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2019年2月28日

妊娠期ヒ素曝露が次世代および生殖細胞に及ぼす影響の解析

特集 化学物質が小児・将来世代に与える健康影響の評価とメカニズムの解析
【研究ノート】

鈴木 武博

はじめに

 有害物質に脆弱と考えられる胎児期や乳幼児期における環境化学物質曝露は、すぐには顕在化しない様々な後発的影響を誘導することが懸念されています。さらに、化学物質曝露が次世代やさらにそれ以降の世代にまでも健康に影響を及ぼすという多世代・継世代影響の可能性が指摘されていますが、その詳細はほとんど明らかになっていません。安全確保研究プログラムの「化学物質の小児・将来世代に与える健康影響評価研究プロジェクト」のサブテーマ3では、生殖細胞やエピジェネティック修飾変化に着目し、無機ヒ素による次世代影響経路の探索を目的に実験動物や細胞株を用いて研究を行っています。本稿では、私たちの研究によって明らかになった無機ヒ素の次世代影響の事例を紹介し、現在行っている生殖細胞に着目した研究をご紹介します。

動物実験による妊娠期無機ヒ素曝露の次世代影響

(1) 成長後の肝腫瘍の増加

 無機ヒ素(ヒ素)汚染は、中国、インド、バングラデシュなどの世界各国で、地質から井戸水等への混入を介して深刻な健康被害をもたらし、大きな環境問題となっています。ヒ素の長期摂取により慢性炎症をはじめ、最悪の場合発がんにいたることがヒトを対象とした疫学研究により報告されています。さらに、妊娠期や乳幼児期のヒ素曝露によって成人後に膀胱、肺、肝臓などにがんが発症することが疫学研究により報告されています。動物実験においては、アメリカの研究グループが、オスが肝腫瘍を発症しやすいマウス(C3Hマウス)を用いた実験系を報告しました。妊娠8~18日目の10日間のみ、母親に85ppmの無機ヒ素を含む水を自由摂取させると、産まれたオスの子(子世代、first filial generation (F1))が74週齢で肝腫瘍を高率に発症するというものです。私たちはこの実験系を使用して、妊娠期ヒ素曝露群(ヒ素群)と妊娠期にヒ素曝露をしていない群(対照群)で比較し、確かにヒ素群F1のオスで肝腫瘍の発症率が増加することを確認しました。さらに検討を重ねたところ、非常に興味深いことに、その次の世代(孫世代、F2)でも、オスが74週齢ほどで肝腫瘍を高率に発症することを明らかにしました(図1)。F2に続く影響は、母親か父親かどちらに由来するかを明らかにするため組み合わせ交配実験をおこなった結果、父親に由来することがわかりました。つまり、F1のオスが妊娠期にヒ素曝露されていると、F2でも肝腫瘍が増加することが明らかになりました。以上の結果から、妊娠期ヒ素曝露による成長後の肝腫瘍増加は、子世代のみならず孫世代までも続き、それは子世代のオス経由で起こることがわかりました(図1)。

子世代孫世代への影響の図
図1 妊娠期ヒ素曝露による子世代、孫世代での成長後の肝腫瘍増加
母親マウスの妊娠中のみ85ppmのヒ素を飲水投与すると、産まれた子世代(F1)、孫世代(F2)のオスが74週齢ほどで対照群と比較して肝腫瘍を高率に発症することがわかりました。母親から産まれたF1を対照群とヒ素群のオスとメスでそれぞれ交配させると、F2世代の影響は、F1のオスがヒ素に曝露されていると現れることがわかりました。

(2) 培養シャーレに接着する肝細胞数の減少

 私たちは、妊娠期ヒ素曝露による成長後の肝腫瘍の増加以外の「新たなヒ素の次世代影響の探索」も行っています。肝臓での腫瘍の増加という次世代影響が明らかになったので、新たなヒ素の次世代影響も肝臓で見つかる可能性が高いと考え、肝臓の大部分を占める肝実質細胞(肝細胞)に着目することにしました。肝臓から単離した肝細胞をシャーレで培養して、肝腫瘍の増加に関連する遺伝子発現などを検討する予定でしたが、妊娠期にヒ素曝露をうけたF1の肝細胞は、対照群の肝細胞と比較して培養シャーレに接着する細胞数が減少するという予想しなかった現象が見つかりました(図2)。この新しい現象も、肝腫瘍増加と同様にF1オスのみならずF2オスの肝細胞でも観測されたため、孫世代まで続く妊娠期ヒ素曝露の影響と考えられます。しかし、現在のところ、この現象が肝腫瘍の増加に関連するのかどうかは明らかになっていません。

接着能の変化の写真
図2 妊娠期無機ヒ素曝露による肝細胞の培養シャーレへの接着能の変化
妊娠中のみ85ppmのヒ素を飲水投与した母親マウスから産まれた子世代(F1)、孫世代(F2)のオスの肝細胞を培養すると、培養シャーレに接着する肝細胞の数が減少することがわかりました。写真中の丸形がディッシュに接着した肝細胞を示しています。

