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2017年4月28日

地球規模の環境問題解決の「シナリオ」を描く

特集 気候変動の緩和・適応から多様な環境問題の解決に向けて
【研究ノート】

高橋 潔

 初対面の方に突然に「私の仕事はシナリオを描くことです。」と話したら、演劇や映画の関係者と思われるでしょうか。それとも、私たちが研究の対象としている「シナリオ」、すなわち将来の環境問題の進行について様々な可能性を考えにいれたうえで描く筋書き、のことを思い浮かべる人も一部にはいらっしゃるでしょうか。

 社会環境システム研究センターでは、AIMモデル(アジア太平洋統合評価モデル:温室効果ガス排出、気候変化、その自然や社会への影響を統合的に評価するための計算機シミュレーションモデル)の開発・応用に携わる研究者を中心に、気候変動問題に関する「シナリオ」研究に1990年代から取り組んできました。ここでいう「シナリオ」には、人口・技術・所得などの社会経済シナリオも含まれれば、近年の気候変動の主な原因である温室効果ガスの排出シナリオ、その結果生じる気候変化や自然・社会への影響のシナリオなども含まれます。空間規模についても全球を対象としたものから国内の市町村規模まで、時間スケールとしても数年先から数百年先まで、描き出す「シナリオ」の利用目的に応じて多様です。

 心配されている問題に何も対策努力をせずに将来に向かっていったらどのような(良くない)状況に至るのか、選びうる対策のいずれかを、あるいは複数を組み合わせて実施した場合に、どの程度の状況改善が見込めるか、といったことを描き出すのが、シナリオ研究の基本的なアプローチです。また、時には、先に「望ましい未来」について議論して設定したうえで、逆算的にその未来に至るために必要な対策の経路を論じることもあります。(専門用語では、前者を探索的シナリオ、後者を規範的シナリオと呼びます。)

 「シナリオ」の作り方にもいろいろあります。例えば、専門家が集まって会議をして、対策Aをとったらどんな結果に至るだろうか、対策Bだったらどうか、といったことを議論して作ることも可能です。そのようにして作られるシナリオは、「専門家判断に基づく定性的なシナリオ」と呼ばれます。一方、AIMモデルチームでは、「モデルシミュレーションに基づく定量的なシナリオ」の開発にこだわり続けています。モデルを用いた定量的なシナリオ開発の利点は、シナリオ作成の過程がモデルプログラム・モデルパラメータとしてガラス張りであること、シナリオ内の各要素間の整合性を(モデル自体の妥当性の範囲で)確保できること、異なる想定でのシミュレーション分析・シナリオ開発を比較的容易に多数回実施できることなどがあげられます。多くの人が「科学」と聞いて思い浮かべる、研究仮説の観測事実での検証を通じた自然の原理の解明とは少し違いますが、劇や映画の脚本家が想像力をふんだんに発揮して自由にあらすじを描くのともまた違うわけです。

 本号特集の「統合研究プログラム」の下で私が代表を務める研究課題「世界及びアジアを対象とした持続可能シナリオの開発に関する研究」(統合PJ1)では、低炭素、資源循環、自然共生をはじめとした世界的課題の同時解決への道筋の議論に資する新たな統合評価モデル(複課題統合評価モデル)の構築と、その新たな統合評価モデルを用いた世界全体・アジア主要国を対象とした持続可能シナリオの定量化を目的としています。従来、AIMモデルチームの研究対象は、基本的に気候変動問題に限られていました。いつ頃にどんな対策をとれば気候変化をどの程度抑制できるのか、そのためにかかる費用はいくらか、それでも残ってしまう温暖化影響にはどのようなものがあり、その影響に対処するための対策(適応策)としては何が必要になるのか、といったことが研究への問いであったわけです。しかし、進行しつつある気候変化を国際的に許容可能な水準(具体的には2015年12月に国際合意のあったパリ協定では工業化前比2℃未満)に抑制するには、脱炭素化に向けて社会の仕組みを速やかに大きく変えていく必要があることが次第に明らかになってきました。その実現に際しては、気候変動以外の社会的な問題との同時解決が求められます。例えば大規模な植林やエネルギー作物の展開といった気候変動対策の結果として自然生態系が大きく壊されたり、食料需給が著しく不安定化したりするならば、そのような対策に対して長期にわたり支持を得ることは困難になります。複数の成長目標や社会課題への含意・波及効果を広く捉えたうえで、その同時解決への道筋を提示したり、あるいは問題が一部残ることを承知したうえでの社会的合意を支援する選択肢を提示したりすることが必要です。これを「持続可能シナリオ」と呼び、その構築・提示に用いる統合評価モデルの開発・改良を行っているわけです。なお、評価対象とする具体的な成長目標・社会課題については、貧困や飢餓の撲滅、健康と福祉、経済成長等を含む、国連の17の持続可能な開発目標に照らして検討しています。

 図1は統合PJ1で開発する新たな統合評価モデルの構成図です。大きくは、社会経済・排出シナリオの定量化と水・食料アクセスや人間健康といった社会への影響の分析を担う複課題世界経済モデル、個別の自然システムの様態を描く自然システム分析モデル群、その間を繋ぐ空間ダウンスケール(DS)・空間集計手法群からなります。これまで、社会経済発展の叙述想定(将来の社会経済発展の様態について文章で表現したもの)をふまえた全球規模の社会経済・排出シナリオ開発とその空間ダウンスケール(藤森真一郎研究員が主導)、土地利用シナリオの空間ダウンスケール、2℃目標に整合的な大規模排出削減を行った場合の食料需給・飢餓リスクの分析(ともに長谷川知子研究員が主導)などの研究成果が論文として公表されました。例えば食料需給・飢餓リスクの分析では、2℃目標の達成に向けた強い緩和策を実施する場合、食料作物とエネルギー作物との土地の競合、マクロ経済の変化による食料消費への影響は、気候変化による影響と比べて決して無視できない程度であることがシナリオとして示され、特に一部の途上国については飢餓リスク増加を回避するための資金提供・技術移転等の支援も併せて検討する必要があることが示唆されました。

構成図
図1 統合PJ1で開発する持続可能シナリオ構築のための新たな統合評価モデルの構成図

 このような対策実施のトレードオフ(代償)関係、あるいは逆に複数の問題に良い効果を持つコベネフィット(共便益)関係、については、上に例を挙げた大規模緩和と飢餓リスク以外にも、水需給、エネルギー需給、大気汚染などにも想定されることから、その定量的なシナリオ分析に向けたモデルの改良・拡張を統合研究プログラムの実施期間に着実に積み重ねていくことを計画しています。

(たかはし きよし、社会環境システム研究センター 広域影響・対策モデル研究室長)

執筆者プロフィール

執筆者写真 高橋 潔

最近、独学でクロールを身につけました。適度の運動と研究成果の間に、時間の競合による「トレードオフ」よりも、体調維持や気分転換を通じた「コベネフィット」の方が大きいこと、こちらは「シナリオ」ではなく「実践」で示したいものです。

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