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2017年3月31日

精度の高い微小粒子状物質(PM2.5)の濃度予測モデルを目指して

Interview研究者に聞く

研究者の写真:菅田誠治
菅田誠治(すがた せいじ)
地域環境研究センター
大気環境モデリング研究室 主任研究員

 大気汚染物質の1つであるPM2.5(微小粒子状物質)は、健康影響が懸念され、各地方自治体などで観測の強化や注意喚起が行われています。近年、PM2.5の濃度分布の予測を見かける機会が多くなりましたが、PM2.5はほかの大気汚染物質に比べて正確な予測がとても難しい物質です。地域環境研究センターの菅田誠治さんは、PM2.5の濃度を計算するシミュレーションモデルを用いて研究や予測を行っています。菅田さんの予測モデルの開発について、成果や展望とともにPM2.5ならではの苦労をうかがいました。

健康影響で注目されるPM2.5

Q:これまでどのような研究をされてきましたか?

菅田:大学では気象学が専門で、ジェット気流の研究をしていました。国立環境研究所に入ってしばらく気候変動の研究をしたあとは、大気汚染を研究しています。PM2.5の研究は大気汚染の対象物質として1999年ごろから始めていたのですが、本格的に取り組むようになったのは2000年代になってからです。

Q:PM2.5とはどんな物質なのでしょうか?

菅田:PMとはParticulate Matterの略で、直訳すると粒子状物質です。そのうち PM2.5は粒径が2.5μm以下の粒子状物質の総称です。粒子と名前がついているように、液体や固体、またはそれらが混じったもので、大気中に浮かんでいます。

Q:PM2.5はどうやってできるのですか。

菅田:燃焼などによって直接生成される場合と硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)、揮発性有機化合物(VOC)などのガス状の原因物質が、大気中で化学反応により粒子化することでできる場合があります。

Q:どうしてPM2.5が問題になったのでしょうか。

菅田:PM2.5は非常に小さい粒なので吸い込むと、肺の奥深くの肺胞の中に入り込んだ後、なかなか出て来なくなってしまいます。それが血液などを介して体の中をぐるぐる回り、炎症などを引き起こすと考えられています(環境儀22号参照)。

Q:PM2.5はほかの大気汚染物質とどんな違いがあるのですか。

菅田:いちばん大きな違いは単一の物質ではなく、様々な物質の集合体だということです。硫酸塩、硝酸塩、元素状炭素、有機炭素などいろいろな物質が混ざっており、環境基準は全成分の合計で定められています。

Q:なぜ、PM2.5が研究の対象になったのでしょうか。

菅田:1993年に米国の論文でPM2.5の濃度が高い都市ほど死亡率が高いと報告されました。その報告が出てからは世界中でPM2.5の健康被害が注目されるようになりました(環境儀22号参照)。

Q:それで研究が始まったのですね。

菅田:ええ。日本でもPM2.5を観測し、またその健康影響を調べてみようということになり、国立環境研究所でも研究課題に取り入れられました。

 それまでの大気汚染では、原因となる汚染物質の排出を国内で少なくすれば解決することができました。しかし、PM2.5は海外から海を越えてやってくる越境輸送の影響が大きいので、自国の努力だけでは解決できない可能性があります。また、国内の観測データだけでは海外からの越境汚染の影響を分析するのもむずかしいのです。そこで、PM2.5の濃度分布予測や発生源寄与の推定ができるようなシステムをつくることになりました。

PM2.5の環境基準と注意喚起

Q:PM2.5の環境基準はありますか。

菅田:はい。日本では1972年からおよそPM7にあたる浮遊粒子状物質(SPM)の環境基準が定められていました。米国では1997年にPM2.5の環境基準が定められ、世界の多くの地域もこれに続きました。そこで、2009年に日本でもPM2.5の環境基準が決められたわけです。1年平均値が15μg/m3以下、かつ1日平均値が35μg/m3以下と2つの条件で定められています。さらに、注意喚起のための暫定指針値というのがあり、1日の平均値が70μg/m3を超えると予想されるときには、都道府県などは注意喚起を出すことになりました。注意喚起は法令に基づくものではありませんが、注意報に準ずるものです。

Q:注意喚起を出すためにどうやってPM2.5の濃度を予想するのですか。

菅田:環境基準が定められると、翌年度から日本全国に観測装置が設置され、PM2.5の観測が始まりました。そして、早朝の5時から7時の観測平均値が1時間当たり85μg/m3、または5時から12時の観測平均値が1時間当たり80μg/m3を超えたときに注意喚起を出すことになっています。

Q:その予想は当たるのですか?

