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「有機スズ汚染がイボニシに及ぼす影響の実態とメカニズムの解明」の研究から

Summary

 沿岸部の有機スズ汚染が巻貝にどのような影響を与えるか、という研究は、1990年から続けられており、2001年からは重点特別研究プロジェクトの一環としてフィールド研究に加えメカニズム研究などさらに広い角度からの検討が進められました。ここでは、フィールド調査および室内実験の両分野からの最新の研究成果を紹介します。

日本におけるイボニシのインポセックスと有機スズ汚染に関する全国実態調査

 1999年1月から2001年10月までに全国の174地点で採集されたイボニシ試料を用いて解剖学的な観察を行い、各地点におけるインポセックスの出現率、相対ペニス指数(RPL Index)、輸精管順位指数(VDS Index)および陰門閉塞個体の出現率を算出しました。一部の試料の生殖巣組織から病理標本を作製し、光学顕微鏡で観察しました。またイボニシの全組織中に含まれる有機スズ化合物〔TBT、TPTおよびその分解産物(MBT:モノブチルスズ、DBT:ジブチルスズ、MPT:モノフェニルスズ、DPT:ジフェニルスズ)〕の濃度を分析・測定しました。さらに、過去の調査結果との比較により、イボニシにおける有機スズ汚染レベルとインポセックス症状の経年推移について検討しました。

 インポセックスは全国的になお広く観察されましたが、ペニスの発達の程度は小さくRPL Indexは多くの地点で40を下回りました。しかし、輸精管の形成および発達がペニスに先行して進むため、ペニスが小さくても輸精管の形成が完了している個体が多く、VDS Indexが4を上回る地点が多く見られました。また、ペニスは短いながらVDS Indexが5や6と判定される不妊(産卵不能)の個体が、低頻度ですが各地で観察されました。イボニシのインポセックスでは、輸精管の発達に伴う周辺組織の増殖(過形成)により陰門が閉塞して産卵不能に至るため、輸精管の発達の程度を詳細に観察する必要があります。なお、造船所や漁港、養殖場の近傍や船舶航行量の多い複数の調査地点でVDS Indexが5を上回る不妊(産卵不能)個体が多数観察され、卵巣で精子形成を認める重篤な症状の個体も見られました。

 イボニシの全組織中TPT、TBT濃度は、20ng/g湿重を下回る地点が多かったのですが、長崎港、瀬戸内海、鳴門海峡、関門海峡などの地点では、TBT濃度が40ng/g湿重を上回っていました。最高濃度はTPTが174ng/g湿重、TBTは329ng/g湿重でした。兵庫や徳島、高知、愛媛、長崎各県の一部の地点では局所的にTBTの高レベル汚染が見られるなど、いわゆる有機スズ汚染のホットスポットが観察されました。また、イボニシ全組織中のTPT濃度については、おおむね経年的に減少する傾向が見られました。しかし、TBT濃度に関してはさまざまで、緩やかな低減傾向の地域が比較的多かったものの、ほぼ横ばいと見られる地点や、経年的に上昇傾向を示す地点もありました。

9-cisレチノイン酸がイボニシのインポセックスに及ぼす影響

 インポセックスの発現メカニズムについては、いくつかの仮説が提示されてきたにもかかわらず、いまだに明らかではありません。それを解明する一環として、細胞の核の中にあるレセプター(受容体)の一つであるレチノイドXレセプター(RXR)に注目し、その特異的リガンド(受容体にくっつく物質)である9-cisレチノイン酸を用いてイボニシのインポセックスに及ぼす影響を検討しました。

 実験は(1)対照区として手を加えていないイボニシ、(2)9-cisレチノイン酸を注射したイボニシ、(3)TPTを注射したイボニシ、の3グループに分け、個々のガラス水槽で1カ月間飼育しました。

 その結果、(2)ではインポセックス出現率が50%と、(1)の10%に対して1%の危険率で有意差が認められ(図4)、ペニス長および輸精管順位においても、それぞれ1%および0.1%危険率で対照区と有意差が見られました。ペニスが伸びた個体では、(3)と同様、最長で6mmを超え、明瞭にその形成ならびに伸長が認められました(図5)。これまでに、インポセックス発症メカニズムを探る種々の実験を行ってきましたが、これほど明瞭にペニス伸張を引き起こした物質はTBTやTPTなど特定の有機スズ化合物以外では9-cisレチノイン酸が初めてです。このような例は文献にも見あたりません。世界規模で見ても9-cisレチノイン酸は初めて確認された有機スズ化合物以外のインポセックス増進作用を持つ物質でした。

 一方、興味深いことに、共同研究者である大阪大学の西川淳一助教授グループは、TBTやTPTがヒトRXRに対して、(RXRの)本来のリガンドである9-cisレチノイン酸と同等の強いアゴニスト活性を有していることを観察しています。したがって、RXRに対するTBTやTPTのアゴニスト作用が、インポセックスの誘導・発現に深く関わっていることが強く示唆されました。

図3 日本におけるイボニシのインポセックスと有機スズ汚染に関する全国実態調査
RPL Index値の分布
(一部地域のデータのみを提示)
図3 日本におけるイボニシのインポセックスと有機スズ汚染に関する全国実態調査
TPT、DPT、MPT濃度
(一部地域のデータのみを提示)
図3 日本におけるイボニシのインポセックスと有機スズ汚染に関する全国実態調査
TBT、DBT、MBT濃度
(一部地域のデータのみを提示)


図4 TPTおよび9-cisレチノイン酸(RA)によるイボニシのインポセックス出現率
*:危険率5%で有意差がある。**:危険率1%で有意差がある。


図5 9-cisレチノイン酸(RA)による雌イボニシのペニス伸長
cg:卵嚢腺(輸卵管の一部) ov:卵巣 p:ペニス PL:ペニス長 (白い紙の上の半透明のものがペニス)