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熱帯林から大気へ放出される塩化メチル

【研究ノート】

斉藤 拓也

 「ハロカーボン」という化合物群をご存知でしょうか? 大気中には様々な有機ガス成分が極わずかに存在していますが,ハロカーボンはその中でも分子内に塩素や臭素などのハロゲン元素を持つグループです。よく知られているハロカーボンにフロン類があります。ジクロロフルオロカーボン(CFC-12)などの特定フロン類は,熱的・化学的に安定で工業的に扱いやすい性質のため,エアコンや冷蔵庫の冷媒や溶剤などとして広く使用されてきました。しかし,これらが成層圏オゾンの破壊を引き起こす原因物質であることが判明すると,代わって成層圏オゾンを破壊しにくい代替フロン類が利用され始めました。しかし今度はこれらが地球温暖化の原因物質となるということで規制対象となっています。

 このように様々なハロカーボンが人間によって作り出されてきましたが,ハロカーボンの中には自然に発生するものも多く存在します。塩化メチルはそうした自然起源のハロカーボンで,特に主要な成分です。塩化メチルが地表の発生源から大気へ放出されると,地表から高度約11kmまでの対流圏では比較的安定に存在できるため,その大部分は成層圏まで輸送され,そこで紫外線によって分解されます。この分解過程で生成した活性な塩素原子が,触媒的なオゾンの破壊を引き起こしているのです。成層圏オゾン破壊物質のほとんどはフロン類のように人為的に生成されたハロカーボンですが,それに対し,塩化メチルはほとんど唯一の自然起源の塩素系オゾン破壊物質として塩素によるオゾン破壊全体の約15%に寄与しています。この塩化メチルの寄与率は,前述のように人為起源のオゾン破壊物質の製造が禁止されたことで,今後より高くなると予想されています。

 大気へ塩化メチルを供給する自然発生源については,長い間,海洋によるものが主だと考えられてきました。しかしその後,海洋からの塩化メチル放出量が過大に見積もられていることがわかり,現在は熱帯林が最大の発生源だろうと考えられています。私たちは,これまでに多くの熱帯植物や亜熱帯植物が大量に塩化メチルを放出することを明らかにしてきました。この熱帯植物による塩化メチルの生成は,S-アデノシルメチオニンをメチル基供与体とする塩化物イオンとの酵素反応によると考えられています。一方,近年になって,このメカニズムと異なる非酵素反応(植物の細胞壁を構成するペクチンのメトキシ基と塩化物イオンとの化学反応)により,熱帯林の枯葉や落ち葉から大量に塩化メチルが生成・放出されていることが新たに提起されました。更に,この非酵素反応による枯葉・落ち葉からの塩化メチルの放出は,安定同位体比を指標として用いた解析により,熱帯植物を凌ぐ最大の発生源であると報告されました。ここで用いられた安定同位体比解析法は,塩化メチルを構成する炭素が質量数12と13の異なる安定同位体からなり,その比(炭素安定同位体比;d13C)が塩化メチルの発生源ごとにわずかに異なることを利用した解析法です。大気中の塩化メチルの平均的なd13Cは,各発生源から放出された塩化メチルの平均的なd13Cと,大気から塩化メチルが除去される際の平均的な同位体分別効果のバランスによって成り立っていますので,各発生源および消失源のフラックス(放出量あるいは消失量)と同位体比を加味した同位体収支バランス式を解くことで,収支がバランスするために必要な発生源あるいは消失源のフラックスを推定することができます。この報告では,塩化メチルの主要な消失過程である大気中のOHラジカルとの反応が非常に大きな正の同位体分別効果を伴うため,それとバランスする最大の発生源は,極めて軽いd13Cを持つ枯葉・落ち葉であろうと推測しています。しかし,この解析では,特に熱帯植物起源の塩化メチルに関する同位体情報がかなり限られていることによる大きな不確実性がありました。