菅田::当たらないときも少なくなく、各自治体も困っていました。1~2時間先なら観測データだけからでもある程度予測できますが、例えばその日の午後に濃度がどうなるかという予測は簡単にはできません。でも、シミュレーションでPM2.5の濃度が予測できれば、当日の観測データを見ながら注意喚起を出すかどうか判断をしやすくなります。そこで濃度予測モデルへの関心が高まりました。

予測モデルの精度を高める

Q:いつからモデルを用いる研究を始めたのですか。

菅田:モデルには1990年代後半から取り組んでいましたが、その計算を自動化する予測システムの開発を始めたのは2004年頃からです。

Q:PM2.5のモデルの改良はむずかしいのですか。

菅田:ええ、かなりむずかしいですね。それ以前に取り組んだオゾンのモデルと比べてもPM2.5は同じようにはいきません。PM2.5は複数の成分をそれぞれ計算する必要がありますし、大気中の関連物質がたくさんあります。モデルをつくるためには、PM2.5ができるときの反応の条件なども考慮しなければなりません。そのためには、室内で実験を行い、大気中のどのガスがどのように反応するとPM2.5がどのくらいできるのかを明らかにすることも必要です。そこで、実験チームや観測チームとともにモデルづくりやモデルの改良に取り組んでいます。

Q:複雑な計算になりますね。

菅田:物質が大気中をどのように運ばれるのかという計算ももちろんします。そのためには気象データも必要です。大気中の物質の化学的な過程や物理的な過程が一通り含まれている計算をしなければならないので、かなり複雑な計算になりますね。予測した値と観測した値が大きくかけ離れることがあり苦労しましたが、徐々に精度は上がっています。

大気汚染を予測するVENUS

Q:予測モデルの詳細を教えてください。

菅田:愛称をVENUS(ヴィーナス)という大気汚染予測システムを開発しています。このモデルでは、PM2.5、光化学オキシダントやそれらの関連物質の大気中濃度をコンピュータで計算し予測しています。東アジアや全国各地域の濃度予測図をインターネットで公開しています。予測図は、毎日1回、午前7時に当日と翌日分が掲載されます。予測期間は徐々に伸ばしていきたいと考えています。

Q:VENUSでのPM2.5の濃度分布の予測についてもう少し詳しく教えてください。

菅田:まず気象データをPM2.5の予測に使いやすいように計算しなおし、それに研究成果に基づいて改良された化学反応の式などを加えて、どのような物質がどれだけ発生し、どのように輸送されるかなどを場所や時間を区切って計算していくのです。

Q:計算には時間がかかるのですか。

菅田:そうですね。計算にかかる時間は何日分をどのような条件でどの計算機で計算するか次第なのですが、国立環境研究所のスカラ処理用計算機という大型の計算機を使っても1週間以上かかる計算をすることもあります。計算してみたけれど観測値と全然あわないこともあります。そんなときは、いろいろな条件を変えて、例えばどの反応式を選べば有効なのかといったことを検討しながら、計算を繰り返します。VENUSの場合には、毎日夕方に計算を開始して翌朝までに予測図の作成まで終えなければならないので、予測期間や選択できる設定をうまく選んでやる必要があります。

Q:シミュレーションはPM2.5の濃度予測だけに使うのですか。

菅田:PM2.5の分布の予測のほかに、PM2.5の変化の原因の解明などPM2.5の本質的な研究にも使います。また、PM2.5の対策効果を見積もる、つまりアセスメントに使うこともできます。本質的に同じプログラムを使っていても、目的によって計算設定を使い分けています。

Q:VENUSという愛称はだれがつけたのですか。

菅田:共同研究をしている地方の環境研究所の方です。愛称を募集したところ、応募してくれたもののひとつで、Visual atmospheric ENvironmentalUtility Systemの略です。

