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2019年2月28日

環境化学物質曝露と行動の発達

特集 化学物質が小児・将来世代に与える健康影響の評価とメカニズムの解析
【研究ノート】

前川 文彦

 環境要因に起因して精神疾患発症率が増加している可能性が危惧されており、その原因の一部は有害化学物質の曝露影響を反映しているのではないかと考えられています。特に胎児期や新生児期等、発達期の子供の脳は環境要因に感受性が高く、有害な化学物質曝露が子供の脳の発達に影響を与えないように注意深く監視していく必要があります。そこで私達は胎仔期~幼仔期の動物モデルに対して化学物質曝露を行って後発的行動異常を検出することで、行動発達への有害性を評価できる手法の確立と有害影響の指標となる脳の生理的・構造的変化の発見を目指して研究を行っています。これまでに金属、農薬、難燃剤等から特定の物質をピックアップし、各々の化学物質を発達期曝露することによって生じる行動異常や脳の機能・構造変化の評価を行ってきました。

 金属に関してはヒ素を標的物質として検討を行いました。森永ヒ素ミルク事件(1955年にヒ素が混入した粉ミルクを飲用した乳幼児に重篤な影響が出た事件)の後遺症として脳・神経系への重篤な影響が知られているようにヒ素曝露は一時的であっても永続的な神経毒性を示すことが知られています。環境からの影響としては東南・東アジアを中心とした国・地域で飲水や食物摂取を介して土壌に含まれるヒ素に曝露されることで神経発達が阻害されるという疫学調査が多数報告されています。発達期のヒ素曝露がどのような行動影響を誘導するか明らかにするため、妊娠中期〜後期(妊娠8~18日目)の雌マウスに亜ヒ酸ナトリウム85ppmが含まれた飲水を与える亜ヒ酸ナトリウム曝露群と、亜ヒ酸ナトリウムを含まない水を与える対照群を作製し、各々の母体から産まれた仔が成長した後、行動異常を検討しました。行動実験には全自動行動記録装置IntelliCage(図1)を使用し、ヒト発達障害において影響が報告されている脳機能の一つである行動柔軟性に影響が現れるか検討しました。IntelliCageを用いた行動柔軟性試験は、1. 学習獲得期と 2. 反転課題期の2つのフェーズから構成される試験です。まず学習獲得期においては報酬となる水が飲める場所を覚えさせる空間学習を施しました。学習を成立させた後の反転課題期においては、水が飲める場所を変更し新規の飲水場所を再学習させることで環境変化への適応力を評価しました。その結果、学習獲得期においては対照群と亜ヒ酸ナトリウム曝露群との間で学習成績に違いは認められず、どちらの群も同程度に水を飲める場所を学習することができたため、空間学習行動自体にはヒ素曝露の影響は無いことが分かりました。一方、反転課題期においては再学習開始直後の成績が対照群と比較して亜ヒ酸ナトリウム曝露群で統計学的に有意に低下することから、胎仔期ヒ素曝露が行動柔軟性に影響を及ぼすことが明らかになりました。このような行動柔軟性への影響は雌雄ともに認められました。また行動柔軟性に関与することが知られている前辺縁皮質と呼ばれる大脳皮質内の領域に存在する神経細胞の神経突起の長さを群間で比較したところ、亜ヒ酸ナトリウム曝露群において神経突起の長さが統計学的に有意に減少していたため、この領域の神経細胞に対する直接的なヒ素作用が行動柔軟性低下に結びついていると考えています。

模式図
図1 IntelliCageの模式図
4隅にコーナーと呼ばれる三角形の小部屋が存在し、コーナーに入ることで給水瓶から飲水が可能となる。コーナーの出入り口にはRFIDリーダーと呼ばれるセンサーがついており、マウスの皮下に埋め込んだチップ(RFID)を読み込むことで、どの個体がどのコーナーを探索したか全自動で記録できる。

