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2018年2月28日

有害化学物質の生体影響評価の現状

特集 化学物質曝露の包括的・網羅的把握に向けて
【環境問題基礎知識】

曽根 秀子

 ここでは、長い間、欧米各国の規制機関で議論されてきた二つの物質、ベンゾピレン(benzo[a]pyrene、CAS No. 50-32-8)とビスフェノールA(bisphenol A、CAS No. 80-05-7、BPA)の健康影響評価の問題が解決される状況になったので、その現状を解説します。

 ベンゾピレンは、わが国における有害大気汚染物質の優先取組物質の一つに指定されている物質です。大気汚染防止法において「有害大気汚染物質」は、「継続的に摂取される場合には人の健康を損なうおそれがある物質で大気の汚染の原因となるもの」(第2条第13項)、すなわち低濃度長期間曝露における有害性(長期毒性)に着目して定められています。その中で健康リスクがある程度高いと考えられ、特に優先的に対策に取り組むべき物質(優先取組物質)として23物質が選定されており、ベンゾピレンは、その一つです。アメリカ合衆国では、環境保護庁(U.S. EPA)の統合リスク情報システム(IRIS)1) が、ようやく2017年に最終報告書を公表し、ベンゾピレンは「ヒトに対する発がん性(carcinogenic to humans)がある」物質とされました。さらに、同機関では、発がん性以外の毒性についても神経毒性、生殖毒性及び免疫毒性についての評価も行われました(表1)。欧州化学物質規制機関REACH/ECHA2)では、2016年に健康に対する高懸念物質の候補として、ベンゾピレンを登録しており、発がん性、変異原性及び生殖毒性(Carcinogenic, Mutagenic, Toxic for reproduction)を示す物質とされています。世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)3) のモノグラフでは、すでに、ヒト発がん物質(human carcinogen)として、グループ1となっています(http://monographs.iarc.fr/ENG/Classification/index.php, p. V100F P137-138)。動物実験の実施機関であるアメリカ合衆国国立衛生研究所/国立環境健康科学研究所NIH/NIEHSが運用している国立毒性プログラムNTP (National Toxicology Progaram) 4) においても、動物実験からの十分な発がん性の証拠に基づいて、“human carcinogens”とされています。このように、各評価機関によって微妙に表現は異なりますが、ベンゾピレンはヒトに対して遺伝毒性(変異原性)を有する発がん性物質であり、非発がん性については、生殖毒性、免疫毒性及び神経毒性を有する物質であると評価されたことになります。

表1 日本における大気汚染防止法で規制されているベンゾピレンの米国EPA-IRISにおける影響評価のまとめ

ベンゾピレンの表(クリックすると拡大表示されます

 一方、BPAを含む内分泌かく乱化学物質については、EPA-IRISにおける再評価の報告は行われていませんが、2017年1月に免疫寛容への影響があることで、REACH/EHCの高懸念物質の候補として登録されました。REACH/ECHAの高懸念物質の候補表109物質中においては、これまでに内分泌かく乱作用が懸念される物質として、10物質(環境:7物質、ヒト:4物質)がリストアップされています(表2)。ヒトへの影響が明確に示されなかったことから、健康影響の是非をめぐって長い間議論されて、多くの研究や行政的取り組みがなされました(表3)。内分泌かく乱物質は「内分泌系の機能に変化をもたらし、その結果として未処置生物、子孫、(準)個体群に有害な健康影響をもたらす外因性の物質または混合物」と定義され、発がん性評価が中心であった健康影響研究の分野に、ホルモンのように低用量で長期間曝露し、影響を及ぼす物質の概念的な整理が行われました。この約20年間のあいだに、低用量での影響の標的が多岐に渡るため、影響を検出するのに多くの疫学研究、動物実験、メカニズム研究が必要であったため、そのあゆみには時間がかかりました。その研究の中心的な内分泌かく乱化学物質の一つがBPAです。

表2 REACH/EHC高懸念物質候補リストに掲載されている内分泌かく乱化学物質

内分泌かく乱化学物質の毒性の特徴と登録年の表(クリックすると拡大表示されます)

