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2018年12月27日

熱帯の海の森と気候変動

特集 自然共生社会の実現をめざして いま私たちが取り組んでいること
【研究プログラムの紹介:「自然共生研究プログラム」から】

井上 智美

マングローブと呼ばれる森

 干潟の砂地に生えている植物といえば、温帯や寒帯・亜寒帯では草本植物がメインですが、熱帯・亜熱帯といった暖かい地域の干潟では、どういうわけか樹木が深い森をつくるようになります。干潟なので、潮の干満によって海水で満たされたり、干上がったりするような場所です。潮が満ちている時は、魚が樹々の間を泳ぎまわり、まるで海の中に森が浮かんでいるように見えます。また、潮が引いて林床が現れると、カニやトビハゼがもぞもぞと泥の上を動きまわります。ワニやシカやトラが生息する森もあります。この森のことをマングローブ(Mangrove)と言います。マングローブは森林資源や漁業資源を安定的に供給してくれるほか、物質循環や沿岸保護、エコツーリズムの提供など、様々な機能を持っています(表1)。マングローブのある地域では、森に生息する魚やカニの獲り方、燃料や建築材のための伐採ルールなど、マングローブと共に生きるための大切な知恵が大人から子供へと伝えられています(写真1)。

生態系サービスの一覧
表1 マングローブの生態系サービス(恵み)
フィジーRewa川の森の写真
写真1 マングローブと共に生きる知恵やルールは大人から子供へ伝えられる。フィジーRewa川の森。

 この頃、このマングローブと呼ばれる森が世界中から注目を浴びるようになりました。その理由の一つは、私たちが直面している「気候変動」という課題の中で、この森がとても重要な役割を持っていることが分かってきているからです。自然共生研究プログラムでは、マングローブに焦点をあてた研究を推進しています。

マングローブの機能と気候変動

マングローブの中での写真
写真2 気中根が入り組んだマングローブの森の中
ミクロネシア連邦ポナペ島の森

 気候変動のなかで温暖化は、大気中の二酸化炭素濃度が上昇していることと深いかかわりがあるとされていますが、マングローブの土の中にはとても沢山の炭素が貯留されていることが分かりつつあります。全世界のマングローブを合わせると推計でおよそ152,000km2、北海道の約2倍あるとされており、その土の中にはおよそ2.6-5.0×1015gの炭素が有機物として存在するとされています。値に幅があるのは、計算に使用しているマングローブ面積の推定値に幅があることや、土壌中の炭素含有量が場所によって大きく異なること、多くの報告値は表層土のみの計測データ(たいていは表層から1m深度まで)をもとにしていて、表層から基盤までに含まれる全貯留量を計測した報告が極めて少ないことなどに起因しています。いずれにせよ、マングローブの土の中には沢山の炭素が眠っているらしいということが分かってきています。一つの心配は、この大量に眠っている炭素が、森の伐採などによって大気中に二酸化炭素として移動してくることで温暖化にさらなる拍車がかかることです。元々干潟に形成しているマングローブ林の土壌は高塩分で湿っていて、有機物の分解がとてもゆっくりです。このことが、マングローブ土壌に大量の炭素が貯まっている要因の一つであると言われているのですが、森が伐採されて都市や農地に変換されると水文環境が変わり、土壌が乾燥して酸素にさらされることになります。そうすると、これまで分解していなかった有機物が一気に酸化されて二酸化炭素になり、大気中に放出されるというわけです。マングローブが分布する熱帯・亜熱帯の沿岸域は、人口過密な地域でもあり、1980年代ころから森を伐採して都市や農地へ転換する動きが猛スピードで進みました。いくつかの報告によると、世界のマングローブ面積の0.7-1.3%が年々減少(森以外の土地に変換)しているということです。これは、今後100年で地球上からマングローブがなくなってしまうかもしれない数値で、とても悠長に構えていられることではないことが分かります。世界のマングローブ分布の変遷や、貯留されている炭素量を具体的に考慮して、マングローブに関わる政策の指針を作ることが求められています。私たちの研究プロジェクトでは、全球を対象として、マングローブの分布マップや構成樹種をデータベース化しています。また、炭素貯留量についても、科学論文から報告書、書籍などに散在しているデータを網羅的に整理して全体が俯瞰できるように取り組んでいます。これらのデータは、国立環境研究所生物・生態系環境研究センターのwebsite(Tropical Coastal Ecosystems Portal:http://www.nies.go.jp/TroCEP/index.html)で閲覧することが可能です。