観測装置の写真
研究所内の大気モニター棟横にあるPM2.5観測装置
説明の様子の写真
計算結果を球面に投影して行ったデモ

広がるPM2.5の観測網

Q:地方自治体の環境研究機関などと共同研究をしているのですか。

菅田:はい。粒子状物質については地方環境研究所などと2007年から共同研究を行っています。2011年には地方の環境研究所と共同で環境省の競争的研究資金に応募し、離島を中心に全国14地点でPM2.5の観測を始めました。大気をサンプリングし、汚染状況を分析しました。PM2.5の成分別濃度などのデータ分析は自動装置ではできず、手間も費用もかかるため、とても貴重なものです。今では多くの研究の役に立っています。

Q:その観測は続いていますか。

菅田:2013年度に私たちの観測が終了した後も、環境省がその測定機を引き継いで佐渡島や対馬などの離島で観測を続けています。

Q:なぜ、離島で観測するのですか。

菅田:都市から離れている離島では、都市の影響を受けていない自然な状態の値を測定できます。このような地域でPM2.5の濃度が上昇すれば、大陸からどの程度の影響を受けているかどうかがわかります。また、その濃度が都市と大きく違っていれば、その差は都市の影響として見積もることができます。

Q:研究目的以外でもPM2.5の観測は行われているのですか。

菅田:2009年に環境基準が決まった翌2010年度から大気環境常時監視測定の一環として全国の地方自治体がPM2.5の濃度を観測しています。測定局数は徐々に増え、現在は全国約1000地点で自動測定機を用いてPM2.5を観測しています。自動測定機は、大気を吸収し、ろ紙上にPM2.5を捕集します。その量はβ線を使って自動的に測定します。

機器の写真
PM2.5濃度の自動測定機
観測風景の写真
自動測定機のテープろ紙に捕集されたPM2.5

Q:測定にはどんな苦労がありますか。

菅田:PM2.5では、成分ごとの自動測定を簡単にはできません。その点ではほかの大気汚染物質に比べて測定がむずかしいですね。PM2.5の濃度も時間や場所によって誤差が大きくなることがあり苦労しています。

Q:最近のPM2.5の汚染状況はどうでしょうか。

菅田:ここ5年間ほど、大気中のPM2.5図2のように横ばいです。ただしここ1~2年は、極端に高濃度になるような出来事の起こる頻度が減っていて、注意を喚起する日数は減っています。これがたまたま気象要因によるものなのか、根本的に解決に向かっているのかはまだよくわかりません。

Q:PM2.5の高濃度の原因は海外によるものが多いので、国内の対策には限界があるのではないですか。

菅田:国内でもPM2.5の原因と考えられるものはいくつもあります。たとえば、燃焼で生じた煤(すす)、工場や建設現場で生じる粉塵(ふんじん)のほか、化石燃料の燃焼による排気ガスや、石油からの揮発や植物から発生する揮発性有機化合物(VOC)などがあります。すでにディーゼルエンジンの排ガスなどの対策は進んでいます。どのような対策がPM2.5の濃度を減らすのに効果的なのかはまだ明確ではありませんが、たとえ海外から原因物質が大量に流入したとしても、大気中で反応する相手となる物質の排出を国内で減らせば効果があるかもしれません。PM2.5は複雑で不明な点が多いので、今すぐに対策につながらなくても、将来に備えて状況を把握し、研究や予測をすることは必要なのです。

天気予報に追いつくことを目指す

Q:PM2.5濃度の予測の結果をどう使いますか。

菅田:VENUSのようなツールの成果は誰でも共有できるようにしたいと思っています。また、中国や韓国など近隣諸国とも共同研究して、データなどをお互いに共有しようとしています。

Q:今後、研究をどのように進めたいですか。

菅田:所内や所外、地方の環境研究所などと連携して、モデルの改良を一層進めていきたいです。大気汚染予測システムの精度をあげて、PM2.5の注意喚起に使えるくらいまで改良できるといいですね。

 私たちが利用している天気予報も数値予測によるものです。計算手法の改良や観測データの活用などの努力によって予測の精度が向上し、天気予報が信用してもらえるようになるまで10年以上かかりました。簡単にはなかなか説明できませんが、風の流れそのものを予測する天気予報よりも、その風に乗って流される物質を予測する大気汚染の予測の方がむずかしいので、VENUSが天気予報に追いつくのにはもっと時間がかかるかもしれません。でもその日を目指して研究を進めていきたいと思っています。

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