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田中耕一著「生涯最高の失敗」を読んで考えたこと

巻頭言

松村 隆

 研究所に着任して半年が過ぎました。これを「まだ6ヵ月」というのか,「もう半年」と考えるのかはなかなか難しいところですが,自身の実感としては,あっという間の半年でした。この間,いろいろなことを見聞きし,また,さまざまなものを読む機会がありました。現在の仕事に関係することもあるし,もちろん,全く関係のない事柄もありますが,今回は,昨年の暮れに読んだ本の内容を紹介することで,編集担当事務局からの求めに応えたいと思います。

 さて,今となってはおととしの秋のことになりますが,ノーベル賞の受賞者が発表され,物理学賞に小柴昌俊氏が,同じく化学賞には田中耕一氏が受賞者となったことを覚えている方は多いのではないかと思います。これから紹介するのは,その田中氏の「生涯最高の失敗」と題する本です。この本は,受賞第一報を受けたときから始まる大騒動と子供のころからの逸話をご本人の筆で書かれたもので,書かれた内容に加え,田中氏のあのえもいわれぬお人柄が文章ににじみ出て,いったん読み始めると巻を措きがたい内容ですが,そのなかで,「個人が創造性を発揮するために必要なもの」と「創造性を育む環境にはどのような特徴があるか」について書いたくだりがあります。

 実は,この箇所はスウェーデンにあるノーベル博物館のリンクヴィスト館長という方の講演を引用しつつ自らの経験を振り返ったもので,私が関心を持ったのは,リンクヴィスト館長の話された内容です。その意味では,田中氏の本からの孫引きなのですが,ここに記してみましょう。

 先ず,「個人が創造性を発揮するために必要なもの」としては,勇気,挑戦,不屈の意志,組み合わせ,新たな視点,遊び心,偶然,努力及び瞬間的なひらめきの9つがあげられています。そして,「創造性を育む環境の特徴」としては,集中,多彩な才能,コミュニケーション,ネットワーク,インフォーマルな会合の場,往来のしやすさ(モビリティー),資源,自由,競争(業績へのプレッシャー)及びカオスの10の事項があげられています。田中氏は,このあと島津製作所での自らの経験と環境を振り返るわけですが,私は,ここで,「さて,我が研究所はどうであろうか」との考えに移りました。

 というのも,私が担当しているもののうち最も大きな仕事のひとつは,平成18年度から始まる次の研究戦略づくりです。私どもの研究所は,平成13年度に独立行政法人として,新たなスタートを切りました。スタートに当たって,5ヵ年の計画を立て研究を始めましたが,今の計画はあと2年で終わります。そこで,次の計画作りということになるわけです。

 ここで,「主任研究企画官」というのがどのような仕事をしているのかなじみの無い読者の方のために,念のため記しておくと,私が自ら研究をすることはありません。研究所全体の研究計画作りや研究のために必要な環境整備が主な仕事になります。したがって,私の関心事はもっぱら,研究環境として,ここで示された条件が,現在,私たちの研究所に整っているだろうか。仮に,足りないとしたら何で,それはどのように満たしてゆくことができるだろうか,ということでした。田中氏も,まさか,そのような読み方を想定していたわけではないことは実際に本を読んでいただくと一目瞭然なのですが,日頃から次の研究戦略づくりのことが頭を離れない私としては,その部分が強く頭に残ったというわけです。

 もうひとつ心に残ったのが,田中氏の本のなかにしきりに出ている,「お客さま」という言葉でした。いうまでも無く,田中氏は民間企業の技術者です。仮に基盤的な研究開発に携わることがあったとしても,常に,製品を買うひと(お客さま)への目線を忘れることはありません。さて,私たちの研究所の「お客さま」は誰だろうか。

 最後に,このふたつの問いに対する私の答えを期待している読者の方には申し訳ないのですが,残念ながら,編集担当事務局から与えられた紙幅がきてしまいました。別の機会があれば,自身の考えを記してみたいと思います。

 (まつむら たかし,主任研究企画官)

執筆者プロフィール:

環境庁では環境政策の企画・立案を,新潟県では公害行政の現場を,世界銀行では開発援助の実務を経験しました。 15年10月から現職につきました。読書は上から4番目の趣味です。