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2017年2月28日

数理モデルにより化学物質の濃度をどのくらい低減すべきかを明らかにする

特集 生態学モデルによる生態リスク評価・管理の高度化
【シリーズ研究プログラムの紹介:「安全確保研究プログラム」から】

横溝 裕行

 我々の生活に化学物質は欠かすことができませんが、適切に管理しなければ人々の健康が脅かされ、野生生物が悪影響を受けてしまう可能性があります。例えば、化学物質によっては環境中の濃度が高くなると、野生生物の生存率や繁殖率の低下などを引き起こすことが知られています。環境中の化学物質がどのくらいの濃度になれば、どのくらいの悪影響が生物に及ぶのかを把握して、化学物質の濃度を低減するために対策を講じることは、野生生物の保全のためにとても重要なことです。しかし、環境中の化学物質の濃度と、野生生物の生存率や繁殖率などに与える影響の大きさについて正確に把握することは容易ではありません。完全に正確な情報が得られなくても、適切な対策を講じることが重要となります。そこで、私たちは化学物質の濃度と野生生物に与える影響の大きさについて正確な情報を得ることが難しい場合に、化学物質を使用する事業所から排出される化学物質の濃度をどのくらいまで低減すべきかを明らかにするために数理的手法を構築しました。

数理モデルを用いた対策の選定

1. 化学物質によって野生生物が受ける影響の大きさと環境中の化学物質の濃度を知る

 排水中の化学物質の濃度をどのくらいまで低減すべきかを明らかにするためには、まず、化学物質によって野生生物が受ける影響の大きさと、対策後の環境中における化学物質の濃度を知る必要があります。複数種の生物に対して生態毒性試験を行うことで、環境中の化学物質の濃度が高くなるにしたがって影響を受ける種がどのくらい増加するのかを予測することができます。しかし、野外には数多くの種が存在していますので、対象とする河川に生息する全ての種に対して生態毒性試験を実施することは不可能です。しかも、一部の生物種に対する生態毒性試験により生態系への影響を推定するためには、本来は野外に生息する生物種から任意の生物種を選ぶことが必要となりますが、実際は生態毒性試験を行うことが比較的に容易である生物種に対してしか生態毒性試験が行われていません。このような理由で、河川において化学物質によってどのくらいの生物種が影響を受けているのかを正確に把握することはとても困難です。さらに、事業所から排出される化学物質の濃度を低減することにより、河川中の化学物質の濃度がどの程度低くなるのかを、数理モデルにより予測することができますが、正確な予測は容易ではないという問題があります。

2. 管理目標を決める

 工場等から河川に排出される化学物質の濃度を低減させるためには、設備投資や化学物質の使用量の削減が必要となるため、排水中の濃度を低減することにより生物への影響は軽減されますが社会的なコストが伴います。そのために、私たちは対策のコストを考慮して、生態系に与える影響と社会的なコストの両方のバランスを考えて、排水中の化学物質の濃度をどのくらいまで低減させる必要があるかを検討しました。まず、生物の保全のために化学物質が原因で生物種が悪影響を受けることにより被るコストと、設備投資により排水中の化学物質を減らすことに伴うコストの和を全コストと定義して、この全コストをある値より小さく抑えることを管理目標としました。この管理目標となる全コストの大きさは、社会が許容することができる全コストの大きさを表します。化学物質により一定の生物種が影響を受けてしまうことにより被るコストの求め方は、過去の政策で生物の保全のために支払われた費用や、生物種を保全するためにどのくらいのお金を支払えるかというアンケート等を用いて算出する方法などが考えられます。全コストの単位は貨幣単位(億円など)となります。