 農薬に関しては昆虫のニコチン性アセチルコリン受容体に働いて殺虫作用を示すネオニコチノイド系農薬に着目して発達期曝露影響を検討しました。ネオニコチノイドは哺乳類のニコチン性アセチルコリン受容体には作用しないためヒトへの安全性が高いと考えられてきましたが、近年細胞レベルの実験により哺乳類の神経細胞の活性化作用を有するとの報告もなされており、更なるヒト健康への影響の検討が必要です。ネオニコチノイドの一種であるアセタミプリドを妊娠中期から授乳期(妊娠6日目~出産後21日目)まで、妊娠マウスに一日体重kg当たり10mgあるいは1mg投与する群(高用量群、低用量群)と、溶媒のみを投与した対照群の3群を作製し、成長後の行動影響を検討しました。まずIntelliCageを用いて行動柔軟性への影響を評価しましたが雄雌ともに3群間で違いは認められませんでした。次に行動柔軟性以外の精神神経発達に着目し、攻撃行動試験、性行動試験、明暗箱試験(図2)を用いて評価を行い、社会性や情動性への影響を探索しました。その結果、雄マウス選択的に攻撃行動や性行動が低用量群で統計的に有意に上昇することが明らかとなりました。また、低用量群・高用量群ともに雄で統計学的に有意に不安反応が異常に低下することも明らかとなりました(図3)。数多くの先行研究でニコチンの神経毒性影響は雄で顕著に現れることが報告されており、原因としてニコチンが作用するニコチン性アセチルコリン受容体やコリン作動性神経系の性差が関与している可能性が示唆されています。今回の研究でもネオニコチノイドの発達期曝露影響が雄でのみ認められたのは、脳の構造・機能的な性差に起因する可能性があります。また、ニコチン曝露が衝動性増加に関与することを示す先行研究も数多く知られており、ネオニコチノイド曝露により認められた複数の行動変化が起こった原因として衝動性増加に関わる神経回路が強く影響を受けている可能性があります。

試験の概要図
図2 明暗箱試験の概要
暗箱と明箱が通路で接続されて自由に往来できる明暗箱にマウスを入れて10分間行動観察します。マウスは暗いところを好むので、暗箱の滞在時間が対照群より長いとより不安を感じていると解釈できます。逆に明箱の滞在時間が対照群より長いと本来不安を感じるべきところに不安を感じず衝動的に出ていってしまっていると解釈できます。
明箱滞在時間のグラフ
図3 明暗箱試験における明箱滞在時間への影響
雄選択的に明箱における滞在時間がアセタミプリド低用量群・高用量群で対照群より統計学的に有意に長くなっていました。 *p< 0.05 vs 対照群(統計手法:分散分析及びフィッシャーのPLSD法)、( )内は試験した匹数

 最後に難燃剤に関してはエストロゲン様活性を示すリン系難燃剤について評価を行いました。難燃剤の中には発達期曝露により甲状腺ホルモン作用や性ステロイドホルモン作用をかく乱することで脳の正常な発達を阻害する物質が存在することが報告されています。近年、細胞レベルの研究からリン酸トリス(2,6-ジメチルフェニル)(2,6-TDMPP)と呼ばれる物質がα型エストロゲン受容体と呼ばれるタンパク質に結合することで内分泌かく乱作用を示す可能性が報告されており、胎児期・新生児期に曝露されることで性分化異常が誘導される可能性が懸念されています。そこで、脳の性が決定する時期である妊娠14日目~出生後9日目までのマウスに出生前は母体に、出生後は新生仔に直接2,6-TDMPPを投与した群(2,6-TDMPP群)を作製し、溶媒のみを投与する対照群や、代表的なエストロゲンであるエストラジオールを投与する陽性対照群と比較しました。その結果、2,6-TDMPP群では思春期の早発、性成熟後の雌性行動の低下、性周期異常等、雌の生殖生理・行動に強く影響が現れました。また、それらの影響は陽性対照群でも同様に確認されました。加えて、脳の性分化の指標となることが知られている、雌雄で細胞数や神経核容量が異なる性的二型核について検討した結果、2,6-TDMPP群および陽性対照群の雌において対照群と比較して統計的に有意に性的二型核の雄性化が認められました。これらの結果から2,6-TDMPPはエストロゲン様の内分泌かく乱作用を示し、雌で特に強く影響が現れることが明らかになりました。

 金属、農薬、難燃剤を評価して行動影響を比較した私達の研究を俯瞰すると、化学物質種に応じて影響が現れる動物モデルの性や行動指標がそれぞれ異なることがご理解いただけると思います。このことは、即ち、化学物質影響の検討を行う動物モデルの性や行動評価指標が適切なものでないと影響を見過ごしてしまう可能性があるということです。今後も、検討すべき化学物質に対応した適切な影響指標の探索を続け、効果的かつ取りこぼしが少ない化学物質影響評価の体制を構築する一助となればと考えています。

(まえかわ ふみひこ、環境リスク・健康研究センター 生体影響評価研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の前川文彦の写真

今年3月の東京マラソン2019に茨城県の準エリート枠で出させていただけることになったので昨年の夏は酷暑の中でも走り込みました。温暖化を身に沁みて感じた夏になりました。

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