表3 内分泌かく乱化学物質の国内外の取り組み

年表

 BPAは、ポリカーボネート樹脂、エポキシ樹脂の原料として、その使用用途は家電、自動車・機械部品、医療機器、食品容器、金属の防蝕塗装、建材などに多用されて来たため、環境中への汚染が懸念されていました。以前の評価ではBPAのヒトに対する予測最大総曝露量は、0.076μg/kg体重/日また、一般環境大気予測最大曝露(吸入)は、0.0003μg/kg体重/日 (環境省、化学物質の環境リスク評価、第3巻、2004)となっています。BPAの生体影響について、欧州食品安全機関(EFSA)はMenardらが2014年に報告した研究に着目しました。この研究では、動物実験でBPAが免疫寛容を抑制するということが示されています。通常、我々は卵や牛乳等の食物に対してアレルギー反応が起こらない“免疫寛容”の状態が成立していますが、何らかの原因によりこの免疫寛容がうまく成立していないと、その食物を摂取した際にアレルギー症状が起こってしまいます。これが近年、増加している食物アレルギーと呼ばれる病気ですが、Menardらの報告ではBPAを母親ラットに曝露すると、生まれてきた子ラットでは免疫寛容が成立しにくくなっていることが示されており、言い換えればBPAに曝露されると食物アレルギーになりやすくなるという可能性を示唆しています(図1)。そして、仮の一日耐用量(摂取しても悪影響が出ない量)を4μg/kg体重/日としています。BPAのヒトへの影響はClaytonらの疫学研究においても、免疫機能の指標の一つである血中抗ウイルス抗体量とBAP曝露量とに正の関係があるという報告があります。

実験の概要図
図1 ビスフェノールAのREACH高懸念物質に掲載された毒性影響、免疫寛容への影響を示した実験の概要(Menardらの報告、2014 FASEBから抜粋、改変)と免疫寛容

 近年、化学物質のリスク評価を加速させるために、行政における毒性試験とリスク評価の手法の変換の必要性が議論され、AOP(有害性発現経路、Adverse Outcome Pathways)概念の導入が研究レベルで始まっています。AOPは、標的分子への作用から有害事象の発現(AO)に至る経路を、生体の各臓器、組織、細胞、細胞内器官、その分子等の各階層レベルにおける鍵となるイベントのつながりとして示したものです。この概念はこれまでのリスク評価の枠組みの在り方において使用されてきた化学物質が生体に対して示す応答の作用様式MOA(Mode of Action)概念と類似していますが、これまでのMOA概念では含まれていなかった、化学物質の生体応答の結果として生じるたくさんの鍵となるイベントの分子間の相互作用や、生体に曝露する化学物質の分子構造と生体応答との活性との相関性などの情報を含みます。また、AOP概念は分子に開始することから生じている有害性の量的予測モデリングや他の鍵となるイベントの根拠を潜在的に築くことも可能にするようなハイ-スループットテスト方法の利用も研究されています。このようなリスク評価におけるAOP概念の導入によるパラダイムシフトが、より迅速なリスク評価に活用されるのかどうか、注目すべきです。

(そね ひでこ、環境リスク・健康研究センター 曝露影響計測研究室 室長)
 

字句説明

1) USEPA-IRIS: U.S. Environmental Protection Agency's Integrated Risk Information System.
2) REACH/ECHA: EUでは、化学物質の登録・評価・認可・制限に関してREACH(Registration, Evaluation, Authorization and Restriction of Chemical)規則が運用されています。欧州化学物質庁(ECHA)が、REACH規則を運用しています。
3) WHO-IARC: World Health Organization International Agency for Research on Cancer.
4) NIH/NIEHS: National Institute of Health/National Institute of Environmental Health Sciences

執筆者プロフィール:

筆者の曽根秀子の顔写真

2017年12月に低用量混合物の曝露影響評価と環境健康予防に関する国際カンファレンスを開催しました。3人の母として、三度の食事には気を付けるよう心がけながら、毎朝3個のお弁当を作っています。子供にはいつも肉を多くして!と、叱られています。

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