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ディーゼル排気微粒子の心臓・血管作用に関する実験的研究

シリーズ重点特別研究プロジェクト:「PM2.5・DEP研究プロジェクト」から

鈴木 明

 今日,日本をはじめ世界中の大都市部の大気汚染は改善の兆しがみられず,特に,浮遊粒子状物質(SPM)の汚染は深刻である。例えば東京都内の自動車沿道排気測定局(自排局)では環境基準を満たしているところは少ない。また,東京都内のSPMの総排出量は年間1万トン以上にもなり,その約40~60%はディーゼル自動車由来の排気微粒子(DEP)であり(東京都環境科学研究所年報,1989),そのSPMの約80%は粒径2.5μm以下の微粒子(PM2.5)であると言われる。(PM2.5については環境問題基礎知識で詳しく掲載しています。)

 このDEPは肺がんやアレルギー性鼻炎の原因として知られ,動物実験においては,気管支ぜん息様の病態や精子数の著しい減少などが報告されており,DEPの健康影響は深刻であると考えられる。これまでDEPは,主に呼吸器系疾患との関連性について調べられてきたが,近年,アメリカの疫学的研究報告により,粒径が2.5μm以下の微粒子であるPM2.5 と心肺疾患による過剰死亡率との間に高い相関性が存在することが明らかにされた。しかし,大気汚染物質の心臓・循環器系に及ぼす影響に関しては,これまで本格的な研究は着手されておらず,今後の重要な研究分野であることが指摘されている。そこで,本研究では,DEPを対象物質として,細胞や摘出組織を使用した実験とディーゼル排気の曝露の実験を組み合わせることにより,DEPのどのような物質(成分)が心臓・循環器系にどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることを目的とした研究が遂行されている。

 はじめに,DEPはディーゼル排気(DE)とともに呼吸器を介して体内に取り込まれる経路が一般的であり,吸入曝露における循環器影響を検討する必要がある(図,表紙の写真)。そこでDEPを含むディーゼル排気(DE)に曝露させたラットの心電図測定を行い,循環器系への影響の有無を調べた。ラットをチャンバー内で1ヵ月から12ヵ月間DE(0.3,1.0,3.0 mg/m3 で1日に12時間,連続;それぞれ環境基準値の1日平均0.1 mg/m3と比較すると,1.5,5,15倍になる),および清浄空気(対照群)に曝露し,3ヵ月ごとに心電図の測定を行った。DE曝露群では対照群に比べ異常心電図を発現する個体が有意に多かった。また,心拍数も曝露群が対照群に比べて増加する傾向が認められ,DEの吸入曝露は,異常心電図などの循環器異常を起こしうることが示唆された。

肺の写真
図 DEを7ヵ月間曝露した肺と曝露しない肺(対照)の外観
肺表面の黒く見える点はDEPの微粒子が沈着したものである。微粒子の濃度が高くなると黒い点も多くなり,面積も広くなる。

 次にDEPの循環器系への影響についてより詳細な検討を行うため,DEPのすべての成分を含む溶液 (全DEP)を,麻酔下のラットの静脈内に投与し,血圧や心電図に及ぼす影響を検討した。全DEPを投与することにより,血圧の一過性の低下および異常心電図を認めた。この血圧低下は自律神経遮断薬の前処置によって消失した。さらに摘出した血管,心臓の組織標本を用いた実験において,全DEPは,血管に対しては収縮および弛緩作用,心筋に対しては収縮力の減少や心筋全体の強縮作用を持つことが判明し,DEP中には血管や心筋に対する作用物質が含まれることが示唆された。一方,DEP中には数百以上の物質が含まれているといわれ,その循環器系への影響を評価するためには,DEPをより純粋化することが必要と考えられた。そこで分析化学的手法を用いて,DEPを有機溶媒によりヘキサン,ベンゼン,ジクロロメタン,メタノールおよびアンモニアに溶け出す部分に分離し,血管および心筋に対する作用を検討した。その結果,血管に対してはヘキサン,ベンゼンに溶け出す部分で弛緩反応が,ジクロロメタン,メタノールに溶け出す部分では収縮および弛緩反応が,またアンモニアに溶け出す部分では主に収縮反応が認められた。一方,心筋の強縮作用はヘキサン,ベンゼン,ジクロロメタンおよびメタノールに溶け出す部分で観察された。これらの結果から,血管の弛緩および収縮作用は広範囲に分布していることが示唆された。

 このように,反応が多くの溶出部分にまたがって存在していたことから,さらに細分化された溶出部分における作用を検討した。そこで,有機溶媒によって分離された5溶出部分のうち,血管と心筋の両方に作用が認められたヘキサン,ベンゼン,ジクロロメタンおよびメタノール溶出部分をさらに酸塩基抽出法により酸性,中性およびアルカリ性溶出部分に分離した。ヘキサンおよびベンゼンの酸性可溶液,アルカリ性可溶液では,血管の弛緩作用が,メタノールの両可溶液では収縮作用が認められた。ジクロロメタンの酸性可溶液,アルカリ性可溶液には収縮作用が,中性成分には弛緩作用が出現した。心筋への強縮作用はヘキサン,ベンゼンの酸性可溶液とアルカリ性可溶液,ジクロロメタンのアルカリ性可溶液において認められた。酸塩基抽出法を用いて,全DEPをさらに細分化したことで,溶出液ごとの心臓や血管に対する反応性の違いがより明らかとなった。しかし,作用物質のある溶出部分にはなお数十種類の化学物質が含まれることが考えられた。そこで,血管と心筋の両方に対して作用をもち,反応が明瞭で,かつ分析化学的に性質をトレースしやすいベンゼンのアルカリ性可溶液に注目した。ベンゼン-アルカリ性可溶液を,シリカゲル吸着クロマトグラフィ-法を用いてさらに細かい部分に分離し,それぞれの溶液における血管および心筋への作用を検討している。これまでの結果から,ベンゼン-アルカリ性可溶液中の血管作用物質および心筋作用物質の存在部分は,化学的性質によって分離されていると考えられている。

 本研究においては,生理学的実験によるDEPの生体および臓器への影響の検索と,それに基づいた分析化学的手法によるDEPの分離・精製を組み合わせることによって,これまで不明とされていたDEPの循環器系に及ぼす作用の性状,ならびに循環器作用をもたらす化学物質群の性状が明らかになりつつある。DEP中の心臓・血管作用物質が明確になれば,それらの物質を減少させるような施策を考えることができ,エンジンの改良,燃料,燃焼の仕方,走行方法などの改善などに,有益な指標を与えることになり,健康影響から見た環境負荷を軽減させることが可能と考えられる。

(すずき あきら,PM2.5・DEP研究プロジェクト)

執筆者プロフィール

ディーゼルエンジンをおもりして4年になるが,遠いアフリカから教え子が亡くなったと言う風の便りを聴くと,胸が騒ぎ,未だに不惑に至らない自分である。しかしながら,独法化の今,何かをしなければならないと考えている今日この頃である。