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大気汚染物質のソース・レセプター関係を評価する

【環境問題基礎知識】

永島 達也

1.大気汚染 : どこからどれだけやってくるのか?

 “大気汚染”というと日本ではもう解決済みの問題と思っている方も多いかもしれません。確かに,日本では高度経済成長に伴う公害時代を経て,硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx),揮発性有機化合物(VOC),浮遊粒子状物質(SPM)など大気汚染物質の排出規制が進み,こうした物質の大気中濃度は,現在,環境基準値やそれに準ずる指針値を概ね下回る水準で推移しています。ところが,大気汚染物質の中でも,NOxとVOCから大気中で光化学的に生成される光化学オキシダント(主成分はオゾンであるため,以後簡単のためオゾンと書くことにします)の濃度は,原料となるNOx,VOCが減少しているにもかかわらず,1980年代半ば以降漸増を続けており,環境基準の達成率も極めて低い状況にあります。最近でも2007年の5月上旬に,北日本を除く広い範囲で注意報レベル(120 ppbv)を越えるオゾン濃度が観測されるなど,日本においても“大気汚染”はまだ現在進行形の問題といえます。そして,このような近年の日本におけるオゾン増加の原因としては,以前の公害時代のような国内の産業や自動車排気のみならず,日本以外から海や大陸を越えて運ばれてくるオゾンの関与が指摘されています。

 そもそも,日本で観測されるオゾンには,国内で排出されたNOx,VOCから生成されたものだけではなく,地球上の様々な地域で排出されたNOx,VOCから生成されたオゾンが混ざり合っています。こうした様々な領域を起源とするオゾンが,どれくらいの割合で混合されて日本におけるオゾン濃度を形成しているのか,言い換えれば,日本というオゾンによる大気汚染の受容(レセプター)領域に対する,オゾン原因物質(NOx,VOC)の発生(ソース)領域ごとの寄与を推定することは,オゾンの発生源構成を理解するという学術的な意味に加えて,近年のオゾン増加のトレンドに歯止めをかける有効な対策を導くことにもなります。こうした推定は,オゾンに関するソース・レセプター関係(S-R関係)の推定と呼ばれており,主として大気中の化学物質の発生・光化学変化・輸送・沈着を考慮した数値モデル(化学輸送モデル)を使って研究が行われています。オゾン以外にも,一酸化炭素やいわゆる酸性雨と呼ばれる硫酸や硝酸の降下物に関するS-R関係の評価も広く行われていますが,以下,本稿ではオゾンのS-R関係を中心にご紹介します。

2.S-R関係 : どうやって推定するのか?

 S-R関係の推定をするには幾つかの手法がありますが,広く適用されている手法として,エミッション感度法とタグ付きトレーサー法が挙げられます。エミッション感度法は,あるソース領域におけるオゾン原因物質のエミッション(排出量)を減らす場合と減らさない場合の二通りの数値モデル実験を行い,その差からソース領域の寄与を求める手法です。例えば,中国でのオゾン原因物質の排出量を20%減らした実験と減らさない実験を行い,計算された日本のオゾン量がそれぞれ44 ppbv,45 ppbvだった場合,その差1ppbvを5倍した5ppbvが,日本のオゾンに対する中国からの寄与と推定されます。エミッション感度法には,実験の際に原因物質の排出量をどれくらい減少させるかによって推定結果に違いが出る「非線形性」のあることが知られており,SR関係の評価に不確定性をもたらす要因となっていますが,適用の容易さ等から現在でも多くの研究で用いられています。一方,タグ付きトレーサー法では,特定のソース領域でのみ光化学的に生成される仮想的なオゾン(トレーサー)を,注目したいソース領域の数だけモデル大気中で輸送させ,その分布を計算します。そして,計算された各トレーサーの濃度をもって,対応するソース領域からの寄与とします。この際,各トレーサーには自らが生成されるソース領域の名前が冠される(タグ付けされる)ため,このような手法名称が与えられています。タグ付きトレーサー法は,複数のソース領域からの寄与を一回のモデル計算で評価することができるため,多数のソース領域からの寄与を推定したいような場合によく選択されます。手法の原理から明らかなように,両手法で推定されるオゾンのS-R関係は必ずしも一致しません。エミッション感度法では,ソース領域におけるオゾン原因物質の排出量に起因するS-R関係が推定されますが,タグ付きトレーサー法では,ソース領域におけるオゾンの生成量に起因した推定がなされます。後者には他のソース領域で排出されたオゾン原因物質が,注目するソース領域に流れてきてオゾンを生成するような場合も含まれており,異なる手法によって評価されたS-R関係の比較には注意が必要です。

