ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方
2022年1月10日

水銀に関する水俣条約と有効性評価

特集 物質フロー革新研究プログラムPJ1「物質フローの重要転換経路の探究と社会的順応策の設計」から
【環境問題基礎知識】

中島 謙一・Yingchao CHENG

1. 水銀に関する水俣条約

 私たちの身の回りには、たくさんの金属が使われていますが、常温で液体である金属は水銀(融点:-38.9℃)だけです。独特の色と光沢から一見して金属であるとわかる物質でありながら、常温で液体という珍しい性質を持つ水銀は、世界中の人々の暮らしのなかで様々な用途(例えば、蛍光ランプ、水銀体温計、水銀血圧計、水銀電池、水銀朱などの顔料、他)に使われてきました。元素である水銀は、地球誕生の時から存在していた物質であり、大気中や食品中にも微量ですが存在します。この食品などを人が食べると、水銀が人の健康に悪い影響を与えることもあります。また、いったん環境中に排出されると、それ以上、分解されず、長期的に残留するという性質があります。

 昨今、地球規模の水銀循環において、海洋・土壌への水銀蓄積の増大が指摘されると共に、その最大の原因としての人為的活動に伴う水銀の排出・放出の影響が懸念されています。これらの背景を受けて、発効されたのが「水銀に関する水俣条約(Minamata Convention on Mercury)」(以下、水俣条約)です。水俣条約とは、水銀およびその化合物の人為的な排出および放出から人の健康および環境を保護することを目的とし、採掘から貿易、使用、排出、放出、廃棄等に至る水銀のライフサイクル全体を包括的に規制する国際条約です。2013年1月にジュネーブで開催された政府間交渉委員会にて、国際的な水銀条約に関する条約案が合意され、条約の名称が「水銀に関する水俣条約」に決定し、同年10月に熊本県にて開催された外交会議で、採択・署名が行われました。その後、2017年5月には、締約国数が50か国に達し、規定の発効要件が満たされ、同年8月に発効に至りました。なお、2021年10月3日時点の締約国数は135か国です。

 水俣条約においては、水銀鉱山からの一次産出の廃止(既に稼働中の鉱山については時限を切って廃止)、および、条約上許可された目的以外の用途のための水銀の輸出入の禁止(第三条)、水銀添加製品の製造・輸出入、水銀を使用する工業工程について年限を定めて廃止等の措置(第四条)等が定められており、同条約が適切に履行されることで、グローバルな水銀の需要および供給の削減が期待されます。加えて同条約では、大気・水・土壌への排出・放出について、利用可能で最良な技術や、環境のための最良な慣行を基に排出・放出削減対策の実施(第八条・第九条)が定められており、適切な履行による排出の削減が期待できます。

 また、水俣条約では、第二十二条にて『有効性の評価』(Effectiveness evaluation)の実施が規定されており、評価は第二十一条『報告』の規定に基づき締約国から提供される報告や第十五条『実施及び遵守に関する委員会』(締約国会議の補助機関としての委員会)の規定に従って提供される情報及び勧告等を含む利用可能な科学、環境、技術、資金及び経済に関する情報に基づいて実施することが定められています。

 加えて、締約国会議は、この条約の効力発生の日から6年以内に、および、その後は、締約国会議が決定する間隔で定期的に、この条約の有効性を評価することが定められています。有効性評価の在り方については、2019年11月に開催された水銀に関する第3回締約国会議(COP3)にて、専門家会合からの報告に基づき、条約の有効性評価を実施するため枠組みや組織、指標等について議論が行われ、COP4に向けて評価指標に必要な項目に関する情報交換をすることとなりましたが、有効性評価を実施する為の枠組み・指標等の国際的合意には至りませんでした。

2. 有効性評価の開発に資するグローバル・シナリオモデルの開発を目指して

 地球規模の水銀循環への影響が懸念される人為的活動に伴う水銀の排出量(あるいは放出量)は、産業構造や経済活動の変化と密接に関わります。国連環境計画1によると、2015年における水銀の需要量は4,715トンであり、その需要内訳は、金の抽出に水銀を用いる人力小規模金採掘(Artisanal Small-Scale Gold Mining: ASGM)が約37%、水銀を使用する塩素アルカリ製造や塩化ビニルモノマー製造等の工業プロセスが約32%、水銀添加製品製造が約31%を占めることが示されました。また、供給内訳は、鉱山からの一次水銀が約40%、工業プロセスから回収される副生水銀が13%、在庫利用が12%であるのに対して、リサイクル・回収は35%に留まることが示されました。一方、人為的活動による水銀の大気への年間排出量は約2,500トンであり、総排出量に対して、ASGMやセメント製造を含む鉱工業部門からの排出量および燃焼部門からの排出量が高い割合(鉱工業:65%、燃焼:21%)を占めることが示されました。また、過去に実施された排出量の将来推計3-5においては、ベースラインシナリオにおいて排出量が大幅に増大する可能性が指摘されると共に、気候変動対策あるいは水銀対策を講じることで、排出量の抑制や削減が期待できることが示されています。一方で、社会経済の状況と対策の履行状況によっては、主要排出源である石炭等の燃焼部門、ASGMやセメント製造を含む鉱工業部門などにおいて、大幅な水銀排出量の増大が懸念されることも示されました。また、近年では、気候変動対策が急速に進展しており、脱炭素を支える技術や社会の転換による水銀排出量への正負の影響を未然に把握することも水銀循環の管理の観点からは不可欠であると言えるでしょう。このような状況を鑑みると、水銀循環を管理していく上では、将来の社会変化による影響と対策効果をあらかじめ把握することができる将来推計モデルの役割は、決して小さくないと思われます。