3. 管理目標を達成するために適切な化学物質の濃度を求める

 化学物質によって影響を受ける生物種の割合や、環境中の化学物質の濃度がわからないと、排水中の化学物質の濃度をどの程度まで低減させれば良いのか判断が難しくなります。しかし、化学物質によって影響を受ける生物種の割合や環境中の濃度の真の値は分かりません。そのため、利用可能なデータから推定できる最も良い推定値(以下、最良推定値とよびます)に基づいて、排水中の化学物質の濃度をどの程度まで低減するかを決定することになります。化学物質によって影響を受ける生物種の割合の最良推定値は生態毒性試験による結果を用いて求めます。排水中の化学物質の濃度を低減した際の環境中の濃度の最良推定値は、数理モデルによる環境中の濃度の予測値から求めます。最良推定値は、利用可能なデータから得られる最も良い推定値であり、真の値ではありません。真の値が最良推定値と大きく異なっていたとしても、管理目標を達成することができる対策はよい対策であると考えることができます。

 管理目標を達成するために取るべき対策を選定する方法を、図1を用いて説明します。化学物質の排水中濃度を大きく低減する対策と、少しだけ低減する対策の2つの対策のうち、最良推定値が真の値よりも大きく異なったとしても管理目標を達成することができる対策がどちらなのかを明らかにします。化学物質の排水中濃度を少しだけ低減する対策は、生物への影響はそれほど小さくできませんが、対策にかかるコストは小さくなります。図1の緑(実線)と赤(破線)の曲線は、それぞれ排水中の濃度を大きく低減する場合と、少しだけ低減する場合の全コストの最大値を示しています。図1の横軸は、最良推定値の真の値からのずれの大きさを表しています。真の値はわかりませんので、実際に最良推定値が真の値からどのくらいずれているのかを私たちは知ることができません。真の値からの最良推定値のずれが大きくなるほど、全コストの最大値が大きくなります。全コストの「最大値」に着目する理由は、悲観的な場合でも管理目標を達成できる対策を選ぶためです。図1に示された結果を見ますと、排水中の濃度を大きく低減する方が、影響を受ける生物種の割合や化学物質の濃度の最良推定値が真の値から大きくずれたとしても、管理目標とする全コストを超えにくいということがわかります。この場合は、排水中の化学物質の濃度を大きく低減する方がよい対策ということになります。最良推定値の真の値からのずれの大きさをあらかじめ仮定することなく、管理目標を設定することで、適切な対策を選定することができます。

図1 最良推定値からのずれの大きさと全コストの最大値
図1 最良推定値からのずれの大きさと全コストの最大値
横軸は、影響を受ける生物種の割合と環境中の化学物質の濃度の最良推定値からのずれの大きさ(割合)を示しています。縦軸は、全コストであり貨幣単位(億円など)となります。

因果関係に基づいた対策の選定にむけて

 上記の方法により、野外の生物に対する化学物質の影響について正確な情報が十分に得られない場合でも、生態毒性試験の結果に基づいて適切な対策を選定することができます。しかし、野外生物に与える化学物質の影響をできるだけ把握してから対策を決定することが重要であることに変わりはありません。現在、私たちは環境中の化学物質の濃度と生物の種数などの因果関係を推定するために、野外調査の実施と数理・統計モデルの開発を行っています。野外調査により因果関係を推定するために、できるだけ着目する要因の影響が把握できるように調査を行うことが重要になります。ある化学物質の濃度が高い場所では、アンモニアなどの生物に影響を与えうる他の物質も高濃度で存在したり、河川環境が改変されていたりする傾向があります。野外調査の結果は、化学物質の濃度と生物の種数の因果関係ではなく相関関係である可能性があります。相関関係に基づいて選定された対策を講じたとしても、因果関係がなければ対策により生物種数や個体数は回復しません。今回紹介した数理的手法を発展させ、因果関係に基づき、またその因果関係に含まれる不確かさを考慮にいれた最適な管理施策の選定手法の開発を行っています。

(よこみぞ ひろゆき、環境リスク・健康研究センター リスク管理戦略研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

20代の終わりに水泳を始めましたが、30代の終わりに肩を脱臼してしまいました。研究所の中長期計画のように、40代は何に取り組むかを考えようと思いましたが、私の主務大臣(妻)の定める中長期目標に従って重点的に家事に取り組むことになりました。

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