 説明だけが続きましたので,少し実例をご紹介したいと思います。図1にタグ付トレーサー法を用いて評価した,2000年代前半における日本の地表オゾンに対する各ソース領域で生成されたオゾンの寄与を濃度(ppbv)と割合(%)で示しました。春季の日本では,自国内で生成されるオゾンの寄与が最も大きく,全体の20%程度を占めていることが分かります。同程度の寄与が成層圏から,そしてそれに続いて13%程度の寄与が自由対流圏(地表の影響が少なくなる上空約2kmよりの上の領域)および北米・欧州といった大陸を超えた遠隔領域からもたらされています。また,距離的にはより近い中国や朝鮮半島など東アジアからの寄与はそれらに比べると小さいです。ところが,夏季において状況は一変します。日本自身の寄与が倍増し,東アジアからの寄与は余り変化しない一方で,成層圏や遠隔領域からの寄与は劇的に小さくなります。これは,季節による大気の流れの変化に加えて,紫外線強度が強くなる夏季には,オゾンの光化学的な生成と破壊の双方が活発化し,遠隔領域で出来たオゾンは長距離輸送中に破壊されてしまい東アジアまで届かない一方,東アジア域内では旺盛なオゾン生成が起こり,光化学的に破壊される前に日本に到達出来ることが一因と考えられます。

3.S-R関係評価のこれから

 図1に示したS-R関係の評価例は各季節において,主に場所の違いに着目して設定されたソース領域からの平均的な寄与を求めたものですが,今後は更に詳細なS-R関係の評価が重要になると考えています。例えば,オゾンの濃度レベル別にS-R関係を評価し,日本の環境基準である60 ppbvを超えるような場合ではどのソース領域からの寄与が大きいか,などを評価することができれば,より効率的な大気環境の改善に資することができるでしょう。また,場所の違いに加えて,ソース領域内の発生源種別(セクター)毎の寄与を評価する研究も始まっており,発生源対策の有効性や限界を把握する上ではこちらも重要な観点といえます。

 広域化している大気汚染問題に対応するためには,今後も大気汚染物質のS-R関係を定量化し,その不確実性を低減して行くことが欠かせません。そのために我々の研究室では,数値モデルの改善や汚染物質排出量データの整備等を今後も積極的に進めていきたいと考えています。

図1 タグ付トレーサー法で評価した,2000年代前半の日本の地表オゾンに対する各ソース領域からの寄与。左:春季,右:夏季。
図1 タグ付トレーサー法で評価した,2000年代前半の日本の地表オゾンに対する各ソース領域からの寄与。左:春季,右:夏季。(拡大表示)

(ながしま たつや,アジア自然共生研究グループ 
広域大気モデリング研究室主任研究員)
 

執筆者プロフィール

永島 達也

 数年前から健康診断の基準が変わったらしく,「中性脂肪」の欄にそれまで見たことも無い星印が点灯してからはや2年になります。何かの間違いだと固く信じた1年が過ぎ,昨年から蹴球同好会の皆様に遊んでいただいたり,極力自転車通勤にするなど,できるだけ身体を動かすようにしています。今年は勝負の3年目。星が消えてしまうのは,なんだか少し寂しい気もしますが,運動の効果が現れるのを期待する今日この頃です。