ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

独立行政法人の国立環境研究所への戸惑い

【巻頭言】

柴垣 泰介

 4月から初めて国立環境研究所(国環研)で勤務していますが,新鮮さとともにある種の戸惑いも感じてきました。その中で独立行政法人(独法)の研究所という制度面とも関係したことについて,個人的な感想ですが書いてみたいと思います。

まず,国環研には1980年の環境省の初任研修時の見学以来3回ほどしか来ておらず,緑の多い広い敷地に個性的な建物や施設の数々といった印象しかなかったのですが,今回仕事をすることになって,定員上の職員数が250人余にもかかわらずの人の多さとその多彩さがあらためての印象でした。

 資料を見ると共同研究員等や研究生(200人弱)のほか,契約職員という職員の定員外で有期の雇用契約を結んでいる勤務者が500人以上。さらに,派遣職員や施設運転等請負従事者が100人余とのこと。契約職員には,総務など管理部門のアシスタントスタッフもいますが,研究所に特徴的と思われるのはフェローと呼ばれている契約研究員や研究系のアシスタントスタッフ,高度技能専門員が大きな割合を占めること。これらが大幅に増加していることが独法化以降の顕著な傾向のようです。

 この要因としては,国の機関の時にはあった契約職員数の上限(パートを除く)がなくなったこともありましょうが,より根本には現在の政府方針として独法の職員人件費に厳しい枠がはめられ(特に第2期中期計画期間の5%減が決められている),近年の社会的な環境分野の研究需要増大に対応して職員数を増加させることが困難であるという制度的な状況があります。国環研が社会に求められる役割・機能を果たしていくためには,契約職員の雇用が不可欠な構造になっているようです。
 
 このことからは,職員と契約職員という「二重構造」による問題が出てくることも懸念せざるを得ません。契約職員の職員への移行や区別の解消は現在の独法改革の下では制度的にも経営的にも困難なことから,契約職員としての制度的制約は明確にしなければならないのが現実ですが,労働法制も踏まえて不合理な区別の抑制などの面で何らかの工夫の余地があるのではと思っています。

 次に,国環研が独法となっていることについてです。独法は「公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって,国が自ら主体となって直接実施する必要のないもののうち,民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがある(略)ものについて,これを効率的かつ効果的に行わせることを目的として(略)設立される法人」と独法通則法で定義されています。

 この特性を担保する一手段として,企業会計によって策定された独法会計基準に基づく財務諸表の作成義務付けがあります。予算の事前審査性の緩和に伴い業務遂行状況の透明性と外部評価性を高めるためのものです。決算と独法評価委員会に向けて初めて財務諸表に取り組み,資本だ利益剰余金だといった企業会計の用語や概念に戸惑ったのですが,例えば損益計算書においては,公共上必要な業務を行うための費用がまずあり,それに対応した収益を受け入れるという損益ニュートラルが原則となっています。民間企業の場合の利益を上げ損失を抑えるため,まず売上があり費用を差し引いて損益を計上するのと比較して,どこが損益計算なのか無理やりに企業会計に接合している感が拭えません。

 このあたりも,自己収入の大幅増ということが研究所にまでも安易に奨励される一因なのではないかと思えてしまいます。国環研など公的研究所は,企業ができない基礎研究を担うとともに政策的な要請にも対応していく必要もあり,独法の定義にいう「実施機関」とはかなり性格を異にするのではという疑問も湧いてきます。とは言うものの,独立行政法人という現実の中で,その意味を見つけ活かしていくことも重要なのかなと思うこの頃です。

(しばがき たいすけ,総務部長)

執筆者プロフィール

 1980年環境庁入庁。93年から95年北九州市環境局産業廃棄物課長に出向。環境省では水俣病対策に延べ5年以上携わったほか,電気自動車普及や動物愛護法にも関係してきました。研究所勤務後は毎日往復3時間半の遠足の日々です。