 一方、前述のCOP3では、下記の4つの政策質問(Policy question)を柱とする有効性評価のフレームワークと共に、計測のためのプロセス指標やアウトカム指標を含む指標群案が提示されました。しかし、水俣条約による環境中の水銀レベルの変化への寄与、更には、同条約に基づく措置による地球環境や人健康の保護への貢献を定量的に議論するためには、提案されている指標群だけでは不十分であり、人為的活動と水銀排出、環境動態、人健康影響を包括的に記述するモデルの開発と貢献が求められます。

 これらを背景に、現在、国立環境研究所では、京都大学らと共同で、環境研究総合推進費令和2年度戦略研究開発課題『水俣条約の有効性評価に資するグローバル水銀挙動のモデル化及び介入シナリオ策定』(SⅡ-6, JPMEERF20S20600)において、水俣条約の有効性評価に資するためベースラインシナリオと介入シナリオにおける対策を評価可能な一連のモデル群の作成を目指し、研究に取り組んでいます。具体的には、今後の気候変動の影響などを考慮して水銀制御・管理技術を整理・評価すること、人為的活動下でのグローバル・シナリオモデルを構築して、介入シナリオを策定すること、さらに、全球における水銀動態モデルを用いて海産物中のメチル水銀濃度を計算し、ヒトへの曝露量及びその推移の予測に取り組んでいます。また、同課題のテーマ2『有効性評価に資するシナリオ分析モデルの開発』(SⅡ-6-2, JPMEERF20S20620)では、AIM/End use[Global]モデルを核として、地球規模での部門別・地域別の大気への水銀排出量の将来推計を可能とするグローバル・シナリオモデルの開発に取り組んでおり、水銀の排出削減に寄与する対策を取らない場合、経済成長に伴って、水銀排出量は強い増大傾向(4,200トン, 2050年)を示すという結果が得られています。国・地域別では、インド・アフリカ諸国を中心とする低所得国、そして、部門別では、金の抽出に水銀を用いるASGM、石炭や石油等の燃焼を電力・熱供給、原燃料の一部(石灰石、銅・鉛・亜鉛・金などの鉱石)に水銀が含まれるセメント製造や非鉄金属製錬などに起因する水銀の排出量の増大が示唆されました。加えて、各種のパラメータ(活動量、排出係数、技術の導入率など)を変化させることで、気候変動枠組み条約及び水俣条約の履行の為の対策等の導入を想定した将来の水銀排出削減シナリオ(対策シナリオ)の定量化に取り組んでおり、一連の解析により、将来の水銀排出量および排出源については、国・地域ごとに異なる傾向(地域偏在性)を有する事が明らかになりつつあります。今後の学術的知見の蓄積と発信にぜひとも期待していただければ幸いです。

文献
1. UN Environment, 2017, United Nations Environmental Programme, Global mercury supply, trade and demand, 2018, https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/21725/global_mercury.pdf
2. UN Environment, 2019, United Nations Environmental Programme, Global mercury assessment 2018, https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/27579/GMA2018.pdf
3. Streets D.G., Zhang Q., Wu Y. 2009, Projections of global mercury emissions in 2050, Environ. Sci. Technol., 43, 2983-2988.
4. Rafaj P., Bertok I., Cofala J. Schöpp W. 2013, Scenarios of global mercury emissions from anthropogenic sources. Atmospheric Environment, 79, 472-479.
5. Pacyna E.G., Pacyna J.M., Sundseth K., Munthe J., Kindbom K., Wilson S. Steenhuisen F. Maxson P. 2010, Global emission of mercury to the atmosphere from anthropogenic sources in 2005 and projections to 2020, Atmospheric Environment, 44, 2487-2499.

(なかじま けんいち、資源循環領域 国際資源持続性研究室 主幹研究員)

(ちぇん いんちょう、資源循環領域 国際資源持続性研究室 特別研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の中島謙一の写真

中島 謙一
親になり約10年となりますが、将来の地球環境や社会の持続可能性を、より意識するようになったように思います。繋がる世代の人々に、豊かな感性を育み安心して暮らせる地球環境と社会を残していきたいと強く願っています。

筆者のYingchao CHENGの写真

Yingchao CHENG
子供の頃、本で水俣病のことを読んで、水銀の研究に興味を持ち、日本に来ました。環境問題は、国や地域だけの問題ではなく、地球規模での協力が必要です。経済発展と環境保護のバランスをとることは、将来の世代に対する私たちの責任でもあります。

関連新着情報

関連記事