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侵入生物の在来生物相への影響−セイヨウオオマルハナバチのケース

研究ノート

五箇 公一

 生物の多様性に関する条約が1992年の地球サミットにおいて締結されて以来,生物多様性の保全は地球環境問題の重要課題の一つとして国際的にも広く認知されている。この生物多様性の存続を脅かす要因の一つに生物学的侵入がある。そもそも生物種の分布拡大とそれに伴う新天地への侵入は,生物の歴史が始まって以来,進化プロセスの中で繰り広げられてきた生物現象ではあるが,近年の人間活動における輸送手段の発達に伴い,生物種の移動分散は,かつてない時空間スケールで,かつ高頻度に起こるようになった。

 これら,人の手によって新天地に持ち込まれた生物種の一部は,人間の手による撹乱地の拡大に伴い,定着し,分布を拡大する。これが侵入種である。これら侵入種は,捕食,競争,病気の媒介などにより在来種の存続を脅かす存在ともなる。競争力,繁殖力の強い種はコスモポリタンとなり,地球規模で生物の均質化が起こりつつある。現実に我々の身近な「自然」のほとんどが侵入生物によって占められていることに気づかされる。

 侵入生物は台風などの自然の力によって,あるいは船・飛行機に「密航」して偶発的に渡航してくるものもいれば,ペットや食用など何らかの利用目的で人間の手により意図的に導入されるものもいる。ここに登場するセイヨウオオマルハナバチというヨーロッパ産の昆虫は「農業資材」として各国で人間が積極的に導入した生物種の一つである。我が国ではセイヨウオオマルハナバチの導入問題は最近一部マスコミにも取りあげられ,社会的な関心を集めた。このハチはハウス栽培作物の花粉媒介昆虫としてヨーロッパにおいて商品化され,我が国にも1992年からハウストマト受粉用に導入が始まっている。本種により農家の受粉作業は大幅に軽減され,安全で質の高いトマトが供給できるようになった。こうした恩恵の反面,その生態系影響が多くの生態学者によって懸念された。特に本種は競争力の強いハナバチであり,野生化した場合,在来のハナバチの衰退をもたらす可能性があると指摘されたのである。実際にイスラエルなどでは本種による在来ハナバチの駆逐が認められている。そして1996年秋,北海道でセイヨウオオマルハナバチの野生巣が発見され,我が国でも本種の定着が進行していることが明らかになった。

 本種の「侵入」には,競争以外に在来種に及ぼす生物学的影響として遺伝子汚染が起こる可能性も示唆されている。遺伝子汚染とは,地理的に隔離され,出会うことのなかった近縁種どうしが人為的要因による移動によって出会い,交雑し,次世代が形成されることで在来種の遺伝的純系が失われてしまうことである。セイヨウオオマルハナバチは在来のマルハナバチと交尾し,在来種の一種エゾオオマルハナバチとの間に雑種形成することが実験的に確かめられている(図1)。従って,セイヨウオオマルハナバチが今後,野外でその分布を拡大するとすれば,在来のマルハナバチと交雑して遺伝子汚染が起こる可能性がある。いまのところ「雑種」はエゾオオマルハナバチにそっくりで形態的に識別することが難しく,遺伝子汚染の実態をモニタリングするためには,有効な遺伝的マーカーが必要となる。一方,セイヨウオオマルハナバチの野生化に対する問題意識が高まる中,各メーカーはエゾオオマルハナバチを含む在来種の増殖・販売の検討を始めている。しかし,ここでまた,別の遺伝子汚染の問題が生じる。すなわち大量飼育された在来種の放飼が各地域個体群の地域固有の遺伝子組成を撹乱するのではないかという問題である。我が国におけるマルハナバチ類の地理的変異に関する情報は乏しく,その影響評価は難しい。

 現在,我々は,セイヨウオオマルハナバチと在来マルハナバチの種間差および種内変異をとらえる有効な遺伝的マーカーの開発を目的として,二種の様々なコロニーにおけるアロザイムという酵素変異とマイクロサテライトというDNAの特定領域の変異の解析を行っている。これまでのところ,アロザイムには種間で違いがあることから,将来遺伝子汚染が起こった場合に,このマーカーによって汚染の進行を追跡できるであろうということ(図2),マイクロサテライト領域で見る限り国内のマルハナバチは変異に富み,各地域に様々なコロニーが存在していることなどを突き止めている。このように,まだ遺伝的な撹乱が大きくは進行していない現時点で在来種の遺伝的変異の実態をデータベースとして記録することの意義は大きいと考えられる。

 さて,セイヨウオオマルハナバチの導入問題では企業・農家の「利潤追求」と生態学者の「環境保全」という思想対立の構図が際立つが,侵入種問題の本当の難しさは「種」に対する価値観の違いにある。生態学の価値観に則れば,「現存する地域固有の生物種は何十万年,何千万年という長きにわたる進化の賜であり,生物の歴史の遺産とも言うべきものである。人類はそれに対して畏敬の念(reverence)を払い,それを守る義務がある。」生態学者には当たり前に思えるこの「重要命題」も,しかし,多くの人々にとっては直接自分の生活あるいは利益に関わらない「無意味」な命題であり,侵入種が在来種に置き換わったとしても気にとめることはない。生物多様性の根幹をなす地域固有の「種」や「遺伝子」というものの価値をより多くの人々に理解してもらえるよう,我々研究者が新しい命題をつくる努力をしない限り,「生物多様性戦略」は失敗に終わる。マルハナバチという小さな虫から何を見いださねばならないか,筆者自身,研究哲学を模索している。

ハチの写真
図1 エゾオオマルハナバチの女王(大きいほうのハチ)と導入種セイヨウオオマルハナバチの雄との種間交雑
交雑した女王は雑種を産むことが確認されている。(写真提供:光畑雅宏,アピ(株))
国内の図
図2 セイヨウオオマルハナバチ輸入コロニーと在来マルハナバチ二亜種(エゾオオマルハナバチ,オオマルハナバチ)地域個体群におけるフォスフォグルコムターゼアロザイムの遺伝子頻度
()内の数字は調査個体数。セイヨウオオマルハナバチの調査コロニーはすべてA遺伝子に固定しており,在来マルハナバチの調査個体群では,圧倒的にB遺伝子が多い。セイヨウオオマルハナバチによる遺伝子汚染が進行すれば,在来マルハナバチ個体群からA遺伝子が検出される頻度が高まると考えられる。

(ごか こういち,地域環境研究グループ化学物質生態影響評価研究チーム)

執筆者プロフィール

1965年生まれヤギ座
<好きなもの>オフロードバイクと常夏の島