 そこで,私たちは,真空ラインを用いた大気濃縮装置とガスクロマトグラフ/燃焼炉/同位体比質量分析計からなる同位体比測定システムを新たに開発し,温室内のフタバガキ科樹木や木生シダなどの熱帯植物から放出される塩化メチルのd13Cを測定しました。その結果,熱帯植物起源の塩化メチルは,約-85‰の比較的低い同位体比を持つことが明らかとなりました(なお,同位体比の変動は非常に小さいため,試料の同位体比は標準物質の同位体比からの差の千分率(‰)で表記します)。これは,枯葉起源の塩化メチルのd13Cより高いものの,森林火災などその他の発生源よりも有意に低いものでした(図参照)。得られた平均的な同位体比とこれまでに報告されている塩化メチルの各種発生源の同位体比,および消失過程の同位体分別効果を用いて,グローバルな塩化メチルの収支を計算したところ,熱帯植物からの塩化メチル発生量は年間約150~300万トンに上ることがわかりました。これは,塩化メチルの全発生量の3~5割に相当するもので,熱帯植物が塩化メチルの最大発生源であることを示唆しています。

図 各発生源を起源とする塩化メチルの炭素安定同位体比の特徴(熱帯植物以外の発生源については文献から引用した)
図 各発生源を起源とする塩化メチルの炭素安定同位体比の特徴
(熱帯植物以外の発生源については文献から引用した)

 安定同位体比解析法はグローバルな収支の検証や未知の発生源の探索などに有効な手法ですが,その解析結果は他の発生源や消失源に関する知見(フラックスやd13C)に左右されます。このため,熱帯林からの塩化メチル放出量について,より信頼できる推定を行っていくためには,実際のフィールドにおける発生源調査を平行して実施する必要があります。実は,熱帯林生態系を細かく見ると,前述の熱帯植物や枯葉・落ち葉の他に,木材腐朽菌,外生菌根菌,ハキリアリなど様々なものが塩化メチルを放出しています。一方,土壌中のある種のバクテリアは,大気中の塩化メチルを取り込む消失源として作用します。このような発生源・消失源の多様性のため,個々の発生源・消失源の積算から熱帯林生態系全体からの塩化メチル放出量を推定することは容易ではありません。そこで,私たちは,熱帯植物の個々の葉からの塩化メチル放出量の調査に加えて,森林樹冠レベルにおける塩化メチルのフラックス観測を初めて熱帯林で実施しました。

写真 高さ52mの観測タワーから望むマレーシア熱帯林

 マレーシアの低地熱帯雨林であるパソ森林保護区(写真)において採取した117種の熱帯植物について塩化メチルのフラックス測定を行ったところ,その約2割に相当する24種が塩化メチルを大量に放出していることがわかりました。また,この割合は,非フタバガキ科樹木(6%)よりフタバガキ科樹木(68%)において非常に高かったことから,フタバガキ科樹木がパソ熱帯林における主要な塩化メチル放出植物であることが示されました。一方,タワーを使って採取した森林樹冠上の大気試料の分析からは,塩化メチルの濃度が高さとともにわずかに減少する傾向が見出されました。この濃度勾配を微気象学的手法によって解析することで,パソ熱帯林全体からの平均的な塩化メチルフラックスを約14μgm-2h-1と推定しました。更にこの樹冠レベルのフラックスを全球の熱帯林に外挿すると,全発生量の約3割に相当する約130万トンもの塩化メチルが,熱帯林から放出されていることになります。

 このように,2つの異なる手法で同様な結果が得られたことから,熱帯林が塩化メチル全発生源の3~5割程度を占めていることが明らかとなってきました。このことは,熱帯林から放出される塩化メチルが,塩素のグローバルな循環という観点においても重要であることを示しています。今後,気候変動や熱帯域の土地利用の変化によって,塩化メチルを介した大気-自然生態系の相互作用はどのように変化していくのでしょうか。また,そもそも,なぜある種の熱帯植物だけが貴重なエネルギーを使って塩化メチルを大気に放出しているのでしょうか。こうした問いに答えるための研究に今後も取り組んでいきたいと考えています。

 

(さいとう たくや,化学環境研究領域 
動態化学研究室)

執筆者プロフィール

斉藤 拓也

 もうすぐ4才になる長男が,私が昼間どのような仕事をしているのか興味を持ち始めました。私が専門とする大気化学を説明しようと,「君の周りには空気なるものがあり,その主成分は窒素と酸素であるが,その中には・・・」と言ってみましたが,目に見えない空気の存在を信じてもらえず。そんな息子も,ここで紹介した植物の葉を使って話をすると,何かわかった様子。目に見えるものは強いことを実感しました。