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昔話と国環研の役割について思うこと

【巻頭言】

松本 公男

 過去の話をすると年をとった証拠だと言われるので,あまり話さないようにしていますが,役所に勤めて20数年を経過すると,たまには,自分がこの分野で何をやってきたのか,世の中の役に立つことをやってきただろうか,と振り返ることがあります。印象に残っていることの一つに,元号が昭和から平成に替わった頃,トリクロロエチレン等の濃度基準を決めるという課題がありました。当時,水質汚濁防止法を改正し,地下水汚染の規制を行おうとしていた時で,対象物質の基準が必要であったのです。

 そのころ水質の健康環境基準は9項目であり,昭和49年度以来その状態が長く続いていました。そこに新たな項目を加える検討が必要になったわけです。ところが,トリクロロエチレン等にはそれまでの項目と大きく異なる点がありました。例えば,健康への有害性が問題になったのが発癌性の観点であったため,これまでの有害物質のような閾値(これ以下であれば健康影響を生じないという値)が存在しないこと,あるいは従来の9項目は,人への健康被害が(残念なことですが)実例として確認されていたことです。従ってトリクロロエチレン等は,健康被害が直接確認できない状況で基準を検討する最初の例となりました。そこで中央環境審議会の専門委員会で審議いただくのに当たって,発癌性などの有害性を示すラットやマウス等の動物実験の結果をどう整理したらよいか,当時の国立衛生試験所安全性生物試験センターに通って相談したことを覚えています。最終的にこれらの物質については,いきなり環境基準とはせず,それに準ずるものとして「水質環境目標」という考え方を導入し,新たに基準値が設けられました。実際に人の健康に被害が生じたから基準を設けるのではなく,それを未然に防止するために基準を設けるということで,(勝手に)ちょっとした高揚感を覚えたものです。

 その後,水質健康環境基準はこれらの物質を含めて26項目になり,また,要監視項目といった考え方も導入され,より確実に環境の安全性を確保できるように環境政策が進んでいます。

 ところが,一方で,近年こうした予防的な環境保全の考え方に異論を唱える学者も出てきています。いわく,人への健康影響が確認されていないのに過剰規制ではないか,いわく,毒性試験に用いた動物は化学物質に極めて敏感であり,その結果を人に当てはめるのはおかしい,といった論調が世の中の一部でもてはやされているようです。ある意味20年前に,より進んだ考え方として人の健康被害が出る前に規制措置を講じてきたことが,少数からとはいえ批判される例が現れていることに,時代の流れを感じます。

 同様の議論が地球温暖化や物質循環など環境の様々な分野で起きていますが,その対応はどうあるべきか。基本はやはり調査・研究を進めることにより,事実を積み重ね,合理的で適切な考え方を示していくしかないように思います。そして,国の環境研究の主たる機関として設立された国立環境研究所は,そうした環境研究の王道を進んで行くことが必要ではないかと思います。

 また,国立環境研究所には,設立当初から調査及び研究の他,「環境保全に関する情報の収集,整理及び提供を行う業務」があります。この業務が設けられたのは,当時の厳しい公害問題を背景に,十分な情報の収集とその適切な提供がそうした問題を未然に防ぐために必要である,という考え方に基づいていると思います。昨年7月から環境情報センターに勤務していますが,そのような面から研究者の皆さんの研究成果について,世の中に提供し広めていくお手伝いができれば,と考えています。

(まつもと きみお,環境情報センター長)

執筆者プロフィール

松本 公男氏

 2003~2005年(企画)に続いて,研究所にお世話になっています。電車とバスで通勤していますが研究所の前でバスを降り,緑の多い中を歩くと,少し変ですが心がウキウキすることがあります(仕事が詰まっている時を除く)。国環研の豊かな緑は貴重な財産だと思います。