 上述した「炭素貯留機能」に加えて、気候変動課題の中で注目されているマングローブの機能が「沿岸保護機能」です。温暖化が進行すると、気温の上昇だけではなく、地域によっては台風・ハリケーンの数が増えたり、規模が大型化したりするのではないかと心配されています。台風・ハリケーンは、沿岸域に多大な被害をもたらすことがあります。たとえば、巨大な低気圧の嵐が大潮満潮のタイミングにかさなると、高潮となって沿岸域の人家や人を襲います。マングローブには海からの風や波を緩衝する自然堤防の機能があります。一般に林や森には防風・防波の機能があるのですが、マングローブの場合、この機能が突出して高いと言われています。これは、マングローブ植物の形態が陸域の樹木とは異なることによります。マングローブ植物の多くは、根の一部を地上に露出しているため、森の中はとても複雑な構造をしています(写真2)。このため、海から来る風や波が森の中を通ると、あっという間に減衰していきます。気候変動の影響で、台風・ハリケーンが頻発・大型化してくるとすると、内陸に住む人々にとってのマングローブの役割はますます重要になると考えられます。マングローブによる高い沿岸保護機能が認知されるにつれて、かつて伐採した森の跡地などにもマングローブを再生させようとする試みがアジア・太平洋地域で進められるようになりました。気候変動適応策としてのマングローブ植林です。長い目でみれば、マングローブの土の中には大量の炭素が蓄積されていくので、気候変動緩和策としても有効であるという見方もあります。ただ、一度なくなってしまった森を再生するにはそれなりの手間がかかります。寒い地域に比べれば、熱帯・亜熱帯は植物の成長が速いですが、それでも、マングローブの植林には経験にもとづいた知識や技術が必要です。私たちの研究プロジェクトでは、国際マングローブ生態系協会(International Society for Mangrove Ecosystems)と連携して、インドやマレーシア、キリバス共和国といった国々で実際にマングローブ植林をする際に必要な知見や技術の提供を行っています(写真3)。

植林の様子の写真
写真3 気候変動適応策としてのマングローブ植林。
キリバス共和国タラワ環礁の沿岸。

温暖化がマングローブにもたらす影響

 さて、温暖化による気温上昇は、生き物のあらゆる機能に影響を及ぼすことが予想されます。マングローブ植物も例外ではないでしょう。現在すでに暖かい熱帯・亜熱帯がさらに温暖化した場合、マングローブ植物はどの様な影響を受けるのでしょうか?気候変動適応策としてのマングローブ植林を推進する上でも、温暖化した将来に植物が受ける影響を把握しておくことは重要です。私たちの研究プロジェクトでは、国立環境研究所の大型研究施設である自然光チャンバーを用いて、気温上昇がマングローブ植物の生育へ及ぼす影響を調べています(写真4)。自然光チャンバーは温度と湿度のプログラム制御が可能で、気温が高くなった世界をチャンバーの中に再現することが出来ます。アジア・太平洋地域のマングローブの主要な構成樹種をポットに植えて、数段階の気温に設定したチャンバーで栽培し、成長速度や形態変化、光合成や呼吸速度などを計測しています。今後、温暖化でマングローブ域にどの位の気温上昇が起きるのか未知ですが、例えば、夜間でも35℃を下回らないような世界が来たとすると、ヤエヤマヒルギやオヒルギは枯れてしまうようです(図1)。また、同じヒルギ科でもヤエヤマヒルギとオヒルギでは高温に対する耐性が異なるようです。私たちの研究プロジェクトでは、この様な種差を生み出しているメカニズムについても、植物種ごとの生理特性に着目しながら調べています。世界のマングローブで見られる植物種はおよそ100種あります。一つ一つを調べて行く方法もありますが、現象を引き起こしているメカニズムが明らかになることで、環境変動に対するマングローブ生態系の応答を予測する高度なモデルへの応用といった飛躍的なアプリケーションが可能になると考えています。

写真4 自然光チャンバーによる温暖化実験
図1 気温35℃におけるマングローブ植物(オヒルギ・ヤエヤマヒルギ)の生残曲線

(いのうえ ともみ、生物・生態系環境研究センター 環境ストレス機構研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール

筆者の井上智美の顔写真

反応生成物を示すピークがチャート用紙に現れると「おお!」となります。この感覚、調査中にオオトカゲに遭遇したり、カヌーの下をボラの群れが通り過ぎたりした時の「おお!」に似ています。

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