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2021年2月26日

福島海域調査

特集 生態影響の包括的・効率的な評価体系の構築を目指して
【調査研究日誌】

堀口 敏宏

はじめに〜調査を始めた経緯〜

 「1F(イチエフ)」と呼ばれる福島第一原子力発電所。その周辺海域でわれわれの研究チームが調査を始めてから、丸9年が過ぎました。1F周辺海域における調査とは、潮間帯調査と沿岸調査の2つに分けられますが、今回は沿岸調査としての福島海域調査についてご紹介します。

 まず、1F周辺海域における調査を始めた経緯について。ご承知のように、2011年3月11日の東日本大震災に付随して、1Fで事故が起きました。3基の原子炉でほぼ同時に炉心溶融が起き、建屋の爆発などにより、大量の放射性核種が環境中に放出されました。その8割以上が海洋に沈着し、大部分は1F周辺海域に沈着したという推定結果があります。では、そこでどのような汚染が生じ、生き物に何らかの悪影響が生じたのか否か。その点を明らかにせねばならないというのが、最初の動機でした。とはいえ、当時、1Fの半径20 km圏内(陸域)と周辺海域は警戒区域とされ、立ち入るには許可を得る必要があり、調査を行うことは容易ではありませんでした。苦慮する中、2011年9月に放射線医学総合研究所から筆者に対する研究協力要請があり、2011年12月14日に1日だけ警戒区域(1Fの半径20 km圏内のうち、楢葉町〜南相馬市に至る約40 kmの海岸線)に立ち入って潮間帯調査を行う機会を得ました。この時に見た光景や空間線量率は筆者にとってかなりの衝撃でした(2012年度31巻2号参照)。そのことをきっかけに沿岸調査の必要性も痛感し、福島県や福島県漁業協同組合連合会、いわき市漁業協同組合並びに相馬双葉漁業協同組合、そして漁業者の皆さんのご協力を得て、3隻の漁船(長さ約12〜13 m、総トン数4.4〜6.4トン)を傭船し、2012年10月から福島海域調査を始め、現在に至っています。福島海域調査は、漁船に調査機材を積み込み、漁船・漁具は漁業者が操作し、調査機材はわれわれが操作する、いわば、漁業者との共同調査です。

福島県沿岸の環境と魚介類の現状を知る〜「蓄積」と「影響」を分けて調べる〜

 有害物質による環境汚染を調べる場合、一般に、環境汚染の程度(例えば、生物体内における当該物質の蓄積量)と生物への悪影響の有無・程度を別々に分けて調べる必要があります。原発事故による放射能汚染が対象の場合も同様です。そこで、福島海域調査では、福島県沿岸北部(相馬市沖)、中部(1F近傍及び沖合)及び南部(いわき市沖)の水深10m、 20m及び30mに設定した、計9定点(図1)で、水温、塩分及び溶存酸素量の観測の後、餌料板曳き網という、一種の底曳き網を15〜20分間曳網し、底棲魚介類(魚類、甲殻類、軟体類及び棘皮類)を採集しています(図2)。

調査地点図
図1 調査地点図

1F:福島第一原子力発電所、ND:北放水口付近、SD:南放水口付近、
▲:水深10 mの観測点、●:水深20 mの観測点、■:水深30 mの観測点


餌料板曳き網により採集された底棲魚介類の選別の図(2020年1月北部海域)
図2 餌料板曳き網により採集された底棲魚介類の選別(2020年1月北部海域)

なぜ、水深30m以浅に着目したかというと、上述のように、1F事故で放出された放射性核種のかなりの部分が1F周辺海域に沈着したとみられることに加え、沿岸は魚介類の繁殖(再生産)の場として重要であるためです。さらに、福島県の漁業者から「(沖の調査は比較的多くなされているから)灘(なだ:浅海域)を調べてもらう方が有難い」と言われたことも関係しています。一方、北部、中部及び南部の水深30mの定点で採水と採泥、1F近傍の南放水口付近と北放水口付近で採水を行っています(図3〜図5)。

表層水(海面下0.5 m)及び底層水(海底直上1 m)の採水(2020年1月北部海域)の図
図3
表層水(海面下0.5 m)及び底層水(海底直上1 m)の採水(2020年1月北部海域)
底質の採取(2020年1月北部海域)の図
図4
底質の採取(2020年1月北部海域)試料採取の前に表面線量率を測定します。
南放水口付近での採水の図(2019年1月中部海域)
図5
南放水口付近での採水(2019年1月中部海域)背後に1〜4号機が見えます。
大型動物プランクトンの採集の図(2019年1月中部海域)
図6
大型動物プランクトンの採集(2019年1月中部海域)
マクロベントスの採集の図(2019年1月中部海域)
図7
マクロベントスの採集(2019年1月中部海域)
採泥器で底質を採取後、目合い0.5 mm の篩でふるい、篩上に残ったものを試料とします。