妊娠期ヒ素曝露による精子形成に関与する遺伝子発現量の変化

 ヒ素は発がんのみならず、さまざまな健康被害をもたらします。生殖毒性については、ヒ素曝露により自然流産、死産、早産のリスク、出生児体重の低下など、主に女性での影響が報告されています。最近、疫学研究により、精子の質の低下など男性の生殖細胞へのヒ素曝露の影響が報告されました。しかしながら、男性生殖細胞における疫学研究はヒ素を直接摂取した直接曝露の影響であり、妊娠期に母親がヒ素に曝露された場合の影響については明らかになっていません。そこで、妊娠期にヒ素曝露したF1オスと妊娠期にヒ素曝露をしていないF1オスで、生殖細胞である精子を生産する精巣における遺伝子発現量の変化を調べました。リアルタイムPCRという遺伝子発現量を測定する方法で解析した結果、精子形成に関与するGametogenetin(Ggn)というタンパク質のグループの中でGgnbp1(Ggn binding protein 1)という遺伝子がヒ素群の精巣で増加していることがわかりました。F1が産まれてからの週齢でGgnbp1の遺伝子発現量を比較すると、Ggnbp1は高齢期では変化がなく、若齢期で増加していることもわかりました(図3)。

遺伝子発現量変化の図
図3 妊娠期ヒ素曝露による子世代マウスの精巣におけるGgnbp1の遺伝子発現量変化
Ggnbp1の遺伝子発現量をリアルタイムPCRで測定した結果、ヒ素群の精巣で増加しました。また、Ggnbp1の遺伝子発現量の増加は、74週齢(高齢期)ではみられなかったため、若齢期で変化することがわかりました。*は有意水準を0.05に設定した場合に統計的有意差があることを示しています。

 Ggnbp1が増加するとミトコンドリアがバラバラに断片化され、活性酸素種が増加することが報告されています。活性酸素種は、生体にとって有害な作用である酸化ストレスの主な原因物質の一つです。しかし、生体には、活性酸素種が蓄積しないように、活性酸素種を除去する酵素が備わっています。その中の1つであるMth1という酵素の遺伝子発現量を調べたところ、遺伝子発現量がヒ素群の精巣で増加していました。つまり、Ggnbp1が精巣内ミトコンドリアの活性酸素種を増加させ、Mth1がその除去に関与している可能性が考えられました。

 Ggnbp1やMth1の遺伝子発現量が変化したヒ素群の精巣で作られた精子にはどのような影響があるのでしょうか。私たちは高純度に抽出したF1精子のRNAおよびDNAを用いエピジェネティック変化の検討を開始しています。エピジェネティック変化とは、DNAメチル化や、マイクロRNAを含む非翻訳性RNAなど、遺伝子の配列情報の変化を伴わずに遺伝子発現量を変化させるメカニズムです(詳しくは、国立環境研究所ニュース34巻3号や環境儀 NO.59をご覧ください)。具体的な検討としては、精子のRNAを用いたマイクロRNAの解析、精子のDNAを用いたReduced representation of bisulfite sequence(RRBS)という次世代シークエンサーを使用するメチル化解析をおこなっています。その結果、ヒ素群のF1精子で、マイクロRNA発現量やDNAメチル化変化がおこっていることがわかってきました。妊娠期ヒ素曝露による精巣におけるGgnbp1による活性酸素種の増加がF1精子のエピジェネティック変化に関与している可能性について、今後さらに検討をしていきます。

おわりに

 本稿では、私たちが明らかにした妊娠期ヒ素曝露により子世代(F1)のみならず孫世代(F2)まで続く2つの現象((1)肝腫瘍の増加と(2)培養シャーレに接着する肝細胞数の接着能の減少)と、F1オスの精巣および精子における研究についてご紹介しました。これらの研究の関連性について、(1)と(2)については前述していますが、精巣および精子の研究についてもお互いに関連しているかどうかわかっていません。F1精子でのエピジェネティック変化が、F2における成長後の肝腫瘍の増加あるいはF2における肝細胞の接着能の低下にどのように関係するのか、また、肝細胞の接着能の低下は肝腫瘍の増加にどのように関連するのか、さらに検討を続けていく予定です。ごく最近になり、非翻訳性RNAの中でもマイクロRNAとは異なるtRNA-derived RNA fragments (tRFs)が注目されています。tRFsは精子中に入って親から子に親の性質を伝える作用があると報告されています。今後は、このような新規性分子も取り入れながら研究をすすめていきたいと考えています。

(すずき たけひろ、環境リスク・健康研究センター 病態分子解析研究室 主任研究員)

執筆者プロフィール:

筆者の鈴木武博の写真

超インドア派ですが、先日、ハーフマラソン大会に参加して5キロの部を走ってきました。思いのほか気持ちよかったので、健康のためにもジョギングを始めようと思い、靴やウエアーなどを揃えました。3日坊主にならないようにしたいと思っています。

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