乏しい同位体組成になることが知られている。同様に、化石燃料中の炭素同位体比も現在の大気より軽いものとなっている。大気の二酸化炭素の同位体変化が、植物体から作られた和紙中の炭素同位体組成として記録されていると予想できる。

 このような想定のもと、コウゾでできた和紙を分析してみた。試料を燃焼して発生する二酸化炭素をガスクロマトグラフィーで分離し、複数の検出器を持つ高精度安定同位体比質量分析装置で、質量数44、45、46を同時に測定する。質量数44と45は、それぞれ、炭素-12と13を測定するため、質量数46は、少量存在する酸素-18による二酸化炭素(12C16O18O)を補正するためのものである。酸素の安定同位体にはもう1つ酸素-17があり、その寄与も補正する必要がある。

 現在のところ紙の年代測定法はないため、年代の推定できる試料として、古書の奥付部分を使用した。奥付に記された刊行年を原料の伐採年と推定し、現代の日本各地の生漉コウゾ紙とあわせて比較してみると、δ13C値(PDBと呼ばれる標準試料の炭素-13/炭素-12比に対するずれを千分率で表したもの)が、過去300年間で約1.5パーミル減少しており、その変化は19世紀に始まることが見いだされた。これは主として、産業革命以降の化石燃料消費量の急激な増加に伴う軽い二酸化炭素の放出によるものと説明できるが、日本の試料にしては屈曲点がやや早いようにも見受けられる。明治中期から洋紙の生産が盛んになり、純粋なコウゾ製の和紙が少なくなるという難点があるが、環境変動を記録する試料の一つとして新しく和紙が仲間入りできそうである。

写真 板干し,川晒しなどの伝統的製法を守る和紙山地(京都府黒谷)

(たなか あつし、化学環境部動態化学研究室)