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湿原保全のための流域環境管理

研究ノート

林 誠二

 湿原は水と物質の緩衝帯として森と海とを結ぶ役割を持ち,野生生物の生息・分布を支持する場としてだけでなく,高い生産性からも重要性が認識されている。一方,周辺域の開発は湿原域を巡る水・物質循環のバランスを崩し,その環境を破壊している。これは日本最大の湿原である釧路湿原も例外ではなく,1970年代に29,084haあった面積が,国立公園の指定を受けた1985年には18,290haにまで減少した。この主な要因として,これまでの湿原とその周辺域を対象とした農地開発が挙げられる。現在,農地化事業は停滞しているものの,農地整備のために明渠排水路として直線化され,疎通能力の向上した湿原周辺域の河川が,今もなお,融雪時や台風による出水時に上流域で生産された土砂を湿原内部にまで運んでいる。

 本研究の対象である釧路川水系久著呂(クチョロ)川流域(図1)は,このような現象を顕著に示す流域の一つである。久著呂川は1965年から1980年の間に,湿原内を含めて約10kmの区間の改修を受け直線化されたため,出水の度にその末端部より水と上流域由来の土砂が溢れ出ている。また,1997年に実施した湿原における水の動態調査結果も,湿原内部が調査期間を通じて冠水状態にあるのに対し,河岸付近は泥炭地の上に多量の土砂が堆積したため陸地(乾燥)化していることを,それぞれの水位変動から示している(図2)。

図1
図1 久著呂川流域の概要
図2
図2 湿原域での水位観測結果

 このような土壌環境の変化は湿原の植生分布にも大きな影響を与えており,従来,ヨシやスゲが優占していた湿原内部にまでハンノキ林がその分布を広げ,陸地化した河岸付近ではヤナギ類の侵入が顕著である。今後,土砂の流入によりさらに陸地化が進行する恐れがあり,湿原が保持している多様な機能を保全する手法が求められている。具体的には,直線化された河道を旧河道へ戻すことや砂防ダムの建設等により,湿原への水・土砂流入量をコントロールすることが挙げられる。ただし留意すべき点として,その効果を短期的な出水時の水・土砂量流入量ピークの低減効果から判断するだけでなく,上流域での土地利用変化に伴う土砂生産量の変動や,河床変動,湿原内での水移動や土砂堆積状態の変化,さらには湿原植生の遷移まで含めて,総合的かつ長期的に検討されるべきである。

 そこで筆者らは,流域環境管理研究の一環として流域斜面での水・土砂流出過程や河道での輸送過程,湿原内での濁水氾濫過程をそれぞれ表現した数値モデルと,各モデルを結合するインターフェイスから構成される統合型流域モデルの開発と,久著呂川流域への適用を進めている。各モデルの特徴として,以下のようなことが挙げられる。流出モデルでは,水や土砂の流出パラメータを地理情報システムの利用により,地形や土地利用,土壌タイプの違いを考慮して与えていることが挙げられる。これにより,将来的な土地利用変化等による流出量の変動を推定できる。また,流出モデルには気象条件を鑑み,積雪・融雪過程が組み込まれている。河道での輸送モデルは,土砂の堆積と巻き上げから生じる河床変動による河床勾配の変化を考慮した水理計算を行う。湿原内での洪水氾濫モデルは,湿原内での土砂堆積に伴う地形変化を推定するとともに,浸透や蒸発散による水位変動も取り扱える。これらのモデルの統合化により,融雪や台風時の出水に伴う短期的な水・土砂流出及び洪水氾濫計算だけでなく,長期的な土砂流入量の変動やそれに伴う湿原内の地形変化の推定が可能となる。モデル適用結果の一例である長期にわたる湿原内への時間平均流入水量の再現計算結果は,降水の流出,輸送過程に関するモデルの妥当性を示している(図3)。

図3
図3 流域モデルによる久著呂川時間平均流量再現計算結果

 今後は,湿原内での洪水氾濫モデルの検証を水位観測結果や衛星画像データを用いて行った上で,河川改修から現在に至る湿原への土砂堆積過程の再現計算や,土砂流入対策が短期的,長期的に湿原内の水・土砂動態に及ぼす影響予測等を植生分布の遷移の再現及び予測を含めて実施していくことを予定している。

(はやし せいじ,水土壌圏環境部土壌環境研究室)

執筆者プロフィール:

1968年生まれ牡牛座〈好きなこと〉日曜日にまったりしつつ昼からウィスキーを飲むこと