北部、中部及び南部の水深30mの定点では動植物プランクトンとベントス(底棲動物)の採集も行っています(図6及び図7)。採集した生物(魚介類とプランクトン、底棲動物)試料は、種別に個体数と重量などを調べ、水質、底質及び魚介類試料は化学分析に供しています。化学分析では、放射性セシウム(134Csと137Cs)の分析・定量のほか、2014年以降は海水中トリチウム(3H)濃度の分析・定量も始め、2020年から、遅ればせながら、放射性ストロンチウム(90Sr)分析も始めました。これまでに採集された魚介類試料は全て冷凍保存されているので、過去の試料に遡って90Sr分析を進めています。こうした調査を年に2〜3回継続しています。調査結果のうち、餌料板曳き調査の結果概要を今号の「研究ノート」(震災・原発事故後の福島県沿岸における魚介類群集の変遷)で紹介していますので、是非、ご一読ください。福島県沿岸・沖合では1F事故後、漁業の操業が停止し、試験操業が行われているだけですので、いわゆる、漁獲圧力(棲息する水産生物資源を漁獲する行為の程度)は震災前に比べてかなり低減しているのですが、不思議なことに、底棲魚介類の個体数密度(1 km2当りの個体数)が年々、減少傾向にあります(上述の「研究ノート」参照)。調査の精度を高めるため、もっと多くの定点で、且つ頻度を増して(例えば、年4回の季節調査として)福島海域調査を実施したいのですが、予算と人員に制約があるため、現実には難しいです。とはいえ、少しでも多くの情報を得たいと考え、観測点を福島県沿岸の16定点に増やし、2018年10月から隔月で1年間、餌料板曳き調査を行いました。その結果は、これまでに得た傾向とほとんど変わりませんでした。また、特に減少傾向が顕著である生物群のうち、甲殻類に着目して、なぜ減少したのかを調べるため、2020年7月〜9月に毎月1回、エビ類等幼生調査を行いました。南北に広がる福島県海域全体をカバーするため、水深20m、50m及び80mの観測点、計27定点において、マル稚ネットと呼ばれるプランクトンネットを用い、エビ類やカニ類等の浮遊幼生を採集しました。その結果は現在解析中ですが、エビ・カニ類の幼生が福島県沿岸・沖合のどこにどの程度分布しているか/いないか、その繁殖(再生産)過程に何らかの懸念があるか否か、に関する情報が得られると期待しています。

おわりに〜船酔いと冬の寒さに耐えて〜

 福島海域調査を実施する中で難儀と感じる点があります。それは、体調管理の難しさと船酔い、冬の寒さです。漁業者から「(魚介類を獲るなら)日の出に合わせて網を曳かなきゃ獲れないぞ」と言われたことから、日の出とともに網を曳くことにこだわっています。結果、夏季調査では宿を出るのが午前2時過ぎとなり、睡眠時間の確保が難しいと感じています。筆者の場合、宿を出る2時間前に起床して体調を整えるようにしているので、なおさらです。睡眠不足だと船酔いしやすいのですが、加えて、福島沖の波に体がまだ十分慣れていません。東京湾では随分鍛えられました(?)が、外海の福島沖では東京湾よりも波長が長く、しかもうねりがある場合には前後左右に揺られます。そのようなわけで、体調と海象によって今でも気持ち悪くなる時があります。そんなとき脳裏をよぎるのが「船酔いで死んだ人はいない」という恩師の言葉。東京湾における調査研究(2009年度28巻1号参照)の中でもご紹介しましたが、船酔いしてもしなくても、自分がやるべきことはやる、それに尽きます。冬季調査では日の出が遅い分、睡眠時間は多めに確保できますが、外気温が低くて寒い。これまでに経験した最低気温は−8℃…頬が痛く感じられました。福島海域調査を始めた頃は1Fに近い漁港を使用できなかったため、相馬市の松川浦漁港から1F近傍へ向かったのですが、片道1時間半ほどかかり、その間、寒風にさらされるため、辛い時間でした。最近は、浪江町の請戸漁港から1F近傍へ向かえるようになったので、15分ほどで現場へ到着します。随分楽になりました。調査を通じて、現在もなお、海に心身を鍛えてもらっています。有難いことです。

(ほりぐち としひろ、環境リスク・健康研究センター 生態系影響評価研究室 室長)

執筆者プロフィール:

筆者の堀口 敏宏の写真

強くなりたくて学生時代に近所の空手道場に通い、その後は一人で稽古を続けてきました。最近読んだ黒崎健時師範の著書に「武とは強さを競うものではない」、「いったん武道を始めたならば、稽古に打ち込み、鍛えることの最終目的を、心の錬磨に定めるべきだ」とありました。遅まきながら、何を求めて稽古するかという、心の引っ掛かりが取れた想いです。今後さらに精進します。

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